朝の気配に気が付き、里桜が目を覚ますと、天蓋の向こうから小さい物音がした。身を起こすとまたベッドが軋んだ。

「リオ様お目覚めですか?」
「はい。おはようございます。」

 リナは手早く天蓋をまとめる。昨夜は里桜の世話で寝る時間は早くなかったはずなのに、疲れた様子もなく、身なりはきちんと整えられている。

「もう少し、寝ていても大丈夫でございますよ。貴族の方々は朝が弱くていらっしゃるので、お昼近くまで寝ている方もいらっしゃるほどです。」
「大丈夫です。もう目が覚めているので。」
「では、手水をお持ちしますので、そのままでお待ちください。」

 里桜はベッドに腰掛けながら、キレイに手入れされた庭を見ていた。手水を持ったリナが里桜の少し手前で立ち止まった。

「ここから見えるのは、ゼラニウムです。後で窓を開けましょう。この花は香りも良い花ですから。気分転換に良いと思います。では、手水でございます。」


∴∵


「こちらのお嬢さんは、昨日の救世主様の召喚に事故で付き合わされたんだって?」
「ふっ。らしいな。」

 相変わらず読みにくい表情で、クロヴィスは、ジルベールを見ている。

「救世主がアレならば、こっちはどんなのがくるのだろうな。」

 クロヴィスには珍しく、言葉が多いと思ながら、ジルベールはクロヴィスより先を歩く。従者が室内に声がけをする。すると、すぐに扉は開き、滞りなく中へ通された。
 ぎこちない身振りではあるが、カーテシーで挨拶を受ける。

「そんな、堅苦しい挨拶なんざ、無理してやらなくてもいい。顔を上げてくれ。」
「キミが、渡り人のリオ嬢?」
「早崎里桜と申します。」
「肩の力を抜いてくれ、何も、取って食おうって訳じゃない。」

 二人はソファに腰をかける。それに合わせて里桜も向かいに腰掛ける。里桜の視線はずっと二人の足辺りを見ている。気がつけば、侍女も扉の付近で微動だにせず立っている。先触れしてから、間に合わせにでも、王族に対するマナーを仕込まれたのか。まぁ。昨日の様に猫なで声で話しかけられるよりはまだ良いかとジルベールは思っていた。

「俺はジルベール・ヴァンドーム。近衛騎士団の団長をやっている。で、こいつはクロヴィス・トゥーレーヌ、宰相をしている。」

 昨日来た二人も軍隊の人間らしく、不摂生とは関わりがなさそうな鍛えていることがわかる体躯だったが、幕僚と参謀と言う組織の頭脳を司っている役職からか、筋骨隆々というわけではなかった。
 しかし、目の前のジルベールは、背の高さと筋肉の付き具合で、熊を連想させる大きさながら、野暮ったく見えないのは、端正な顔立ちのおかげなのかも知れないと里桜は思った。

「さて君は、賜る力で何がしたい?君の力なら何でも出来るけど。栄華を得る?人助け?本当になんだって出来るよ。」
「昨日一晩考えたのですが・・」

 少し間を開けるので、二人もじっと見ていると、すっかりマナーを忘れた里桜は顔を上げ、二人の顔を交互に見た。

「私、洗礼うけなくちゃいけませんか?」
「えっ?」

 ジルベールはつい大きい声で聞き返す。この世界では年齢を重ねれば必ず洗礼を受ける。家計が苦しい平民の家でも、子どもが少しでも魔力を持っていれば貴族の屋敷や大きな商店での下働きで職にありつける。魔力がなかったとしても仕方ないし、あれば大歓迎。受けないという選択肢を考える事もなかった。

「私は、としこさんのついで、と言うか事故と言うか…それで、こちらの世界に来てしまったようだと、昨夜バシュレ様とオリヴィエ様に聞きました。しかも、召喚はとっても魔力が必要で、白の魔力を持つ人が四人以上もしくは、救世主にあたる白金の力が二人以上いないと行えない儀式だとかで。元の世界へ帰す儀式もあるにはあるけど、今回儀式を行った尊者様たちの魔力は今はもう赤の魔力まで落ちてしまっているから、私が元の世界へ帰る事は不可能に近い事だと。」
「まぁ。そうだ。」
「たとえ、事故で来てしまったにしても、私が洗礼を受ければ白の魔力を授かるのだという事も聞きました。この世界に生まれた人の魔力の最高位が赤で白はそれ以上の力だと…」
「あぁ。」
「そんな人ならざる力を持つくらいなら、私は洗礼を受けずに魔力を持たない平民として市井で生きてはいけないかと…。」

 ジルベールは腕組みをして、ソファの背もたれにもたれかかり、クロヴィスはたまらず声を上げて笑った。息を整えてからクロヴィスは少し前屈みになって里桜を見据える。里桜も同じようにじっとクロヴィスの黄金色の瞳を見た。

