私の名前は月糸恋歌(つきいとれんか)

花園学園の中等部2年B組。

特別な才能がある訳でもなく、勉強やスポーツが出来る訳じゃない。

アニメや漫画が好きな平凡な女の子。

そんな私には最近〝推しカプ〟というものが出来た。

同じクラスの前の席。


北里葵(きたさとあおい)くんと南村絵里香(なむらえりか)ちゃん。


「葵!ぼくの話聞いてた!?」


「聞いてるよ。最近出た新作コスメの話でしょ?」


「そうそう!それでね〜」


絵里香ちゃんの見た目は男の子っぽい。

運動神経もよく、彼女のファンは多い。

事実、私もファンだ。

一緒に写真撮りたい。

可愛いなぁとマジマジ見ていると、目が合った。


「なに見てんのよ」


「へっ。あっいや。なんでもない……です……はは」


苦笑いを浮かべるが、絵里香ちゃんは頬を膨らませる。

居心地が悪くなって、席を立とうとした時。


「おはよう、恋歌。どこか行くの?」


「別に……あっトイレ行く」


「ついてくよ」


彼は鞄を置いて、私の手を取る。

才色兼備の幼なじみ、金切愛華(かなきりあいか)

私の行くところには全部ついてくる。


「そういえば、数学の宿題分かった?」


「…………昨日見た動画の話なんだけど」
「無視しないでよ」


人の多い廊下を縫って歩く。

吐きそう。


「じゃあ待ってるね」


「うん」


咄嗟についた嘘なので、尿意は無い。

適当に出ていくしかないな。

扉を開け、白の床からピンクのタイルに足を踏み入れる。

個室に入ろうとした瞬間。

扉を掴まれる。


「ひゃっ!」


トイレに押し込まれる。


「なっなんですって絵里香ちゃん!?」


突然の推しカプ片方に目を見開く。


「なんでぼくらのこと見てたわけ?」


便座に薄い扉越しに壁ドンをされる。

今日死ねるかも。


「えっと……その……」


ストレートに言うと気持ち悪がられるだろう。

何か他の言葉を探さないと。

頭の電気回路にスイッチを入れるが、壊れているのか全く働かない。

沈黙の針がわたしを突き刺す。


「す……き……なの……」


「誰を?」


「…………2人が」


蚊の鳴くような声で呟く。

逸らしていた目線を絵里香ちゃんに向ける。

彼女の表情は想像していたものと違った。

疑問の顔が浮かんでいる。


「友達になりたいってこと?」


「とっ友達!?」


「違うの?」


「違わない……うん」


突然の申し出にびっくりしたが、私はそれを受け入れた。

チャイムがなる。


「トイレ大丈夫?」


「うん。大丈夫。えっ絵里香ちゃんは?」


「ぼくは理由が聞きたかっただけだから」


「理由?」


首傾げる。


「すごい睨まれてたから」


「睨っ!?」


多分ニヤニヤしていたからだろう。

私は昔から真反対の意味の言葉が同じ顔になる。

例えば嬉しい顔と怒った顔が全く一緒だ。

無意識化に起こる現象だから仕方ないと言えば、それまでだ。

「チャイム鳴っちゃったし、戻ろう」


「うっうん!」


手を引かれ、白の世界へ足を戻す。

愛華と目が合う。

が、絵里香ちゃんにグイグイと引かれ手が風を切った。

その時の彼の目は、なんと表現したらいいだろうか。

私には分からない。

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少し長いホームルーム。

私の推しカプは今日も今日とて尊い。


「恋歌。今日の帰りは暇?」


ニコニコと微笑みかける。


「暇。どこか行くの?」


「うん。ムギダ珈琲店に新しいメニューが追加されたみたいだから」


「どんなやつ?」


「それはお楽しみってことで」


「むぅ……そっか」


目線を後ろの黒板に移す。

今日の日程は数学と英語がある。

なんて日だ。


