すぐ傍から聞こえてくる諒の声に、美穂は屈めていた身を更に小さく丸くする。そして祈るように目をぎゅっと瞑った。

(……お願い、早く行って)

美穂の脳裏に浮かんだ言葉とは裏腹に、諒はどんどんこっちに向かってくるのが靴音と気配でわかる。

その時だった──美穂の耳元に誰かの吐息がふうっと、かかった。

「──捕まらないようにしてやろうか?」

(え?)

とても不思議な声だ。男とも女とも言えない、けれどあたたかく優しい声。それに耳元に吐息はかかるのに聞こえてくるその声は、なぜか美穂の頭の中からだった。

(今の声だれ……聞き間違い?)

美穂はそっと目を開けたが、目の前にあるのは古い井戸だけ。そのとき再び諒の声が聞こえる。

「美穂、いるんだろ? 隠れても無駄だかんな」

(あ、見つかっちゃうっ)

美穂は神様に祈るような気持ちで誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。

「……お願い……」

その瞬間だった。
耳元から楽し気な笑い声が聞こえてきて美穂の身体はすっと軽くなった。

「あ、井戸か? ……あとお前だけだぞ~」

そう言いながら諒の足音が井戸の前でピタリと止まる。

その瞬間、美穂は井戸の裏から飛び出し校庭に向かって駆けだした。

身体が軽い。まるで羽がついているかのように、風になったかのように美穂は自分とは思えないスピードで駆けていく。