「はあ……」
 にぎやかな更衣室で体操服に着替えながら、ため息をつく。
 茉耶ちゃんがすかさず言った。
「ハイ、三十九回ね」
「え、何の数?」
「今日未空と会ってから聞いたため息の数だよ」
「そんなの数えてたのー? って、もう何でもいいや。はあ~」
「またため息! ねえ、ただの活動休止でしょ? アイドルだったらよくある話じゃん。ライブはしないけど、バラエティー番組に出たりとか、俳優に転向して映画デビューとか……一生見られなくなるわけじゃないんだからさ……って! 妹役してる未空の方が裏事情にくわしいはずなのに、何であたしがはげましてんのよっ」
 自分で自分にツッコむ。茉耶ちゃんなりに普段と変わらない態度で接してくれている。笑ってあげたいけれど、くちびるは接着剤でくっつけられたみたいに動かない。心の中で話しかける。
 茉耶ちゃん、ウラ事情を知っているからこそため息が止まらないの。それに、もう一生、九條 錬の姿を見ることはできないかもしれないんだ。
 チャイムが鳴って、女子たちはあわてて校庭に飛び出す。男子たちはもう集まって、サッカーを始めている。
 今日は男子はサッカーで、なぜか女子は棒高跳び……。
「未空、あんまボーっとしてたらケガするよっ。グチとかなら、昼休みに聞くからっ」
 順番を待つ間、茉耶ちゃんが背中をぽんっとたたく。ありがと、となんとか笑顔を作って答えるけれど、やっぱりいろいろ考えずにはいられない。
 九條 錬、今ごろどうしているんだろう。少しでも元気になってくれていたらいいな。でも、やっぱり発光星にいる方が幸せだって思っていたらさみしいなんて、わたしのわがままなのかな……。
「未空!」
 茉耶ちゃんの声におくれてふり向くと―、
 バアンッ!
 うすい青空を見つめながら、スローモーションみたいにゆっくりたおれる。
 何が起こったのか分からない。ただ、白と黒のしましまのボールがくるくる回転しながら飛んできたってことだけ。
 やっぱり茉耶ちゃんは正しい。体育の時間は、ボーっとしていたらケガをする……。

