「あ、あの、わたし……」
 九條 錬の胸にうずめていた顔を上げて、さっき言われた言葉の意味をたしかめる。彼はきらきら光り続けるひとみを、まっすぐわたしに向けている。
 まだ会って数分しか経っていないのに、この急接近は何? 夢を見ている? ああ、そうだ。きっと夢なんだ。だってありえないもん。
 九條 錬が指先でわたしのあごを上げて、さらに顔を近づける。
 こんな恋人同士しかしないこと、ファンと推しの関係のわたしたちにはありえない。
 でも、夢ならいいよね。せめて夢の中でなら―。
「なっ、なっ……何をやっとるんじゃああああ!」
 とつぜん開いたふすまの向こうで、茨木さんが鬼のような形相でさけんだ。
 それもそのはず。だって、わたしと九條 錬はがっつり密着したまま……。
「ひぃ!」
 九條 錬をつき飛ばすように押して、なんとか離れる。
「あの、これはですね。わたしが料理を持って来て、それで……じ、事故なんです! そう、事故なんですよ!」
 必死で状況を説明するけれど、茨木さんの目はどんどんつりあがっていく。
「事故~? あのね、ファンはみんなそう言うのよ! 心配だから様子を見に来てみれば……今から警察に電話するわ」
「いやあ! それだけはごかんべんを!」
「錬、こんな危ないファンがいる宿なんてさっさと出て行くわよ! 今すぐ荷物をまとめて!」
「やだね」
 ぺろっと、いたずらっ子のように舌を見せる。
「ぼく、見つけちゃったんだ。運命の人間を」
「運命の人間……? ええ! まさか、この子が?」
「そう。ていうか、さっきのぼくらの姿を見て気がつかなかった?」
 そう言いながら、わたしのうでをつかんで引き寄せる。しかも、ほおとほおをぴったりくっつける。
「ほらね。この子、ぜんぜん大丈夫なんだよ」
「本当だわ。まさか、この世界にこんな子がいるなんて……」
 二人の意味不明な会話にはさまれて、顔が引きつる。いったい何の話をしているの?
「えっ? えっ? 何なの?」
 そもそもどこが大丈夫なの? 背中は冷や汗でびちょびちょだし、心臓は爆発しそうなほど鳴っているし、もう今にも死にそうなんですけど! 
 ていうか、茨木さんはわたしたちの密着を止めなくていいの? さっきからずっと口をあんぐり開けて、一時停止していますけど。
「これが夢じゃないなら、この子が “特異体質” の持ち主……」
「そうなんだよ。これでもう―」
「あのっ、勝手に話をすすめないでください!」
 またまた九條 錬から逃げ出して、今度は窓のカーテンにくるまってかくれる。
「わたし、自分では礼儀正しいファンだって思ってます! こんなやり過ぎのファンサービスでだまされたりしませんから!」
 すると、茨木さんがあきれたようにため息をつく。
「この子にまだ話してないの?」
「そうだっけ。そうかも。ぼく、ついうれしくて興奮しちゃって」
 九條 錬の笑顔に、落ち着いたはずの心臓がまたバクバクし始める。
 だ、だめ! これは何かのドッキリ企画にちがいない! そこらじゅうにカメラをかくして、わたしを笑いものにしようとしているんだ。
「まったく。変なカン違いして、この子があなたを本気で好きになったらどうするのよ。大変なことになるわ」
 茨木さんの一言に、カチンとくる。
「わたし、カン違いなんかしません! 推しのアイドルに迷惑がかかるようなこと、ぜったいしませんからご心配なく!」
「ああ、そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど……もう錬ったら。話がややこしくなってるじゃない」
 茨木さんに怒られて、九條 錬はうなだれる。
「そっかあ。ぼくがちゃんと説明しなかったから、混乱させたね。あのね、ぼくときみはぜったいに結ばれない運命なんだ」
 ズドンッ! 一気に胸を突きさされた……分かってる、分かってるんだけど……。
「あの、わきまえてるんで。もう言わなくて大丈夫です」
「大切な話なんだ。ぼくときみはアイドルとファンっていう関係以上に……」
「だからいいです! 聞きたくな―」

「ぼく、エイリアンなんだ。地球人じゃない」


 ……今、なんと?

