「……ぉい……おい……おーい!」

「んっ……眩しっ」

 目を開けると、前のシートが倒されており、スライドドアの奥から俺を呼ぶヒロの姿が見えた。

「柚着いたぞー」

「……早くない?」

 今日の気温は33℃。

 朝見ていたニュースによると、刺すような陽射しに、肌がじりじりと焼かれるような感覚らしい。

 だから、可能ならもう少し、もう少しだけ、この涼しい車内にいたい。

「君ねぇ、2時間は寝てたぞ?
 だ・か・ら、降りてこーい!」

「あっ、えっ、ちょっと……」

 無理やり車外へ引っ張り出された俺。

「ゆ、夢……?」

「残念、これが現実なんだよな」

 視界に映るのは、どこまでも無限に続く青い海。

「じゃあ、私たち着替えてくるから」

「行ってきまーす!」

「了解!」

 なんだろう。
 海を見ていると、悩みなんて忘れてしまいたくなる。

「綺麗……」

 そんな海から、俺は目が離せなくなってしまった。

「はいはい、俺たちも着替えに行くよー!」

「おっけー!」

「くぅぅぅぅ、早く泳ぎてぇ!」

「俺ナンパしちゃおっかなぁ」

 ヒロは、鈴木、佐藤、松永を連れ、更衣室へ向かった。

 なぜ俺だけ呼ばれないのか。
 大丈夫、安心して欲しい。

 実は昨日、こんなやりとりがLIMEで行われていた。

 ピロンッと着信音がなり、俺は携帯を手に取る。

「ヒロか」

『明日、柚は水着着てきた方がいいかも』

『分かった』

『更衣室まで結構距離ある』

『情報提供感謝』

『あと、ちゃんと起きろよ』

『うん』

 流石はヒロ。
 少しでも俺の体力を残そうと、こんな工夫をしてくれるなんて……。

 ただ、1人残されたら残されたで、気まずいこともある。

「お兄ちゃん、ヒロ兄のお友達?」

「ん? そうだよー」

 俺はヒロの妹に声をかけられた。

 ってか、ヒロ兄って呼ばれてるのか。
 なんか可愛いな。

「お兄ちゃん何歳?」

「僕はねぇ、16歳だよ」

 この子は真由ちゃん。
 ヒロの8つ下の妹だ。

「お兄ちゃんヒロ兄より歳上!」

「うん、そうだね。僕は4月生まれだから」

 子供の相手なんてした事ないのに……これで合ってるかな。

「こーら、お兄さん困ってるでしょ。
 ごめんなさいね」

「いえいえ、ちょうど暇してたので寧ろ感謝です」

 こちらにいらっしゃる礼儀正しい美人さんは、ヒロのお母様だ。

「ママー!」

「はーい」

 この方を一目見た瞬間、ヒロが生まれてきた理由が分かった。
 だって、モデルしてますって言われたら納得しちゃいそうだもん。

 それに……。

「柚さん!」

「はい?」

「今日は来てくれてありがとうございます!」

 この子もいるし。

 こちらにいらっしゃる同じく美人さんは、ヒロのもう1人の妹だ。
 歳は確か、ヒロの1つ下だっけ。

「寧ろ連れてきてもらっちゃって、ありがとうございます」

「いえっ、全然大丈夫です……!
 わ、私着替えてきますね!」

「はい。お気をつけて」

 この子を見たのは、ヒロの家に初めて行った時だった。

「ヒロ、この写真の子誰?」

「あーそれ、俺の妹。可愛いだろ?」

「うん、すごく綺麗だと思う。モデルやってるとか?」

「いや、してないよ。でも、スカウトされたことはあるって言ってたような」

 なんて会話をしていると、ドアが開いた。

「お兄ちゃん、お菓子とジュース持ってきたよ」

「おっ、ありがとー!」

 そこにいたのは、写真の中にいた美人さん。

「貰うねー」

 ヒロはお盆ごと受け取ると、テーブルの上に置いた。

「初めまして、柚です」

「初めまして……私は、ヒロの妹の……妹の……」

 ふと目が合うと、なぜか彼女は黙ってしまった。
 それに心做しか顔が赤くなっていた気がする。

「あ、あのー……」

「し、失礼しますっ!」

 突然力強く閉められたドア。

「あーれー? さては柚、やっちまったな?」

 なぜかヒロはニヤついている。

「えっ、俺なんか悪いことした? 今の短時間で怒らせちゃった?」

「なーんてな。別に気にしなくていいぞ。
 それより、このゲームやろうぜ!」

「う、うん……」

 人と接するのは難しい。
 この時確か、そう思ったんだっけ。

「懐かしい」

「へぇ、そんなことがあったのか……」

「はい……って、ヒロのお父さん!?」

 防潮堤に手を付き、俺の横で佇むヒロの父。
 いつの間に……。

「君なんだろ? 柚くんってのは」

「はい、そうですけど……」

 隣でアロハシャツが揺れている。
 何とも男らしい。

「ほれっ、ジュースやるわ」

「おっとっと、ありがとうございます」

 俺は早速、キンキンに冷えたオレンジジュースを1口。
 うん、控えめに言って最高だ。

「ほんでな柚くん、うちの子と仲良くしてくれてほんとありがとうな」

「えっ?」

 それ、完全に俺の父のセリフなんだけど。

「俺はてっきり、ヒロに友達出来ねぇんじゃねぇかと心配してたんだよ」

 だからそれ、完全に俺の父のセリフなんだけど。
 今も多分心配してるだろうし。

「だってあいつ、変だろ?」

「まぁ、そこは否定しないです」

 あまりの話しやすさに、スラスラ言葉が出てくる。
 恐るべきコミュ力だ。

「すーぐ階段で寝るし、盛り上げ上手だし」

「分かります分かります」

「でも、その癖大人数が苦手とか」

「分かります分かります……えっ?」

 ヒロって、大人数苦手なの……?
 じゃああの、体育祭の時の胴上げは一体……。

「だからよ、俺は1つアドバイスしたんだ」

「アドバイス、ですか?」

「そう。1人、親友を作れってな」

 親友……か。

 確かに、ヒロがいなければ俺は今頃、教室の置物になっていたことだろう。

「まぁそんな訳で柚くん、これからもヒロのことよろしくな」

 そう言うと、ヒロの父は優しく笑った。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 今日俺は、海に来てよかった。
 まぁ、まだ泳いですらないんだけど。

 俺は海が好きだ。
 人の意外な一面を見せてくれる、そんな海が好きだ。