それから程なくして、利子が王の紋章入り馬車で宮殿東側の別門に到着した。里桜は、日本式の出迎えで、利子を迎えた。

「ちゃんと、挨拶も出来なくて。ごめんなさい。改めて吉井利子(よしい としこ)です。同じ日本人なんだもの、これからも上も下もなくざっくばらんに話そうね。どうぞ、座って。」

 里桜は利子のまるで自分の部屋のような振る舞いと、ほぼ初対面なのに何故か上からの物言いに一瞬困惑しながらも、言われたとおりソファに腰掛けた。

「よしいさんね。昨日は突然の事で、迷惑かけてしまってごめんなさい。改めて、私は早崎里桜です。これからよろしくね。」
「少しは落ち着いた?」
「えぇ。話を改めて聞いて、まぁ。どうにか。」
「そう。私も本当にびっくりしちゃって。これから、クロヴィス様が私の離宮へいらっしゃるんだけど、私たちへこちらでの一般常識やマナーや何かを教えてくれる講師についてのお話だと思うの…あっねぇ、ちょっとそこのあなた。」

 自分の侍女のリンデルではなくリナを指さしながら声をかける。

「はい。」
「お茶を頂戴。部屋でゆっくり出来なくて、飲めなかったのよ。」
「はい。かしこまりました。」

 その声で、リナとリンデルは部屋を出て行く。

「話し折ってごめんなさい。それで、その講師なんだけど、王様の従姉妹にあたるアナスタシア・カンバーランド公爵令嬢とリリアンヌ・マジェンダ伯爵令嬢の二人がいらっしゃるんだけど。アナスタシア様はとても家柄の良い方だから、この世界の事について沢山の知識をもっていると思うの。本来なら、私の方にアナスタシア様が付いてご講義を下さるんだと思うけど、私は昨日もゆっくりとこちらの事について聞く事が出来たし、あなたの方が私より沢山勉強しなくちゃいけないと思うから、あなたがアナスタシア様に教えてもらえるようクロヴィス様にお願いしてあげるわよ。」

 里桜は利子の言い分に呆気にとられてしまった。それを遠慮していると思ったらしい利子は更にたたみかける。

「遠慮は無用よ。それと、私の事は利子さんって呼んでくれていいから。」

 そんな間に、リナとリンデルが部屋へ戻ってきた。

「まあ。そんな訳で、お互い助け合いましょうね。りお。」
「あ・・うん。そうね。」
「ところで、あなた、魔石持ってないのよね?」
「あぁ。誰かに貰う石でしょ?誰かから石なんてもらったら忘れないでしょ?持ってないよ。」

 利子はリナが用意したお茶に口を付けた。一瞬顔をしかめ、

「そう。ならいいけど。それじゃ、クロヴィス様お待たせするわけにはいかないから、帰るわね。また、時間が空いたらお茶にお誘いするから。楽しみにしていてね。じゃ。」

 利子はリンデルを従えて、馬車で王宮を後にした。
 片付けを終えたリナが、何度か言いたげな様子をして、とうとう口を開いた。

「トシコ様とどんなお話をなさったのか、お伺いしてもよろしいですか?」

 里桜は何故、そんな事をこんなにも言いにくそうにしているのか考えて、はたと気付いた。里桜自身がそう思っていなくても、里桜とリナの間には主従関係が存在する。従者としては主が自ら話さない事を聞く権利などないのかもしれない。そんな事気にしないで何でも聞いてと言っても良いのか悩んでいると、リナの顔は徐々に怪訝になっていく。

「ごめんなさい。ちょっと、他の事に思考が飛んでしまって。としこさんの事ですよね。なんでも、これからとしこさんの所にトゥーレーヌ宰相がいらっしゃるそうで。それで、としこさんと私の講師についての話をするみたいで。本来なら、としこさんにカンバーランド公爵令嬢アナスタシア様がついて、私にマジェンダ伯爵令嬢リリアンヌ様がつくのだけれど、私は知識不足だからアナスタシア様に教えて頂けるよう宰相にお願いしておくねって話だったんです。」
「何ですか?その話。」

