「どうして無理やりでも連れてこなかったのよ~!」
 本日晴れ、ときどきカミナリに注意です! って、落とされたのはわたしの真上だけか。
 やり直しコンサート当日、開演まで残り一時間。九條 錬は―現れておりません。
「信じて待つって! けっきょく来てないじゃない!」
「だって~」
「だってもへちまもない! あなただけがたよりだったのに。このまま錬が来なかったら、あなたにステージに立ってもらうからね……」
「ええ! それ、わたしがオンチでリズム感ないの分かって言ってます?」
 お客さんドン引きしちゃうよ。ステージにいろいろ投げ込まれて「帰れ」コールの嵐。ううっ、想像しただけで身震いが。
「九條 錬はぜったいに来ますからっ。それより、お客さんの方は?」
 わたしたちは今、受付のすぐそばのろうかにかくれて様子を見守っている。
「それが、予想よりもだいぶ少ない入りね。途中参加もオッケーにしたけれど、あまり期待はできないわ」
「そうですか……」
 でもそれは覚悟の上。問題は、九條 錬が来るか来ないかってこと。コンサートでステージに立つアイドルがいなかったら、お客さんだって当然来ないよ。
「あら、こんなところでコソコソ何をしていらっしゃるのかしら? また作戦会議?」
「城井さん!」
 黒スーツに白のトレンチコートを羽織って、シャキッと立っている。手には、今日のライブのチケットがにぎられている。
「前のコンサートにも来ていたんですか?」
「当然よ。だってあたしは九條 錬のファンなんだから」
 う、うそくさ~い! ぜったいバカにしてるし。
「ところで、本人はどこにいるのかしら」
「裏にいますよ」すっと茨木さんが前に出る。「大事なコンサートなので、念入りに準備しているんです」
「あら、そう。あたしはてっきり、本人はここにいないんじゃないかって思ってたの。会見で言ったことはぜんぶ勢いまかせのデタラメなんじゃないかしらって。でも、まさかねえ。有能マネージャーで有名なあなたが、お客さんや世間をだまして裏切るようなことしないわよね? そんなことしたら、すぐにクビになっちゃう」
 ぴくっ。茨木さんのほおがだんだん引きつっていく。必死にこらえているんだ。ここでモメるのはダメだって。
 でも、茨木さんをバカにするのはわたしがゆるせない。「あの―」
「もういいでしょう」
 わたしの声にべつの声がかぶった。とてもよく知っている声。みんながいっせいにふり向いた視線の先に、九條 錬が立っていた。
 来て、くれた……わたしたちの推しが、すぐそこにいる……!
「ぼくは見てのとおりステージに上がる準備はできているし、開演までもう少し。コンサートを楽しみたいならもう中に入ってくれません? でももし、ぼくの大事な人たちを傷つけるためにいるなら……帰ってもらえませんか?」
 ほほ笑み顔はくずさないけれど、静かな口調からでも怒りが伝わってくる。それと同時に、彼を包む光が風船のようにふくらんでいっているように見えた。
「なっ、何よ。あたし、お客なのよ? あなたを応援してあげている立場なのよ?」
「応援? どこが……」
 太陽のような光のかたまりが、城井さんに近づく。
 これはマズい―、とっさに二人の間にダイブした。
「もう十分です! くじょっ……お兄ちゃん、ステージに! ステージに行きましょう!」
「未空……」
 光が優しくなっていく。だんだん、正気にもどってくれているみたい。
「ごめん。そうだね、ステージに行こうか」
「ちょっと待ちなさいよ!」ふらふらする体で、城井さんは必死に引き止めようとする。「さっきの光は何だったの? スポットライトでもない、あなた自身が光っているように見えたけど―」
「あの人よ!」
 鈴の音のような凜とした声がひびいた。
 入口に、みつちゃんがいた。それも、後ろに大勢のファンの子たちを引きつれて。
「あの黒髪の女の人がわたしをだまして、九條 錬を悪者あつかいしたの!」
 みつちゃんは、城井さんを指さして必死で訴える。
「本当にいたんだ!」
「サイテーなんですけど!」
「ファンの気持ち利用してだますとかありえないし」
 後ろの子たちも怒り始める。今にもこっちに流れ込んできそうな勢い。
「何よ。何なのよ……もうっ!」
 これ以上立ち向かうのはムリってあきらめたみたい。城井さんはダッシュして、入口とは反対の方向へ逃げていった。
 みつちゃんはわたしと目が合うと、小さく頭を下げた。顔を真っ赤にして、まだくちびるをふるわせている。
 ああ、そっか。本当のこと、みんなに話したんだ。すごいよ、すごい勇気だよ。
 一人のファンの子が、本物の九條 錬の存在に気づく。
「あ~! 本物の九條 錬じゃない?」
「うわっ、マジだ! 今日のコンサートってデマじゃなかったんだ」
「やっぱりカッコいい~! きゃあ~!」
 テンションは最高潮で、みんな大さわぎ! 
