とある大国に、神と聖剣に選ばれし勇者が誕生した。
 その数日後、勇者は魔王の討伐の準備のため、とある公爵邸の庭園で……。

『勇者よ』
「お嬢様、本日の紅茶は西方大陸が産地の茶葉です。フルーティな香りが特徴で、陽射しが爽やかな本日にはぴったりでしょう」
「そうね……?」
「一杯目をお()ぎします」
「え、ええ……」

 ……公爵家の令嬢セルシア相手に優雅にお茶を注いでいる。
 
『おい、勇者よ』

 厳かな声で彼らの脳内に直接呼び掛けているのは、東屋の床に虚しく横たえられている聖剣だ。

 黒髪黒目に若干幼さの残る優しい顔立ちの執事が、勇者と呼ばれし少年アラン。
 しかし、彼はセルシアの執事としての役目に没頭している。
 セルシアは戸惑いがちに鞘に収められた聖剣を一瞥したあと、上目遣いに執事アランを見つめた。

「あの、アラン?」

 セルシアは、ウェーブのかかった金の髪と吊り目がちの組み合わせから、性格がキツそうな印象を持たれることが多い。
 陰では悪役令嬢顔とまで言われている彼女だが、性格は穏やかだ。
 そんな外見とは反対な控えめな仕草は、とても良く引き立つ。

「うっ!」

 セルシアからの思わぬ上目遣いに、アランがぐっと胸を押さえた。

「お嬢様が! 可愛すぎます……!」

 そう言うアランも整った顔立ちなのだが、本人は気にしたことはない。
 ちなみに童顔のため、周囲からは可愛がられている。

「だ、大丈夫?」
「愛おしさに思わず動悸が激しくなりかけ……。い、いえ、なんでもありません」
「そ、そう?」
『勇者よ、そう言うのは小声で言うものではない。相手に伝わらんぞ』
「聖剣の言う通りだわ。体調が悪かったら言ってちょうだい?」

 アランの小声をバッチリと捉えた聖剣のツッコミは、セルシアによって体調が悪いと解釈された。

「お嬢様……! ありがとうございます。無理はしておりません」

 セルシアの優しさに感動したアランは、相変わらず一貫して聖剣を放置している。

『我への返事はないのか、勇者よ』
「焼き菓子もご用意いたしました」
「! いただくわ」

 それまで聖剣の呼びかけを気にしていたセルシアだが、アランのお菓子の一声でコロッとそちらに夢中になった。

「お口に合いますか?」
「ええ! アランの焼き菓子は頬が落ちるくらい美味ですもの」
「か、かわっ……ふぐっ!!」

 キツイ顔つきながらも優しく微笑んで焼き菓子を食べるセルシアのあまりの可愛さに、アランが地に崩れ落ちた。

「アラン!?」
『勇者よ、また発作か』

 呆れた口調の聖剣の言葉に、セルシアは慌てて椅子を立ち上がった。

「発作!? あなたどうして今まで黙っていたの!?」
「えっ、いや、これは病気では……」
『ある意味病気だろう』
「そんな、急いで医者に診てもらわないと!!」
『そうだ! その手の専門家に診てもらえ! その煩わしい病(恋の病)を相談して、サッサと告白して爆ぜろ!』
「だめよ、爆発しては!」
「ちちち違います、お嬢様! 私は至って健康体です!」
「なら、どうして倒れそうになったの?」
「これは……えっ……と。そ、そうです! 私は時折聖剣に魔力を吸われていて、それのせいなんです!」
『我に責任をなすりつけたな?』
「そ、そうなの? 大変だわ!」
『小娘よ、簡単に信じるでない』
「えっ? アランが嘘をつくわけないもの。ね?」
「……は、はい。お嬢様、私は魔力もかなりあるので、心配の必要はありませんよ……」
「ほんとう?」

 シルシアに覗き込まれたアランはまた胸を押さえそうになるが、ますますセルシアが心配しそうなのでグッと堪えた。

「ほ、本当です。私のことよりも、お茶が冷めてしまいます」
「お茶よりも私はあなたのことが……」
「……私は大丈夫ですから。お菓子もお嬢様のために心を込めてお作りしましたので、お召し上がって頂きたいのです」