「なぁ、恋歌ちゃん」


「わっびっくりした……絵里香ちゃん?どうしたの」


急に振り返った彼女に驚きつつ、手のひらに乗ったものを見る。

四角い形と丸い形の化粧品。

色が多いので、多分アイシャドウだろう。


「どっちの方がぼくに似合う?」


片方はピンクをベースにした物。

もう片方は青色ベースにした物。

絵里香ちゃんは片方の髪がパステルブルーで、もう片方はパステルピンク。


「葵に聞いたらさぁ、どっちも似合うしか言わないんだよ。恋歌はどっち?」


「えっ。えっと……今日は……ピンク色かな」


「今日は?」


予期していなかった問いを投げられる。


「その……少し肌が赤いから」


「へぇ〜。ありがとっ!」


太陽みたいな眩しい笑顔で顔を戻す。

可愛いな。

その時、愛華がメモ帳に何かを書く。


『友達になったの?』


目が合う。


『そう』


『そっか』


愛華は立ち上がり、1限目に使う教科書を取りに行った。

なんだったんだろう。

私も取りに行かなきゃ。

立ち上がると同時に足が椅子に引っかかる。


「っ!!!」


小さな廊下に顔をぶつけそうになる。

が、衝撃はまるでなかった。

目を開けると愛華がいる。


「大丈夫!?」


まさに顔面蒼白で顔を覗き込む。


「うん。怪我は無い。ありがと」


そう言うと彼はホッと息を吐いた。


「金切さん、教科書置いとくよ」


「あっあぁ。ありがとう」


葵くんは3つ持った教科書の1つを置いた。

彼は見た目に反して意外と力持ちだ。


「恋歌は待ってて、俺が取ってくるから」


席に座らされた私は、配達される教科書を待つしか出来なかった。

俯きがちになった頭を押し戻される。


「あぶぇ」


「落ち込まなくてもいいんじゃない?」


「ぬぅ……」


「何それ?」


形のいい唇に色つきのリップクリームを塗る。


「綺麗だね」


思っていることが口をついて飛び出す。


ハッと口を塞ぐが、時すでに遅し。

絵里香ちゃんの表情は色を差したように、華が咲いた。


「そう?ぼく可愛い?」


「うん。凄い可愛い」


引かれていないことに安堵して、そのまま感想を述べた。

気を良くしたのかニコニコと笑顔で、顔をマジマジと見られる。

恥ずかしい。


「恋歌ってリップクリーム塗ってないの?」


「えっしてないけど……なんで?」


彼女は小声で「そうか、そうか」と言いながら、


「いや、今のままでもいいんだけど」


雪のように白い指が私の唇に触れる。


「ちょっとだけカサついてるから」


「恋歌」


愛華がニコッと笑う。


「何してたの?」


「え〜と……顔の話?」


「顔?」


不思議そうな顔を浮かべる愛華。


「うん。唇がちょっとカサついてるから。あっ、LINMやってる?良かったらオススメのやつ教えたいんだけど……」


そんな恐れ多いことを。

と思ったが、こんなチャンスは来ないかもしれない。

鞄から手帳型のケースを取り出す。

なんの柄もないシンプルな柄は母から誕生日に貰ったもの。

ボロボロになってはいるが、まだ使える。


「じゃあ、これ。ぼくのQRコード」


「え〜っと……」


「ここ押すんだよ」


愛華の大きな手が重なる。

少しだけしっとりとしていて、暖かかった。

水が音を立てて跳ねるような、そんな符号。

それとはまた違う、トランポリンを踏んだようなオノマトペ。


「じゃあリンク送っとくね」


「あっありがとう!」


夢のような時間が流れる。

不意に葵くんが振り返った。


「どうしたー?葵」


「いや、なんでもない。それよりもうすぐ授業」


ーキーンコーンカーンコーン


彼の声と重なる感じで、鳴り響く。


1時間目から数学かぁ……。

背けられない事実に頭を暗くさせた。