                   ***

「つまりね、アイドルの九條 錬は、発光星という地球以外のべつの星から来たエイリアンなの」
「……」
「発光星人はとくべつなオーラ……いいえ、特殊な光をつねに体から発しているの。それはわたしたち地球人をつよく惹きつける大きな力を持っている。だから熱狂的なファンが多いのよ」
「……」
「だけど、その光にはあぶない面もある。あまりに近づき過ぎたり、体に直接触れたりすると、失明したりやけどをしたり……とにかく体をこわすおそれがあるの」
「……」
「だから、接触・接近禁止のルールを、ファンにはぜったい守らせている。だけど……」
 びしっ! 茨木さんは勢いよく、わたしの顔面を指さす。
「あなたは無事だった。つまりあなたは、この地球上で唯一、九條 錬というエイリアンに対応できる特異体質の持ち主ということ。分かってくれたかしら?」
「いえ、ぜんぜん分からないです……」
「何でよ!」
 いやいや! 分かる方が無理だから! ずーっと話を聞いてて、いっこもうなずけなかったよ?
「九條 錬さんがエイリアン? 宇宙人? 発光星人? 何それ、何それ!」
 今さらだけど、頭を抱えて大パニック。
「これ、ドッキリ番組の仕掛けですよね? カメラが設置してあるんですよね?」
「うーん、やっぱりすぐには信じられないかあ」
「はあ~。このままあることないこと言われても困るし、きっちり証拠を見せるしかないわね」
 茨木さんがすそをまくった素肌の見える腕を、九條 錬にさし出す。
「錬。触れてみなさい」
「え? いいの?」
「証拠のためよ。でも、軽くだからね」
「うん……じゃあ」
 今から何をするっていうの? 九條 錬はおそるおそる、自分の指先を茨木さんのうでに近づける。
 ちょんっ―触れた瞬間、「あつっ」と茨木さんの小さな悲鳴といっしょに、ジュッと焼ける音がした。
「ほら、見なさい」
 茨木さんのうでには、九條 錬の指の形と同じ赤い痕がはっきり残っている。
「え? こ、これって何かのマジ―」
「マジックとか言わないでよね。本当にヤケドしているから」
「でも、そんな高熱を持った人間がいるわけないじゃないですか」
「だからエイリアンだって言ってるでしょ! もうっ、錬。あれも見せてやりなさい」
「茨木、今日は大胆だねえ」
 九條 錬は楽しくなってきたような口ぶりで、首にかけているネックレスを外す。
 円盤ネックレスだ。九條 錬がつねに身につけているネックレスで、ファンたちが(わたしもね)、おそろいにしようとのどから手が出るほど欲しがっているんだけど、どこにも売っていない幻のネックレス。
 九條 錬はチェーンを外すと、円盤だけをにぎりしめる。
「いくよ。ちゃんとキャッチしてね」
「え」
「せーっの」
 なんと、円盤をわたしに向かって投げた!
 推しの大事なものを落とすわけにいかない! 一歩、足をふみ出して必死にうでを伸ばす―、

 ボンッ!

 とつぜん、円盤が爆発したような音を出した! 白いけむりをもくもくと広げる。
 か、火事? わたしたち家族の大事な民宿が燃えちゃ……んんん?

