一条さんと洋子さん。凄く、お似合いだ。今日想像したように。
どうしてここにいるんだ、と思った。
洋子さんではなく一条さんに。
洋子さんとは昨日貴史さんと一緒にいる時にこの書店で会った。
でも…一条さんは、書店に来るようなタイプに見えない。
「知り合い?」
早瀬さんが立ち止まっている私に聞いてくる。
「あ…はい。」
生返事しかできなかった。
「栞、何でそんな格好してるの?」
他の店員と同じ格好をしている私にそう聞きながら、一条さんはこちらへ近付いてくる。
何で来るの。何で話し掛けるの。洋子さんがいるのに。
「バイト…です」
「バイト?何で?」
「い、一条さんこそ何でこんな所にいるんですか」
「洋子が寄りたいって言うから」
ちくりと、なんてもんじゃない。ずんと心が重くなった気がした。
「…じゃあ、バイト中なのでこれで…」
早足で一条さんから離れようとすると、腕を掴まれた。
びくっと過剰反応してしまう。何で?何で?何で?隠してるんじゃないの?洋子さんがいるって分かってるのに、何で?
「待ってよ。俺の質問に答えてないでしょ。何でバイトしてるの?バイトなんかしてる暇があったら、」
“俺の所に来てよ”。
一条さんが何を言おうとしているのかすぐに分かった。
だから、その言葉を遮るように言った。
「じょ、常識考えてください!」
「え?」
「私、バイト中です。折角雇ってもらったのに、邪魔しないで」
「…バイト中なら、邪魔しちゃいけないの?」
「当たり前です!こうやって引き留めたり…しないでください」
一条さんはいつもそうだ。
薬の飲み方を知らなかったり、パーティーの最中に迫ってきたり。
一般常識が欠如している。
「じゃあさ、栞」
ふっと、一条さんが私を見る目が冷たくなった。
「――…常識って誰から教わるの?」
聞いたこともない声のトーン。
冷たい声ってこういうのを言うんだ、なんて思った。
「…ちょっと秀司、どうしたの?2人って面識あったのね」
「あ、…いえ、この前のパーティーで少し…」
「ふぅん…」
慌てて私が言うと、洋子さんのきりっとした目が私をじっと見つめる。
その視線が少し寂しげなのは気のせいだろうか。
「秀司、邪魔しちゃ悪いし、もう帰るわよ」
と思えば、洋子さんはパッと笑顔になって一条さんのスーツの袖を軽く引っ張った。
一条さんはぞっとするような冷たさを孕んだ瞳で私を一瞥して――洋子さんに引っ張られるまま付いていく。
その背中を見て思わずにはいられなかった。
誰だろう、と。
私の知らない一条さんだった。
あの人のあんな冷たさを、私は知らない。
心から失望したかのような、そんな温度。
それなのに、何故あの冷たさが本物のように感じてしまうんだろう。
「…厄介なのと知り合いなんだね」
一条さん達が出て行った後、隣で早瀬さんが言った。
「あの人、…男の人の方。放っておいちゃダメだよ。危ない感じがする」
「え…」
「女の人の方も危うさがあるけど、芯はあるように思うなぁ。甘えてるだけで、根本的な強さはある。それに比べて男の人の方…すっごく脆い。大きな子供、って感じ」
早瀬さんを見上げると、ハッとしたように苦笑された。
「あぁ、ごめんね?こういう裏読み…っていうか深読み?癖なんだ」
「い、いえ。こちらこそすいません…仕事中なのに」
初日で早速ペースを乱されてしまった。
相手が一条さんだったからっていうのもあるけど、もし近くにもっと人がいたら店の空気が悪くなっていたかもしれない。
しっかりしなくちゃ…と意気込んでいると、ふと棚に並ぶ漫画のオススメコメントが目に入る。
“書店員一押し!”と黒いペンで書かれていた。
その漫画は、私と貴史さんが好きなバトル漫画。
「あの、これ…私がもう一度書いてもいいですか?」
「ん?ポップ?いいけど…」
「私、一応美術部なんです。ちっちゃいイラストとか付けたりしたいので…学校で暇な時につくってきますね」
早瀬さんは私の言葉を聞くとにひっと笑って、私の背中を軽く叩いた。
「やる気だねぇ、女子高生っ!」
人生で初めてのアルバイトだ。
幸い、ここの人間関係は何だか良さそうだし…こんな所でバイトできるってきっと素敵なことだ。
私にできることを、やりすぎないように、少しでもしていこう。