 里桜は真顔のリナは怖いくらいに綺麗だなんて場違いなことを思った。

「うん。私もよくわからないんですけど、私はこの世界では赤子も同然の知識しかないから、良い人が先生として付いて下さるならそれに超した事はないですし…まぁ、よくわからないんですけど、分かりましたって言っておきました。あと、リナさんにお願いがあって。私、この世界ではまだ、生活能力がなくて、リナさんにお世話頂かないとダメなんですけど。私の事は手間のかかる友達か、手間のかかる妹みたいに思って頂けませんか?」
「えっ?」

 戸惑った様子のリナに説明する言葉を必死に考える。

「あっいえ。上手く説明できないんですけど、私、イマイチ主従関係が分からないので、さっき、リナさんは、私ととしこさんの会話の内容が気になっていましたよね?きっと、本来の主従関係では従者が主の会話の内容を問いただすなんてしないんだと思うんです。だから、リナさんはとっても聞きづらそうに、会話の内容を聞いてきた。でも、私はそんな事考えもしなかったんです。私にとってリナさんは私の世話を焼いてくれるとっても優しいお姉さんって思っていて。だから、誰とどんな話したの?とか、誰の事どんな風に思ってるの?とか、今何考えてるの?とか、聞かれても不愉快だなんて思わないし、リナさんが気になったら素直に聞いて頂きたいんです。私も疑問に思った事や、不快な事やそんな些細な事、なんでもお話しますので。それともし、私の考えが甘かったり、間違っていたりしたらちゃんと言って下さいね。」

 “これで説明になりますか?”と心配そうにする里桜に、リナは優しく笑う。

「はい。かしこまりました。それでは、お言葉に甘えさせて頂きます。」
「因みに。としこさんには参りました。できれば今後つかず離れずでやっていきたいです。」
「リオ様お顔に出ていらっしゃいましたよ。あと、少ししたらアラン様と兄が今後の説明をしに参りますので、その間に軽食をご用意致しましょうか?」
「はい。お願いします。」
「では、御前を失礼致します。」


∴∵


 ふかふかのベッドに寝そべり、利子はゆっくりと思い返す。
 私はきっとここの救世主に違いないはず。多くの作品の設定では異世界転生者を王の正妃にしようって言う動きがある。そして転生者の懐に入り込んで王室も抱え込もうと画策している貴族がいる。
 たぶんその貴族が昨日早速声をかけてきたジェラルド伯爵とハワード侯爵子息ってところかな。“入り用のものは声かけてください。ご用意致します”なんて言ってたし。
 なんだか本当に一発逆転。私って勝ち組になったってことよね。あのただの渡り人には親切にしなくちゃ。殺されたりしたくないし、恨みは買わない方がいいもんね。


∴∵


「クロヴィス、どうだった?」

 レオナールは、執務室にクロヴィスを呼んで尋ねた。

「トシコ嬢は、自分は自力でも勉強が出来るから、アナスタシア嬢をリオ嬢の先生にして下さいだとさ。」
「それで、クロヴィスはどう思うんだ?」
「教育が必要なのはリオ嬢よりトシコ嬢の方だと思うけどね。救世主なんだから。」
「シルヴァンの妹のリナを侍女として手配したのだが…」
「あぁ。リオ嬢の侍女か…どこかで見た事のある顔だと思った。そっくりな兄妹だな。」
「リナはリオ嬢の方を選んだのか…」

