そうかもしれない。私が灯花だけを助けようとするのは不平等かもしれない。――でも。
「みんな助けるなんてできないって分かってます。ただの一人の人間である私にそんな力がないことも。それでも私は……自分の手が届く範囲の人は助けたい。自分に出来る事はしたいんです」
おばあちゃんはそういう人だったから。
この世は人と人との小さな助け合いでできていると教えてくれたから。
翠波さんは私の反論に、少し驚いたように目を見開いた。
翠波さんがこれ以上止めてこないことを確認し、私は厨房に入ろうとしている灯花の元へと走ってその腕を引いた。
「灯花、しばらくバイト休んで! 今日もできれば早く帰って。できればこの店の他の人達にもそう伝えてほしい……信じてもらえないかもしれないけど」
「……は、はあ? どうしたのよ、急に」
「このお店で近いうちによくないことが起こる。火事とか、トラックが突っ込んでくるとか……はっきりしたことまでは分からないけど、確実にこの店は危ないよ」
矢継ぎ早に言うと、灯花は困惑したような顔で私を見返してきた。
頭のおかしな客だと思われたのか、灯花の近くにいた店長らしき男性が灯花と私の間に入ってきた。
「お客様。他のお客様の御迷惑になりますので、後は僕と外で話しましょうか」
「店長、大丈夫です。この子私の学校の友達なんで」
私を庇うように灯花はそう言って店長の前に出る。
「瑠璃音……どういうこと?」
「視えるの。この店全体に嫌な気配がする」
「いつもの、不浄ってやつ?」
こくりと頷くと、灯花は少し考えるように黙り込んだ後、「ごめん」と短く謝ってきた。
「あんたの言ってること信じてないわけじゃないし、心配してくれるのは嬉しいんだけど……あたし、その不浄とやらに自分の人生どうこうされるとも思ってないのよ。だって、あたしには視えないから。先の未来がどうなるかを決めるのは、不浄じゃなくて自分の行動だと思ってる」
――灯花は非科学的なことを信じない。それは昔からだった。
自分の未来は自分次第、これが灯花の持っている考え方だ。
それを否定することなんてできない。
だって灯花だって……不浄が視えるなんて言い続ける私のことを、否定せずにずっと一緒に居てくれたから。
こう言われてしまっては為す術もなく、私は灯花の腕を掴んでいた手をおろしてしまった。
■■■
カフェからの帰り道。今、私は珍しくネガティブモードである。
食欲がなく、パンケーキは結局ほとんど陽光に食べさせることになった。
――絶対にあの店で何か起こるのに、私は何もできない。
「翠波さんが言ってたみたいに、身近な人だけ助けようとするなんて不平等なこと、しない方がマシなのかな……」
不幸は誰にでも平等に降りかかる。それに対して外から干渉するのは、身勝手に未来を変えるのと同じだ。翠波さんの言うことも一理ある。それでも助けたいと思ってしまうのは、私の我が儘なんだろうか。
「あんな生意気なこと言って、翠波さんに嫌われちゃったかも」
私がテーブルに戻った後翠波さんはいつも通りの態度だったが、心の内で私の子供じみた発言に対して何を思っているかは分からない。
「嫌われたところでどうでもいいだろ」
「どうでもよくないよ……私は翠波さんのこと好きだもん……」
頭を抱えながら、少し後ろを付いてくる陽光に向かって呟く。
陽光は今人の姿だ。夜道を女子高生一人で歩くのは危ないからと翠波さんが別れ際に陽光に人の姿になるよう伝えたからだ。翠波さんは優しい。
「本気なわけじゃねぇくせに」
「……え?」
立ち止まって陽光に目を向けると、陽光もこちらを見ていた。
「お前、母親を安心させるために恋愛したいだけじゃねぇか」
少し驚いた。陽光がそこまで私の内心を理解していると思わなかったから。
そういえばこいつは、十年も私の傍で私を見てきたのだ。両親が離婚した時に隠れて泣いていたことも、皆を心配させないように平気そうな顔をして弟の世話をしていたことも、そのせいで私がお母さんを余計心配させてしまったことも知っている。
「……だから何? 私は恋して楽しいし、お母さんは安心する。それでいいじゃん」
「急いでやるもんじゃねえって言ってんだよ。恋に恋してるっつーんだ、そういう状態のこと」
「何それ。偉ぶっちゃって。陽光が恋愛の何を知ってんの。どーーーせ恋なんてしたことないんでしょー」
からかうように言ってやると、陽光との間に数秒の沈黙が走った。
その後、陽光は私をじっと見つめて口を開く。
「ある」
「…………あ、あるんだ」
急に陽光が物凄く大人に見えてきた。
そりゃそうか、神様の眷属というなら人間よりもずっと長生きしているはずだ。その長い時間の間に誰かを好きになっていてもおかしくはない。
「相手、誰だか知りたいか?」
薄く笑う陽光の顔がゆっくりと近付いてくる。
こうして間近で見ると、人間の姿をしている時の陽光の顔はこの世の者とは思えないほどに美しかった。
「べ、別にいいし!」
見惚れそうになっていたところ、ハッとして陽光を手で押し返すと、陽光は「残念。」とクックッと意地悪そうな笑い方をした。
私の心臓はどっ、どっ、と大きな音を立てている。
(び、びっくりした……何? 急に男の人みたいな顔して)
狐のくせに、と文句を言いたくなった。