 でも、不思議。だれも近寄ろうとしない。
「わたしたちは九條 錬のファンです! だから、ルールは守ります!」
 ちゃんと距離を空けたまま、みつちゃんがさけんだ。
「だって、わたしたちが勝手に好きになったんだもん。ほかのアイドルとはちがうルールがあるって分かってて、それでも好きになった。それはわたしたちのわがままだから。だから、九條 錬も、今までどおり自由にアイドルをやってください! わたしたち、ついていきますから!」
 みつちゃんの言葉に、ほかのファンの子たちもうなずく。
 ちらり。横目で九條 錬を見ると、ひとみがうるうるとうるんでいる。
「……みんな、ありがとう。それから、きみ」
 九條 錬がみつちゃんの方にまっすぐ体を向ける。そしてふかく頭を下げた。
「この前はごめん。つらい思いをさせて」
 わたしはびっくりした。ううん、この場にいる全員の口があんぐり開いている。
 みつちゃんは全力で首を横にふる。
「ち、ちがうんです! わたしがぜんぶ悪くて、あやまらなくちゃいけないのはわたしの方で―」
「約束するよ」みつちゃんの言葉をさえぎって、九條 錬が頭を上げる。「次からはもう、ぜったいにきみを泣かせないから」
 ズキューン!
 九條 錬の真剣なまなざしと名台詞に、みつちゃんほか全員のファンの子たちがハートをいぬかれてかたまっちゃう(わたしもどきどきしちゃった……)。
 茨木さんが「錬」と名前を呼ぶ。「ステージに行くわよ。みんな、待ってる」
「ああ。じゃあ、また後で」
 みつちゃんたちに手をふって、ろうかの奥へと進む。そこから関係者通路を通って、ステージ裏へと出る。
「来てくれてよかったです」せまい通路を歩きながら、本音をこぼす。「ちょっとだけ不安になっていたから……」
「このコンサートを計画した未空や茨木に恥をかかせるわけにいかないからね。それに、やっぱり、今のぼくの居場所はここしかない。そう、思ったんだ」
「ファンのみんなも来てくれましたしね」
「すごくびっくりした。でも、それもこれもぜんぶ、ためこんでいた本音を未空が吐き出させてくれたおかげだよ。ぼく自身の本当の気持ちに気がつけた」
「じゃあ……アイドルを続けるんですね」
「―うん」
 たった一言だけれど、たしかな返事。
 それが聞ければ十分だ。わたしは、そこで立ち止まった。
「未空?」
「続けるなら、さっき城井さんに見せたようなことはしないでくださいね。正体バレたら、大変ですから」
「ごめん。気持ちをおさえられなくなって」
「じゃあ、こうしましょう。あなたが怒りたくなったら、わたしが怒ります。泣きたくなったら、わたしが泣きます」
「……それで?」
「わたしの親友はいつもわたしが言葉や顔に出せない気持ちを、代わりに言ってくれる。それだけで、わたしは気持ちが落ち着くしほっとする。わたしは、あなたに同じことがしたい……一人で笑顔でいつづけるのは、地球人でもエイリアンでもムリです。だけど、だれかといっしょなら大丈夫だと思うんです」
「ぼくにとってのだれかは、もう決まってるよ」
 九條 錬がゆっくり近づいて、右手をさしだす。
「いっしょに来てくれる?」
「もちろん!」
 わたしも手を伸ばして―。
「あ、でも今日ダメです」
「……へ? な、何で? 今の流れでそうくる?」
「いえ。わたし、気づいたんです。ファンはやっぱり、客席から応援するのが一番だって。だから、わたしはステージを下ります」
「え~、未空がそばにいないなんて~」