 レオナールは、机に肘を付いて手を組み何かを考えている。

「お前、侍女に選択権を渡したのか?」
「シルヴァンも切れ者だが、妹もなかなかの切れ者だぞ。学院時代は楽しませてもらったよ。」

 クロヴィスは、 ‘ふーん’ と軽く返事をした。

「話はかわるけど王室史書にある魔石・・・見せてもらったが、あれが本当に魔石なのか?」
「いや、俺は見ていないからなんとも…でも大叔父上は興奮してたぞ。・・・しかし、救世主の適性がある者が見たら特別な石で、それ以外のものが見ると何の変哲もない石なんだろう?ある意味、お前が何も感じないのは仕方のない事なんじゃないのか?」
「そうなんだよ。触らせてもらったが、ガラスの様に透明で歪みもなく、この世界では考えられないくらいの大きさの割に軽い石だった。そう言ったら、トシコ嬢はにっこり笑って、 “ですよね” って言ったんだ。彼女にも同じように見えてるみたいだ。」
「…。」
「それと、リオ嬢のピアスなんだが…ピアスの石にしてはただのガラス玉にしか見えないんだ。ティアドロップ型の何のおうとつもないガラス玉。まぁ、キレイじゃないこともないが、そんな無色透明のガラス玉のピアスを選ぶだろうか?ああ言うのは普通宝石の類いだろ?」
「リオ嬢はなんと?」
「いや、何も聞いてない。ただ、魔石とはそういうものではないかと、頭をよぎっただけなんだ。」
「なぁ。二人の洗礼は結局いつになるんだ?」
「それが、アルが言うには・・・」

 クロヴィスは、アランとの会話を思い出した。


∴∵


「洗礼をしたくないなんて言ったのか?」

 アランはつい、口調がいつも通りになってしまった。それに気がついて笑いそうになったシルヴァンは慌てて紅茶を口にした。

「はい。だって、としこさんが救世主なら、その…呼ばれる切っ掛けになったこの国を守る結界も一人で張る事ができるんですよね?私が無駄に力を手に入れる必要もないかと思って。」
「まぁ。でも、洗礼を受けないと・・」
「はい。トゥーレーヌ宰相とヴァンドーム団長からうかがいました。洗礼の証明書がないと成人として扱われず、市井でちゃんとした職にも就けないって。」
「まだ、市井で働く事諦めてなかったのか。」
「はい。この世界での私の野望です。」

 二人は呆れた様に笑った。

「宰相と近衛団長にもお話しましたが、私の身には重すぎる力なんですよ。人より力を持つ事は責任も同じように持たなくてはいけないし、守るものも大きくなる。今までの私はこう・・」

 里桜は両手を精一杯伸ばした。

「手を広げれば全てに触れられるような、そんなちっちゃな世界を守るだけで精一杯だったんです。逆に言えば、そこが幸せであれば私は幸せだったんです。それが突然、国を守るとかそんな…」

 アランとシルヴァンは互いに顔を見合わせた。

「あぁ。そうだな。こちらの都合で突然呼ばれてこんな風に俺たちを守れ、国を守れ。そんな風に言われたってそりゃ、戸惑うよな。うん。わかった。陛下に相談して、洗礼の日は決めよう。リオ嬢の心が決まってからでも良いと仰ってくれるだろう。」


∴∵


「そうか…それで、リオ嬢の洗礼はもう少し後にしたいと…」
「あぁ。リオ嬢自身は洗礼自体をしたくないようで、とは言えしないとどうにもならない事も理解をしたようだ。アルやシルヴァンも今は混乱しているだろうから、無理に行うのではなくて、もう少し時を置いて気持ちが落ち着いてからにしてはどうかと。」
「トシコ嬢も時を置いた方が良さそうなのか?」
「反応が真逆なんだ。いつ洗礼を行うのかと、侍女を介して問い合わせるほどだ。洗礼への心の準備はもう出来ていると。」
「ほう…そうか。まぁ。どっちにしても、この世界や国の事を勉強してもらわねば何も始まらない。アニアとマジェンダ伯爵家令嬢の手配をよろしく頼む。」

 クロヴィスは、ひとつ頷いて執務室を後にした。