――その日から、秋一くんのクラスでの振る舞いは激変した。


教室にいてもいつも一緒にいる女子グループたちより私の方に来て喋るし、昼食も私と一緒に食べるし、放課後も私と一緒に帰る。


初めは秋一くんのいつもの気紛れだと思っていた女子陣も、だんだん私と秋一くんの交際が本気だと受け取り始めた。



桜ちゃんは――病み散らかしていた。

スマホを開くたび着信もメッセージも100件以上。
【どういうこと?】【何で無視するの?】【何で一緒に帰ってくれないの?】【ほんとに付き合ってるの?】


それは秋一くんの方も同じで、毎日のように桜ちゃんからメッセージが来るというのは私と共通している。

けれど秋一くんは今までとは違い、桜ちゃんをガン無視していた。呼んだらすぐ来てくれた王子様がいなくなったことも、桜ちゃんの病み期をより酷いものにしているのだろう。


【死ぬから】
【今から手首切る】


昼休みにそのメッセージを見てぎょっとして、さすがに返そうとした私のスマホを持っている方の手首を、秋一くんが少し強めの力で掴んだ。


「俺独占欲強いんだけど」


そうだこの男、恋愛感情はないくせに独占欲は一丁前にあるのだった。


「いや、でも」
「桜ちゃんに死ぬ勇気なんかねーよぉ?」
「でももしかしたら、」
「あやめちゃんは俺と付き合ってるんでしょ?俺以外の人間が怒ろうが喚こうが死のうが、どーでもいいって思ってくんないとねぇ」


鬼か。

あんなに桜ちゃんを可愛がっていたくせに、気まぐれでこんなに対応が冷たくなるなんて……。

今は返信できないと思ってスマホをポケットにしまった。


最低だけど、秋一くんを言い訳にできて内心ほっとしている部分もある。


桜ちゃんが柊くんと一緒に家に入っていくのを見たあの日から、できれば桜ちゃんとも柊くんとも会いたくない、連絡を取りたくないと思ってしまっている。


教室に来ても気付かないふりをして、見かけたらできるだけ避けて、連絡もしない日々。

桜ちゃんに関しては可哀想だとも思うけど――今桜ちゃんと話しても、優しい態度を取れる気がしないのだ。



酷い先輩でごめんね。








その日の帰りのホームルームで、修学旅行の班員の名前とホテルの部屋で一緒になる人の名前を提出する紙が配られた。

すぐに書いて提出する人がほとんどだったが、私はその用紙に名前を書けずに、締め切りが来週いっぱいあることに甘えてそのままファイルにしまった。


ホームルームが終わって、みんなが掃除をし始める頃に、掃除の班が同じである秋一くんが近付いてきた。


「あ~や~めちゃん」


言われることは分かりきっている。
秋一くんはこの恋人ごっこにおいて、“できるだけ一緒にいること”を重視しているから。


「修学旅行一緒に回ろ?」
「……言うと思った」
「どうせ友達いないでしょお?」


いいよと言ってしまいたかったが、桜ちゃんの言葉を思い出して言えなかった。


《《->》》
《《%color:#8f8f8f|「同学年とはいつでも絡めますもん。》》
《《->》》
《《%color:#8f8f8f|あやめ先輩と一緒に行動できるのは 》》
《《%color:#8f8f8f|修学旅行くらいしかないじゃないですか」》》

《《<-》》


「……ちょっと、考えさせて」


無断で他の人と一緒に回ることはできない。


「ふうん」


秋一くんの目が冷たくなったことに内心びくびくしながら、それに気付かないふりをして箒を持って廊下へ出た。

廊下を履いていると、きゃーっなんて黄色い声が上がったので顔を上げる。



遠目から見ても身長が高い、モデルみたいにすらっとした柊くんが、向こうからこちらへ近付いてきていた。

柊くんは顔が良いために隠れファンが多いようで、女子たちがヒソヒソと囁きあっているのも見えた。


……え、え、何?


特進クラスの生徒がこっちの廊下を通る必要は無い。となると高等部普通科の誰かに用があるということで——。


わ わたし?

そんなわけないと思いながら期待してしまう自分がいて、同時に怖くなる自分がいた。


嫌だ喋りたくない。今会いたくない。

声をかけられたら困る。でも声をかけられなかったら悲しい。

緊張でぎゅっと箒の柄を握りしめながら、歩いてくる柊くんを見つめる——ばちりと目が合って、ひゅっと息を吸った。


そのままずんずんとこちらへ向かってくる柊くん。

わ 私だ……。


思わずくるりと踵を返し逃げようとした――私の首根っこが、後ろから勢いよく掴まれた。

う、腕が長い……!!