                   ***

 ―目の奥に浮かぶのは、ドアの向こうに消えていく九條 錬。
 待って。待ってよ。どこにも行かないで。
「待ってって言ってるでしょ! 九條 錬ってば!」
 ガバッと起き上がると、そこは保健室のベッドの上。しかもそばに、茉耶ちゃん―じゃなくて、なぜか葉月がいる。しかも体操服のまま。
「お前、サッカーボールを頭にぶつけて気失ってる時まで、あいつのこと考えてんのかよ」
 あきれたように首を横にふる。
「わたし、気を失ったんだ。葉月、ずっとついててくれたの?」
「いっ、今は保健の先生がいないからな。その間だけだ……」
「ありがとう。はあ~、ボーっとしていたらダメなんだよねえ、体育の時は。茉耶ちゃんにも言われてたのに」
「……あいつに聞いたけど、九條なんとかってやつ、今休んでるんだって? なんか、病気とかか?」
「ちがうよ。ただ、いろいろあったから。アイドルが嫌になったみたいで……もう、歌ったりおどったりしないって」
「何だそれ。情けねえな。まあ、見るからにフニャフニャした弱そうなやつって感じだったけど」
 葉月がいつもみたいにバカにする。すぐ言い返したかったけれど、その元気もない。今までかばってきた推しはもう、いないから。
「葉月が言ってることも、当たってるのかもしれないね……」
「え? お、おい。真に受けなんよ。つーか、いつもみたいに言い返せよ」
「うん……」
 思っている反応とちがうからか、葉月がもごもご口ごもる。おかげで部屋はしーっんと静かだ。
 なんか気まずいし、ちょっと一人にしてほしいな。そう言おうとした時だった。葉月が勢いよく立ち上がった。
「~、お前さあ! これであきらめんのかよ?」
「わたしがあきらめたわけじゃないよ。九條 錬が、もうアイドルをやりたくないって」
「はあ? それが本音だと思ってんのかよ」
「だって聞いたもん、直接」
「直接聞いた言葉だけが本当か分かんないだろっ」
 葉月がさらに大声で言い返してくる。嫌いな九條 錬の話をしているのに、なぜかすごくくやしそうでつらそうな顔でわたしを見つめる。
「本音は真逆かもしれないじゃん。素直に言えないやつだって、いるんだよ……」
「真逆……」
「未空。お前はどうしたいんだよ。本当にこのままでいいって思ってんのか?」
「そんなわけない」大きく頭を横にふる。「アイドル、続けてほしいよ」
「それ、ちゃんと言ったか?」
「あ」
 あらためて聞かれると、言ってなかったかもしれない。城井さんのこととかで、すごくムキになっていたから。
「応援って、すげーはげまされるんだよ。落ち込んで、もうムリー! とか思っても、自分を応援してくれるやつがいるって知ってるだけで頑張ろうって思えるんだよ。だから……その九條ってやつにも、ちゃんと教えてやったらいいんじゃね。気持ち、変わるかも」
 だんだん声が小さくなるけれど、わたしの耳にははっきり届いた。
「葉月はファンが多いから、気持ちが分かるんだね」
「ふんっ」
「九條 錬のファンの数には負けるけどね」
「おい!」
 ふふふっ。いつものやりとりをしていたら、なんだか元気が出てきた。
 でも、気持ちを伝えるのはむずかしい。九條 錬はもうこの星にいないし……。
 ガラッ!
 乱暴に開けられたとびら、その向こうから茨木さんが走ってきた。
「だれだよ!」
「茨木さん? 何でここに―」
 茨木さんは葉月を無視して、カツカツとまっすぐわたしに向かってくる。「久しぶり」とか「どうしたの」って言葉もないまま、両肩をつかんでにらみつける。
 いったい何事?
「ちょっと、あなた!」
「は、はいっ」
「九條 錬をどこにかくしたの?」
 
 ……はい?

                   ***                   

 ショウゲキジジツがハッカク!
 茨木さんの話によると、九條 錬はまだ地球にいる!