「ちゃんと目的があるんですっ」
 上着のポケットに入れていたペンライトを取り出す。
「ステージから見えるきらきらした客席は発光星に似ているって言ってましたよね。わたしは、九條 錬がどこを目指せばいいか分からなくなった時の目印になりたいんですよ」
 九條 錬はくちびるを突き上げて不満そうな顔を見せる。でもそれは冗談で、すぐに「分かった」って答えてくれた。
「ぼくはそこを目指して歌うよ」
「はい。待ってますね」


 その日―わたしは久々にステージの下から推しを応援した。
 一番後ろの一番隅っこから、ひっそりと。遠くは感じなかった。だって九條 錬の光は今までよりずっと輝いていて、ずっと近かったから。
 九條 錬本人が来ているといううわさが広まって、途中参加者もどんどん集まってきた。お客さんの数はたしかに減ったけれど、それでもあたかかい空気が会場を包み込んでコンサートは大成功に終わったんだ。

                   ***

 「うっうっ……ううう~!」
 みなさん、カン違いしないでくださいね。これ、動物のうめき声じゃないですからね。
 わたくし今、ラウンジで一人、ライブ後の大号泣からようやく落ち着いてきたところなんです。待ってくださいね、ぐずっ……もうちょっとでおさまるんで……ううっ……。
「ひとつのコンサートが終わったくらいで、おおげさね」
 きれいな水色のハンカチが目の前にさし出される。顔を上げると、城井さんがいた。
「帰ったんじゃなかったんですか?」
「のこのこ帰るわけにいかないでしょ。一応聞いていたのよ。ここからだけど」
「城井さん。わたしたちの勝ちです」
「……わたしはべつに、九條 錬を芸能界から追い出したいわけじゃない。ただ事実を知りたいだけ。だから、勝ったとか負けたとか何にも思ってないわ。ていうか! よけいに知りたいことも増えたし! ぜったいに真相にたどりついてみせるわ」
 くるっ。長い髪を流しながら、背中を向ける。
「あ、ハンカチ!」
「そんなぐしょぐしょのいらないわ。あげる」
 軽く手をふって、建物の外へと消える。
 城井さんって、そこまで悪い人じゃないのかなあ。ただ自分の仕事が好きで、まっすぐ突き進んでいて、たまたま今回はわたしたちとぶつかっただけだったり……。
 でも油断大敵だから。次に何か仕掛けてきてもはねのけてやるけどね!
「未空!」とつぜん、関係者通路のとびらの向こうから、ステージ用の白い王子様衣装のままの九條 錬が飛び出してきた。「ここにいたんだ。さがしたよ。もうだれもいない?」
「あ、はい! みんな帰りました。あの、最高によかったです! わたし、なみだが止まらなくて……」
「本当だ。泣いたあとがある」
 九條 錬が、人さし指でわたしの目元をやさしくぬぐう。
「ぜんぶ、未空のおかげだよ」
「そんなことないです! コンサートの手配とかしてくれたのは茨木さんですし……」
「さっき、その茨木と話したんだ。それで、きみに言わなくちゃいけないことができた」
 真剣なまなざしに、胸の奥がどきりと高鳴る
 これがもし少女マンガ的展開なら、わたしはもしかして―。
「勇気がいるけれど、思い切って言うよ」
 聞くのがほんの少しこわい。
 でも、聞きたい。だって、期待してしまう。
「ぼくは―」
 九條 錬は?
「きみと―」
 わたしと?
 これって、カウントダウンの始まり? 三、二、いっ―。
「別れなくちゃいけない」
「え?」

 カウントダウンが、止まった。