「何逃げようとしてるんですか?」


久しぶりに聞く柊くんの声はやっぱりかっこよくて、ちょっぴり涙が出た。


「あれ、柊じゃーん。久しぶりぃ。こんなとこで何してんのぉ?」


私の正面に居る、怠そうにポケットに手を入れている秋一くんが聞く。

私の襟を掴んだまま、柊くんが責めるような口調で言う。


「貴方に用事です。こっちのバカにも。寄って集って桜を無視して何が楽しいのか聞きに来ました」


柊くんの口から出てきた“桜”という名前に、自分が明確に嫌な気持ちになるのが分かった。

ああそうか。
柊くんにとって私たちは、桜ちゃんをいじめる悪者なのだ。


「桜が精神的に不安定なのは分かっているでしょう。急に二人合わせて無視するなんて、一番避けた方が良い事態だと分かりませんか?」


そう問いかけてくる柊くんの顔を見れなかった。

桜ちゃんが病んでいたら、こんな風に必死に解決に導こうとするんだ。


「特に高坂さん。貴女は桜と一緒に旅行先を回る約束をしていたのでしょう?どうするおつもりですか?」


言われなくても、私だって約束について気になってたよ。これからどうにかしようと思ってたよ。

そりゃ彼女が友達に無視されて死ぬだの手首切るだの言ってたら心配になるよね。相手を責めたくもなるよね。

でも……


「……それ私に言うの」


私の気持ち知っててそんな態度取るの?

私の好意を分かってて、私の前で桜ちゃんをそんなに大事にしないでよ。
柊 司、なんて残酷な男だ。何で平然としていられるんだ。
そういう図太さや私にはない無神経さにも憧れていたけれど、それらにこれほど傷付けられることになるとは思わなかった。


ぐずっ、と鼻水を啜った時、柊くんが驚いたような顔をして私を覗き込んできた。

半泣きだった私はきゅっと唇をかみしめて涙を引っ込める。

柊くんが怪訝そうな目で探るようにじっとこちらを見てくるから、しばらく見つめ合うことになってしまった。


もうこれ以上傷付きたくない、早くどこかへ行ってほしいと願いながら呼吸ができずにいたその時、秋一くんが面倒臭そうに頭を掻きながら言った。


「じゃああやめちゃんが桜ちゃんと修旅回りなよ。俺は柊と回るわ」


いやいやいやいやだめだから!抜け駆けしないでよ!

と思わず止めそうになってしまうのを堪える。

今は一応私秋一くんの彼女だし。柊くんへの気持ちが駄々洩れになるのはよくない。


「いや、僕はクラスメイトと回りますが……?勝手に決めないでもらっても?」
「まぁそう言うなってぇ。あやめちゃんはお前の大事な桜ちゃんと回るとして、残った俺は誰と回れっつーのぉ?」
「いつものチャラチャラした連中と回ればいいでしょう」
「やー、あの子たちと一緒にいるのやめたんだよねぇ。俺あやめちゃんと“お付き合い”することになったから」
「………………は?」


柊くんが、理解できないという気持ちを前面に出した表情をする。

こいつら何言ってんの?と言わんばかりの眉の寄せ方だ。


「…………あなた方が?」


俄かに信じ難いといった様子で私と秋一くんを交互に見る柊くん。

いつの間にか私の襟から手が離れていて、ちょっとだけ寂しかった。


「何かおぞましいことを聞いたような気がしますが、まあ良いでしょう。修学旅行の件ですが、部屋割りは同じで構いませんよ。弐川くんには去年のこともありますし、少し気掛かりだったところです」


私と秋一くんが付き合っているという事実を“おぞましいこと”として片付けて、すぐに切り替える柊くんを私は複雑な気持ちで見ていた。


「え~~~部屋割りだけぇ?メンドクセーから班も一緒にしなぁい?」
「あ゛ー……面倒……言われてみればそうですね。知らない土地を大人数で回るというのも面倒ですし、僕と弐川くんの二人の方が動きやすいというのはあります。弐川くんは旅行になど興味がありませんから、黙って僕の行きたいところへ付いてくるであろうことも一つのメリットでしょうね」
「ハイ決定。じゃあそういうことでよろしくねぇ。あやめちゃんもあの紙、桜の名前書いて出しといて」


さ、さっきまで独占欲強いだとか何とか言って私が桜ちゃんと関わることを阻んでたくせに……!!