「―でもいったい、どこにいるんでしょうか?」
「わたしが聞きたいわよ。てっきり、あなたが九條 錬を誘拐したんだと思って……」
「そんなことするわけないですよ!」
 放課後、学校から九條 錬が住んでいたマンションの部屋に移動して茨木さんと会議。訳が分からず目が点になっていた葉月に「ごめん! わたし行かなくちゃ!」とだけ言って置いてきた。
 混乱してるだろうなあ。いや、わたしもだいぶパニックなんだけど。
 あとでちゃんと事情(たぶん茨木さんが考えてくれるウソ事情)を話すからね!
「円盤ネックレスが部屋に残っていて、気づいたのよ。帰る支度はちゃんとしていたのに」
「わたしも、帰るってハッキリ聞いたんですけど」
 でも、帰っていない。宇宙船は残っているし、九條 錬は地球にいる。
 ということは―。
「これはチャンスですよ!」
「どこがよ?」
「九條 錬がアイドルにもどれるチャンスじゃないですか?」
「あのねえ」茨木さんは腰に手を当ててため息をつく。「あの子から言い出したのよ。仕事をやめたいって」
「本心じゃないんですよ。残っている宇宙船が証拠です。本当は帰りたくなくて……アイドルを続けたくて地球に残っているんです!」
 本当は自信がない。ぜんぶ、わたしの勝手なお願いかもしれない。
 でも、この奇跡を逃したくない。
「茨木さん、会見を開けませんか?」
「え? 何の会見を?」
「生誕コンサートのやり直しです。もし九條 錬が地球にいるなら、会見を見るはずです。アイドルを続けたいなら、コンサートに来るはずです。彼はまだスマホを持ってますか?」
「そういえば、返されてないわね。でも、そんな危険なことできないわ! 錬が会場に来る保証もない。お客さんだって……あの事故の後、だいぶファンは減ったわ。コンサートを開いたとしてどれだけ集客できるか……とてもできないわ。マネージャーとして、そんなリスクはおかせない」
 茨木さんのおでこに、じんわり汗がにじんでいる。
「そうですよね。むちゃくちゃですよね……」
 わたしは、芸能界のことをよく分かっていない。だけど、だけど―。
「九條 錬がデビューした時、ほかの新しいアイドルみたいに今よりずっとお客さんが少なかったって聞きました。それでも回数を重ねて、だんだんお客さんが増えたって。九條 錬を好きだって言う人が増えたって。最初はだれだって自信がない。お客さんがどれだけ来るかも分からない。それでもライブやコンサートを開きつづけたのは、茨木さんが九條 錬が最高のアイドルになれるって信じていたからなんじゃないですか?」
 茨木さんの鼻がふくらむ。目もだんだん赤くなる。でもさすが有能なマネージャーは、簡単になみだを流したりしない。
「ファンの人たちは、みんな自分が一番のファンって思っているけれど、それは違うわ」
 胸に手の平を当てて、いつものキリッとした表情を見せる。
「一番のファンはわたしよ。だってわたしが見つけて、わたしは育てたんだから! 錬からやめたいって聞いた時はだれよりも悲しかった。必死で止めなかった自分をだれよりも後悔したわ。そして連れももどせるチャンスが少しでもあるなら全力で戦いたいって、本当はだれよりも思ってるわよ! あなたに言われなくてもね!」
「茨木さん……」
「すぐにコンサートと会見の準備をするわ。これは賭けよ。でも絶対に勝つから!」
「はい! ありがとうございます!」
 よかった……茨木さんも同じ気持ち―ううん、それ以上の熱い想いを持っていてくれて。この人に任せれば、ぜったいに上手に仕切ってくれる。
「よろしくお願いしますっ」
「あら。何を他人事みたいに言っているの。あなたも準備をするのよ」
 ビシッ!
 長くてきれいな人さし指が、鼻先にちょんとふれる。
「あなたが会見で話すのよ。原稿と衣装、メイクの準備よ!」
「え~、わ、わたし?」
「あなたは九條 錬の妹なのよ。家族のことは、家族が話すのが一番。それに、あなたが正式な妹であることをアピールできるわ」
「でもわたし、クビになったんじゃ……」
「撤回よ」
 茨木さんがスーツのポケットから、わたしのスマホを取り出して手渡す。ロック画面も、待ち明け画面もそのままだ。
「解約してなかったんですか?」
「いつか、ほとほりが冷めたら渡そうと思ってね」
 なんだ。茨木さんも九條 錬も、最初からあきらめるつもりなんてなかったってこと?
 弱気になっていたのはわたしだけ。ダメじゃん。
 よしっ。ぎゅっとこぶしをつくる。会見はわたしが言い出したことなんだから。それにこれは、わたしの正直な気持ちを伝えるいい機会。
「問題は錬ね。エゴサーチはよくする方だったから、自分の情報は調べると思うけれど。地球にいるとしても海外とかにいたら、見つけて連れてくるのはとても時間がかかるわね」
「せめてどこにいるか分かれば……」
 スマホの連絡帳に残っている【九條 錬】の名前を見つめる。連絡してみれば―いや、素直に出るわけないよね。
 その時―トップニュースの通知が入ってきた。なんとなくひらいてみる。

 “ 季節外れのホタル? 七色ガーンデに謎の光が出現! ”

 なんだ。ホタルか……んん? 
 ホタル? 謎の光?

「どうしたの?」
「いや、ちょっと気になることが……」
 画面をスクロールして、くわしく記事を読む。光を最初に見つけたのは、七色ガーデンの管理人で二日前。
 二日前って、九條 錬がこの部屋を出て行った日だ。これってただの偶然? それとも……。
「茨木さん、九條 錬の居場所が分かったかもしれません」
 茨木さんは無言で目を丸くする。