「錬、準備はいい?」
 茨木さんがメガネの位置を直しながら確認する。
 九條 錬は大きな青い旅行ケースをぽんっとたたいた。
「バッチリだけど」
 それからわたしをふり返る。
「ごめんね。こんなことになって」
「し、仕方ないじゃないですか」
 笑って平気なふりをする。元気に見送らなくちゃ……でも。
 本当はさみしいよ~。
 これからは九條 錬にこうやって気軽に会えない。だって。
「九條 錬、初の全国ツアーよ。気合いを入れて行かなくちゃ」
 多くの人が行き交う空港のど真ん中で、茨木さんは気合いのガッツポーズを見せる。
 全国の会場をまわってイメージ改善とあらたなファンの獲得―っていうのは茨木さんの考えで、九條 錬本人は光の力をコントロールする練習をしたいらしい。
 光の強弱を身につけられれば、ファンと握手や写真撮影ができるかもしれないって。
「ファンの強さを知ったからね。今度はぼくがその期待に応える番だと思う」
「さすがです」
「本当はきみを連れて行きたかったけれど、学校もあるし。それに」
 軽くくちびるをかんで、言葉を区切る。
「ずっと一緒にいるときみに甘えそうだから」
 九條 錬は優しいから、自分が悪者のフリをする。その言葉の本当の意味は分かっている。わたしの役目は終わったってこと。これっきりって意味。
 だから、どんなに会いたくてももう会えない……。
「体調に気をつけて、がんばってくださいね! どこにいても応援していますから!」
 泣いたりしない。悲しそうな顔も、つらい顔も見せたりしない。
「そろそろ飛行機が出るわ」
 茨木さんが腕時計をにらみながら、つぶやく。いよいよお別れだ。わたしは半歩後ろに下がってから、バイバイの準備をする。
「それじゃあ、わたしは……」
「待って」九條 錬に中指と薬指をつかまれた。「また、会える?」
「えっと……ツアーが終わったらってことですか?」
「それもそうだけど。たとえば、また世間をさわがすような騒動が起きたり、ぼくが弱気になって星に帰るとか言い出したりしても……きみに会えるかな」
 不安げに細めた目から感じるのは、あたたかい視線。
 何それ……何で今、そんなこと言うの? わたしの目の奥は、じんわり熱くなる。
 わたしはただのファン。ファンの想いはいつも一方通行で、ぜったいに叶わない。
 だけど、今だけはちがう。わたしもまた九條 錬に会いたい。九條 錬もわたしに会いたいと思ってくれている。
 この想いだけは、一方通行なんかじゃない。
「甘いですね」なみだをこらえて笑顔をつくる。「推しは、ファンから逃げられないものです。たとえどんな星にいたって、あなたに会いに行きますよ」
 そう答えると、九條 錬のほほ安心したようにゆるんだ。
「そっか。それなら、いいよ」
 するり、指をほどかれる。
 九條 錬はくるっと背を向けた。荷物を引いて、搭乗口へと足を進める。ふり返ったりしない。まっすぐ、自分の未来へと向かう。
 わたしも、最後まで見送らない。九條 錬とは反対の方向へと歩き出す。
 でもわたしは信じている。二人の道はいつかぜったい交わって、また再会するんだ。
 その時、わたしの推しはこう言ってくれるだろう。

 やっぱりきみは、運命の人だ―って。