 けむりが晴れていく中、今にも天井を突き破りそうな巨大な銀色の円盤が、わたしの目の前で浮かんでいる。
 ウィンウィンと聞きなれない音をたてながら、ぐるぐるぐ回っている。
 わたしは、腰がぬけてその場にへたり込む。
「こここここっ、これははははっ……」
「地球で言うところのUFOだね。ぼくはこれに乗ってやって来たんだ」
 円盤の向こう側で、九條 錬が自慢げに話す。
 今まで、エイリアンとかUFOを調査する番組や動画を見たことがあるけど、どれも信じたことなんてなかった。どうせ作り物でしょって。
 だけど、今わたしの目の前で浮かんでいるこの円盤は作り物なんかじゃない。CGでもない。
 リアルなUFOだ。
 声は出なくて、口は金魚みたいにただパクパクしている。
 九條 錬が円盤についているボタンを押してネックレスの大きさに戻してくれてから、ようやくしゃべれた。
「じゃじゃじゃっ、ほほほっ、ほんとにエイリアン……?」
「そう。やっと信じてくれた?」
 信じたっていうか、ありえないっていうか。
 とにかく、九條 錬が「ただの人間じゃない」っていうことだけは分かった。
「な、何で地球に来たんですか? まさか、シンリャク? ジンルイメツボウ計画?」
「まさか。ぼくはただ―」
「ちょっと待って」茨木さんが止める。「その前に、あなたの正体も教えてもらわないと」
「わたし? え、ただの中学生ですけど……」
「そんなわけないでしょ。錬に触れても平気なんてありえない。あなたもべつの星から来たんじゃないの?」
「そ、そんなわけないじゃないですか! ふつうに地球に生まれて、地球で育ってます!」
「でもね~」
「まあまあ」今度は九條 錬が間に入る。「今分かんないこと考えても仕方ないじゃん。ぼくが地球に来た理由が知りたいんだよね? あのね、お金をかせぎに来たんだよ」
「お、お金?」
 意外な答えに、声が抜ける。
「ぼくの家、地球で言うところのビンボーだからさ。アイドル業でかせがなくちゃいけないんだよ」
「じゃあ今まで、みんなを笑顔にするためにアイドルになったっていう話は? ファンの笑顔が一番ほしいっていう発言は?」
「えーっと……」
 九條 錬は困ったような顔をする。どうしようって、茨木さんに助けまで求めている。
 うそなんだ、全部。
 わたしが知っていた九條 錬は、もうどこにもいない。同じ人間で、それなのにとくべつきらきらしていて、ファンの笑顔を一番好きでいてくれるアイドル。
 本当は、お金をかせぐためにしかたなくアイドルをしているエイリアン。
 そんなのって、そんなのって……。
 勝手に、一筋のなみだがほおをつたう。
「「!」」
 九條 錬と茨木さんが、わたしのなみだにびっくりする。そしてあたふたし始める。
「最初だけよ! お金目当ては最初だけ! 今はちがうわ。そうよね、錬?」
「もちろん! 今はお金なんかよりも、ファンの子の笑顔が一番だって思ってる!」
「何でそんなうそをつくんですか」
「うそじゃないよ!」
「さっき、お金のためだってすぐ答えたじゃないですか。わたしは、わたしは……」
 こぼれるなみだをぬぐって、九條 錬をまっすぐ見つめる。そして、今の正直な気持ちをぶつける。
「九條さん。わたしは今」
「なっ、何?」
「すごくうれしいです!」
「……え? う、うれしい?」
「はい!」
 笑顔でうなずくわたしに、すっかりポカーンとする二人。九條 錬は、茨木さんにこそっと耳打ちする。
「あのさ。地球人って、こういう時は怒るものじゃないの?」
「ふつうはそうなんだけどね……やっぱり、彼女もエイリアンなのかしら」
 二人は分からないってかんじで首をかしげ合っている。
 たしかに、地球の一般人なら、「ひどい!」とか、「信じられない!」とか、めちゃくちゃ怒ると思う。
 でも、わたしはちがう。なぜかって?
 だって、だって、だって……。
 あの九條 錬が、わたしにだけヒミツを打ち明けてくれたからあああ~!
 ファンとして、こんなうれしいことある? なみだが止まらないよお~!
 興奮しすぎて全身がふるえる。
「いいですか? 本物のファンっていうのは、ちょっとやそっとのことでゲンメツしたりしないものなんですよ!」
「茨木。これは、よろこんでいいんだよね?」
「ちょっと危険な香りもするけれど……まあいいでしょう。ところであなた、ヒミツは守れるわね?」
「もちろんです! 何度も言いますけど、推しに迷惑がかかることは絶対にしませんから」
 どんっと胸をたたいて、宣言する。
 すると二人は何やらコソコソ話をし出しす(あれ? やっぱりあやしまれてる?)。「ねえ、あの計画にちょうどいいんじゃない?」「でも会ったばかりなのよ」「でも、こんな出会いは二度とないよ?」「そうね……分かったわ」うなずき合う二人。なんか、話し合いが終わったみたい。
 九條 錬がふり向く。その目がとても真剣で、体中に緊張が走った。スタスタッと近づいてくるなり、わたしの手をとった。
「へっ? な、何ですか? はっ、まさかこのまま警察に連れて行くつもりで……」
「きみをどこにも行かせないよ。大切なお願いがあるからね」
「お願い?」
 ただの地球人で一般人のわたしに、お願いごと?
 九條 錬はあやしげに目を細める。
「あのね、記者会見に一緒に出てほしい」

 
 ハイ……?