 セルシアは不安そうにしていたが、アランの説得に負けて椅子に座り直した。

「あなたも一緒に食べない?」
「……しかし……」
「これは命令よ?」
「め、命令なら仕方ありません!」

 などと言いつつまんざらでもないアランは、セルシアと同じテーブルに着席した。

「……平和ですね」
「そうね。魔王が復活したなんて嘘みたいだわ」

 ふたりでのんびりとお茶をしていると、聖剣の叫び声がふたりの脳内に響いた。

『勇者よ! 我の話を聞けーー!!』
「…………………………」

 ひたすら無視を続けるアランに、セルシアは聖剣を気の毒そうに語りかけた。

「……ところで。聖剣が必死にあなたに呼びかけているわよ……?」
「お嬢様……。この場には勇者なんていません。私の名を呼ぶのはお嬢様だけでございます」
「え? でもアラン、あなた先日勇者に選ばれ……」
「……でも、そうですね。外野があまりにもやかましいため、早急に対処します」
「えっ?」
『へあっ!?』

 アランは聖剣を逆手に持って上空に投擲(とうてき)しようとする。

「魔王城目掛けて廃棄すれば、目的地に到達出来る分、聖剣も文句は言わないでしょう」
『聖剣だけ敵のもとに向かってどうする、この大バカ者!!』

 アランが真顔で腕にグッと力を込める。
 あまりにも本気に見えるため、聖剣とセルシアは慌てて静止した。

『うわ! まてまてまてまてーーいッ!!』
「そ、そうよ! 聖剣にそんな無体ことをしてはいけないわ!」
「お嬢様……!」
『そうだそうだ! 良く言った、小娘よ!』
「素敵なレディであるお嬢様が小娘、ですって? ……脳内でガタガタとうるさい鉄くずですね。薔薇の支柱にでもしてやりましょうか?」
『おまっ! 我が神聖なる刀身を、土に突き刺すな! 我が纏って良いのは鞘と、勇者の闘志……うわ、なにをする! やめっ、やめろー!!』

 ザクッ。
 と言う小気味よい音を立てて、聖剣は花壇に突き刺さった。

『……』

 太陽の光を受けてキラキラと輝く白銀の刀身が、花壇に咲く花々をより一層輝かせ始めた。

「さて。大人しくなりましたね」
「……そう、ね?」
「庭園がより輝いて美しくなった気がします。あそこが彼の居場所だったんでしょう」
「そう……かしら? それとアラン、花壇を荒らしてはダメよ?」
「申し訳ありません……ついカッとなって」

 爽やかな微笑みを浮かべて戻ってきたアランを嗜めるセルシアだが、どこかちょっとズレている。

「どうして聖剣は静かになったのかしら?」
「長い間石碑に刺さっていたのが、トラウマらしいですよ」
「聖剣のトラウマ」
「とにかく何かに突き刺さるのがイヤみたいです。突き刺す方は許せるらしいんですが」
「……どう違うのかしら?」
「分かりません。とにかく、早く魔王討伐に行けとうるさい日は、こうして静かにさせています」
「……アラン……」

 紅茶をひとくち口にして、セルシアは不安そうにアランに問いかけた。

「アランは魔王討伐に……行かなくて大丈夫なの?」
「行きませんとも。私の仕事はお嬢様にお仕えすることですから」
「でもね、勇者に選ばれたのでしょう?」
「石碑に突き刺さった聖剣を、早く帰りたい一心で力尽くで抜いただけなのですよ」
「あのね、アラン? ふつうは力尽くでも抜けないのよ?」
「お嬢様のためなら、それくらいやってみせます。世界だって滅ぼせますからね」
「ふふっ、大げさね。……でも、本当は嬉しいわ。あなたがまだまだそばにいてくれて」

 どこか不安そうにしていたセルシアは、アランとの会話でほんの少しだけ笑顔になった。

「でも、近いうちに旅に出てしまうのね……」
「お嬢様……。大丈夫です、私はずっとおそばにおりますから」

 ふたりのちょっぴり切ない会話の隅で、聖剣は大人しく黄昏れていた。

『勇者よ……。お前、旅立つつもり本気でないだろ……』