焦げ臭い匂いがこちらまで漂ってくる。

炎が燃え盛っていた。そしてその火は、瞬く間に隣のビルまで乗り移る。

火災の発生源は灯花たちのカフェからはずれていた。しかし、灯花たちのカフェも炎に包まれていく。

大きな爆発音が何度か続いた。街の方にも黒煙が広がっていく。


「火事だ! 逃げろ!」


避難を知らせる怒鳴り声が続く。火災の発生源から逃げてきたらしい人々が、「早く119番して!」と叫ぶ。

こんな大規模な火災は見たことがなく、あまりの迫力に呆然としてしまっていたが、そこでハッとしてスマホで119番へ電話した。


電話しながら、灯花は本当にいないか心配になり、ゆっくりとカフェの方へ近付こうとしていると、後ろから陽光が怒鳴ってきた。


『行くな!!』


その声が聞こえないふりをして歩き続ける。

火災の発生源らしき三階建ての雑居ビルは数分で炎に包まれた。

ビルの外では、バケツに水をくんでどうにか消火しようとしたり、消火器で消火活動を行う人たちもいた。しかし火の勢いは増すばかりだ。

道端では火傷して横たわる人を毛布にくるんで介抱したり、ぐったりとして倒れている顔がススまみれの男性に向かって、「起きて! もう少しで救急車来るから!」と悲鳴にも似た叫び声を上げる女性もいた。


――灯花がいたらどうしよう。店にはいなかった、でも、これだけ大規模な火災なら、もしこの近くにいたら巻き込まれてしまうかもしれない。

それを確認したくてふらふらと現場に近付く私の腕を力強く引っ張る者がいた。


「行くなって言ってるだろ!」


私を止めるために人の姿になった陽光だった。


「は、離して……! まだ近くにいるかもしんない!」
「こんな時間じゃ退勤したに決まってんだろーが!」
「でも灯花、バイト終わりはこの辺で買い物しながらお父さんが迎えに来るの待ってるって言ってた!」


自分の声が泣きそうになっていることに気付く。大切な人を失うのはこんなに怖いのか。自分の死への恐怖が薄まるほどに。

――離せと暴れる私を、陽光が押さえ込むように強く抱き締めた。


「頼む。俺はお前の身の方が心配なんだよ」


その身体は予想していたよりもがっしりしていて、私の動きを完全に封じる。


「私は……灯花の方が心配……」
「分かってる。でもよく考えろ。お前が行ったところで火はどうにもできないだろ。お前まで犠牲になるだけだ」
「っでも……っ」
「通報はした。もうすぐ消防車が来る。音も聞こえてるだろ。落ち着け」


陽光の言葉でようやく心が冷静になってきて、遠くから聞こえるサイレンにも気付くことができた。

ほっとして力の抜けた私の手を引き、陽光が現場から離れる。その手はしっかりと私の手を握っている。


しばらく歩いたところで、聞き慣れた声がした。


「――瑠璃音?」


俯いていた私はバッと顔を上げる。

だってその声は、灯花の声だったから。


「あんたこんなところで何してんの? 随分前に帰ったと思ってたんだけど」
「と、灯花ぁ……」


私は泣きじゃくりながら灯花に抱きつく。その隣には、あのカフェの店長がいた。


「やっぱり不浄の気配が気になって戻ってきたの。案の定火災は発生するし……っ灯花も巻き込まれてないかって心配でっ……う、うえ、うえええええん」
「あたしは大丈夫よ。瑠璃音の話をしたら、店長が今日は早めに店を閉じてくれたの。ね」


私の頭を撫でながら、灯花が店長に目配せする。


……何か、妙に親密なような……。


「店長さんが私の言ったことを信じてくれたってこと? 私、初対面なのに」


さすがに一バイト店員の友達の言うことなんて普通は信じない気がする。

余程オカルト好きだったということだろうか……。疑問に思ってじっと見つめると、灯花が少し恥ずかしそうに俯いた。


「実はあたし、この人と付き合ってて……。あたしの頼みなら聞くって言ってくれたの」
「ええ!? 年の差恋愛だね!? 大丈夫!? 犯罪にならない!?」


見たところ店長は二十代後半くらいなように見えるので、思わず本人の前だというのに犯罪の心配をしてしまった。


「大丈夫よ。清く正しい付き合い方だし、今度私の親を心配させないようにうちに挨拶しに来てくれるって言ってて」
「そっか……誠実な人なんだね」


灯花の答えにほっとする。そして、ふと疑問に感じたことを聞いてみた。


「灯花が頼んでくれたって……」
「未来を変えるのは自分の行動次第って言ったでしょ」
「え……でも」
「瑠璃音の言うことを信じるっていうのが、あたしの取った行動よ」


泣きそうになった。非科学的なことは信じない灯花が、私の言うことは信じてくれたのだ。


「ありがとう、瑠璃音。あたしたちを救ってくれて」


――意義がある。この力には意味がある。

自分でも分からなくなっていた、自信がなくなっていた、私がやっていることの意味を、灯花が作ってくれた。