このとおり敬語も苦手だし、と桜井くんはぼやいた。桜井くんの敬語の苦手さが、他人への尊敬の念の欠如からきているのか、敬語の知識の不足からきているのか、この数学のレベルを見ていると本気でどちらなのか分からなかった。


「そういやお前ら、中一のときに揃って三年ぶっ飛ばしてたな」

「そういえばそんなこともあったな」

「あの辺りから死二神とか言われ始めたんだよなあ」

「高校で同じことが通用すると思わないほうがいいぞ?」


 思い出話に花を咲かせようとしていたところを遮られ、二人は静かに蛍さんを見つめ返した。蛍さんは、にんまりと笑う。それが挑発なのか脅迫なのか、はたまたなにか(たくら)みを抱えているがゆえの怪しさなのかは分からない。


「……脅しか?」

「いや、ただの世間話みたいなもんだ」

「つかさあ、なんでそんなに俺らのこと誘うの。別に、俺達がいなくたって、群青ってめっちゃ強いんだろ?」

「そこは、多分噂に聞いてるとおりだ。お前らは、お前らが思ってるよりずっと、チームの勢力を左右する」

「買いかぶりだ」

庄内(しょうない)を一発でやっただろ?」

「だってあんなのゴリラのハリボテみたいなもんだろ。蹴ったら倒れた、そんだけだ」


 吹けば飛んだ、それくらい簡単そうに聞こえるけれど、体格差を知っているとそうは思えない。

 蛍さんは「んー」と悩むように髪をかきまぜた。女子のように長い前髪が顔の半分を覆い隠す。


「デカさでいえば、庄内はまあまあなんだけどな」

「だからハリボテだって、ハリボテ」

「いくら口説いたって無駄だ、蛍さん。俺達は群青に入る気はねーよ」

「……思ったより頑固だな。もう一年近く口説いてんのに」

「あー、そういや、俺らも蛍さんの就任祝い言ってなかったな。おめでとうございました」


 ガタンと桜井くんは地に椅子の足をつけ、軽く頭を下げた。雲雀くんも会釈程度に頭を下げる。蛍さんは「どーも」と白い歯を見せて笑った。


「……ま、そうだな。また誘いにくる」

「返事は変わんねーよ」

「さあ、どうだか。状況が変わればあるいは、な?」


 意味深なセリフに二人が眉を顰めれば「さっき言ったとおりさ」と蛍さんは嘯いた。


「中坊のときほど、周りは甘くない。たった二人じゃどうしようもないことだってある。特に団体様に狙われたときは、二人どころか一人にさえなる。そういうとき、チームにいると素直に助かる」


 くるりと蛍さんは踵を返した。その背中には「8」の刺繍が施されていて、やっぱりこの人の名前はあの怪物が口にしていた「永人さん」なのだと確信した。


「選ぶなら、群青にしてくれると嬉しいよ、おふたりさん」


 あまりにも穏便な勧誘のみをして、蛍さんは出て行った。