「面白い事を考えるお嬢さんだけど、市井で働くなら、なおのこと洗礼は必要だと思うよ。聞いたと思うけど、この世界では十三歳から十五歳までの間に洗礼を受ける。それを以て成人と言う事になる。そして、洗礼証明が発行される。魔力の色や有無に限らずね。だから、職に就くときはその洗礼証明を提出するんだよ。それを見れば、大方の出身地などもわかるしね。市井には証明無しに働かせてくれる場所もあるにはあるけど…男なら奴隷同然の環境での労働とか、女性なら…ね。」

 クロヴィスは何とも言えない表情で笑う。

「洗礼証明なしに市井で働くとなると、お嬢さんには、厳しい生活が待ってるんじゃねぇかな。」
「君の言う通り、君の持つ力は人ならざる力だから、さっきも言ったように欲しいと思うものは何でも手に入るよ。王妃の座もね。それでも、君は力を持ちたくないのかい?」
「力を持つと言う事は、責任も持つという事ですよね。私は向こうの世界では人に雇われる身で、誰かに傅かれるような人間ではありませんでした。だからこそ、人を故意に傷付けたり、罪を犯したりしない限り自由に生きる事が出来ていたんです。人ならざる力を持てば、自分以外の人たちへの責任が生まれる。私には重すぎます。」
「なるほどね。まぁ。お嬢ちゃん。そんなに肩に力入れないで。ちゃんと人を頼りなさい。昨日来たアルもシルヴァンもそしてこのジルベールさんも。力になるから。」
「まぁ。自分を信じろと言う人間が一番信用できないんだけどね。」

 クロヴィスは皮肉っぽく笑った。

「突然、洗礼を受けないと言い出すから、思いのほか長くしゃべっちまったが、今日はただ挨拶をしに寄っただけなんだ。これから先は多分。救世主様には俺たち近衛騎士団が、渡り人様には、アルの率いる国軍が護衛に付く事になる。まぁその挨拶に。」

 クロヴィスが立ち上がると、ジルベールも里桜の手を取って一緒に立ち上がらせた。


∴∵


「おはようございます。トシコ様。朝でございます。」

 リンデルはそっと天蓋から中を覗く。利子は身じろいでいるが、起きる気配がない。

「おはようございます。トシコ様。朝でございます。」

 リンデルの元には宰相であるクロヴィスから今後の事で話したいと先触れが来ていた。食事をして、身支度を調える時間を考えるともう起きてもらわねば、間に合わない。二度目より更に大きい声で声をかけると、ようやく利子は目を覚ました。

「朝から、うるさいわ。もう少し静かに起こして頂戴。」
「申し訳ございません。その・・・先ほど、トゥレーヌ宰相から先触れが参りまして、これからの事でお話したい事があるとの事でございます。身支度をお手伝いさせて頂きます。」

 利子はもう一度目を閉じようとして、ハッとし、起き上がる。リンデルは手水を取りに行ったようだった。
 そうだ、昨日クロヴィスさんが言っていた。この国の事を教える先生をつけるって。
 確か…候補は二人。一人はアナスタシア・カンバーランド。現王の従姉妹で公爵令嬢。父は先王の兄で、今は神殿の尊者になっていると言っていたっけ。尊者は神殿の最高位ではあるけど、政治には関われない身分だったはず。こう言うやんごとないお嬢様キャラって大体がヒロインをいじめるのよね。気位だけが高くって癇癪持ちで。もう一人がリリアンヌ・マジェンダ伯爵令嬢。父は近衛騎士団の大隊長だったはず。こういうキャラは大抵お人好しキャラなんだよね。
 私がヒロインだから、多分教育係には公爵令嬢が付けられて、私が王様に気に入られたのをよく思わない彼女が私をいじめる・・・よくある話だよね。
 いとこ同士で小さい頃から仲良くて王妃になりたかったのに、魔力も強くて健気な転生者に横取りされて嫉妬に狂う・・・ってね。とにかくいじめっ子キャラ同士くっついてもらおう。よしっ決めた。
 顔を丁寧に拭き、リンデルは手水を片付けに行く。

「リンデル。」
「はい。トシコ様。」
「渡り人はどこにいるの?会いたいんだけど。連絡して頂戴。」
「今からでしょうか?」
「当たり前でしょう。昨日倒れてしまったから、挨拶もなにも出来なかったから。今後の為にも挨拶に行くわ。早く準備して頂戴。」
「渡り人のリオ様は宮殿の客間にお泊まりでございます。ここから・・」
「いいから。クロヴィス様が来る前に会わないと意味がないの。」


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 リナが庭に通じる窓を開けてくれて、窓際でリナ特製のブレンドハーブティーをゆっくり飲んでいると、ノックの音が聞こえた。リナが応対し、何かを二、三言会話をして扉を閉めると、いつもより少し速い足取りで里桜の方へやってきた。

「同じ渡り人のトシコ様がリオ様にお会いしてご挨拶をしたいと。先触れが参りました。」
「としこさんが?」
「えぇ。ずいぶん急でございますね。どうなさいますか?もう少し状況を把握されてからお会いになりますか?それなら、失礼にならないようお断りも致しますが。」
「いいえ。私も昨日は急に倒れてしまって、心配も迷惑もかけてしまったので、謝りたいと思っていたんです。お会いします。」
「わかりました。そのように返事致します。」