「はいこれ! 九條くんの部屋まで持っていってね!」
 白いガーベラ柄のトレーに、ぎゅうぎゅうにのせられた夕食の品々。まろやかそうな卵焼き、ジュージューと焼ける音がまだ響いているハンバーグ、白く光るご飯……今できるメニューをありったけ作りました! ってかんじ。
 あ、これわたしの夕食じゃないから。一時間ほど前に食べたばっかりだし。
 これは、わたしの家―民宿【九ノ里の宿】に泊っているお客さんに出すお料理。
 それも、チョー、チョー、スペシャルなお客さん……なんと、わたしの推しである国民的アイドルの九條 錬が泊っているの! 
 背が高くって、踊りも歌もめっちゃくちゃ上手くて、何よりオーラがすごい。
 かがやいている? 光に包まれている? 何て言ったらいいか分からないけれど、とにかくきらきらしているの。
 大ファンだからって、大げさに言っているわけじゃないよ?
「よし……行ってくる」
 受け取ったトレーを持つ手がふるえているのを、ママは見逃さない。
「お料理をこぼしたり、途中でころんだりしないようにね」
「ちゃ、ちゃんと届けるよ!」
「本当はママが行きたいくらいなのよ。でもほかにお客さんがいるから、しかたなく三奈にたのんでいるの。しかたなくよ」
「何度も同じこと言わないで!」
 ママったら、相当くやしいみたい。九條 錬のファンに、世代は関係ないからね。
「心配だわあ。あなたに九條くんのお世話を任せるのは……」
「待って、待って。当然でしょ? わたしが九條 錬を招待したんだから」
 胸を張っていばる。まあ、マネージャーさんと一緒に玄関に入ってきたところを、たまたまわたしが一番最初に出迎えただけなんだけど。
 何でも、予約していたホテルに泊れなくなって困っていたらしい。マネージャーさんも一緒に泊ろうとしたんだけど、九條さんがかたくなに断わって……。
「ぜったい、内緒だからね!」
 マネージャーさん―茨木さん(名刺もらっちゃった)は何度も何度も念を押して、さっき自分の家に帰って行った。 
「冷めちゃいけないから、もう行くね」
 ささっと厨房から出て、二階の九條さんの部屋へと向かう。
 いや~、ほんと奇跡だなあ。推しがわたしの家にお泊りなんて……夢みたい! 今までは「家が民宿なんてな~」って思ってたけど、パパとママに感謝しなくちゃね!
 おみそ汁を一滴もこぼさないよう、彼がいる突き当りの部屋までゆっくり歩く。
 ふすまの前に到着すると一度トレーを置いて、ひざをつく。そして、「んんっ」とのどの調子をととのえてから、声をかける。
「し、しぃちゅれいします!」
 あ、かんじゃった……い、いや落ち着け。また言い直せばいいんだから。
「しつれ―」
 その時、部屋の中から勢いよくふすまが開いた。
「きゃっ……」
 ま、まぶしい! オーラがっ、オーラがまぶしすぎる!
「えっと、何?」
「あ、あの、ご飯を持ってきて……」
「ああ。じゃあ、そこに置いておいて」
「い、いえ! 運ばせていただきます! 大丈夫です!」
 トレーを持ち直して、立ち上がる。
 わ、わたしが、推しの部屋に……ああ、考えるだけで足がふるえる。
 つんっ―。
「あ」
 足の指の先が段差に引っかかった。
 体は前のめりにたおれ、トレーは指先から離れていく。まるで、スローモーションみたい。九條 錬の顔は、今まで見たことがないほどびっくりしている。
 思わず、ぎゅっと目を閉じる。
 ああ、サイアクだ。推しの目の前でこんな恥をかくなら、ママにたのめばよかった―。
「……ねえ、きみさ」
 推しの困ったような声で、目を覚ます。
 顔を上げると、九條 錬の鼻にぶつかりそうになった。
「え」
 なんとわたし、九條 錬に抱き止められているじゃないですか……! 
 顔が真っ赤に染まって……いや、むしろ逆。ぷっくりほおの中の血をストローで吸われているみたいに、サァーと青ざめる。
「ごごごごっ、ごめなんさい!」
 あわてて離れて、距離をとる。
 九條 錬のファンには、ぜったいに守らなくてはいけない二つのルールがある。
 ①一メートル以上、近づいてはいけない。
 ②ぜったいに体にさわってはいけない。(握手もダメ!)
 これは公式ルールで、九條 錬本人からの大事なお願い。
 なのにわたし、二つともやぶっちゃったよ~!
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 たたみにおでこをこすりつけて、必死に土下座する。
「わざとじゃないんです! お願いですから、警察だけは呼ばないでください!」
「いや、それより―」
 半泣きであやまるわたしに、なぜか九條 錬の方から近づいてくる。しかもわざわざひざをついて目線を合わせ、まるで逃げられないように両肩までつかんで。
「!」
「きみ、ヤケドしてないの?」
「へっ? ヤケドですか? いや、料理はかぶってないので……」
 ひっくり返ったトレーの周りでぐちゃぐちゃになっている料理。せっかくママが一生懸命作ってくれたのに、台無しにしてしまった。
「今すぐ片づけて、べつのご飯を用意をするので―」
「待って! どこにも行かないで!」
 ぎゅーっと、抱きしめられる。
 これは―事故じゃない。
 九條 錬から、わたしを強く抱きしめてくれた。どういうこと? どうなっているの? 何のファンサービス?
 パニックでまっ白になっていく頭。だけど、耳元でささやかれた言葉だけは、はっきりと記憶に残る。
「きみは、ぼくの運命の人だ」


 うっ、運命?
 これってもしかして……プロポーズですか?