【#1】
*Side 苺花*
「あ、桜が咲き始めてる!」
春休みも残すところあと数日になったある日の午後。
近所にある公園に向かったわたしは、桜が咲いていることに気がついて思わず声を上げた。
今年はいつもより寒さが厳しくて、桜の開花予想はもう少し先だったけど。
ここは日当たりが良いからか、もう花が咲き始めたのかもしれない。
まるで今日誕生日を迎えたわたしを祝ってくれているみたいで、桜を見ながら自然と笑顔になった。
「今日はあったかいなぁ~」
ひとりつぶやきながらベンチに座って空を見上げる。
淡い水色の空にぽっかり浮かぶ白い雲。
降り注ぐ日射しはポカポカと暖い。
時折吹いてくる風は、ほんのり甘い花の香りがする。
春の訪れを感じて心がウキウキする。
「苺花、お待たせ!」
名前を呼ばれて顔を上げると、目の前にTシャツにGパン姿のボーイッシュな女の子が立っていた。
走ってきたのか、少し呼吸が乱れている。
「初芽ちゃん。わたしも今来たばかりだから大丈夫だよ」
「そうなんだ? 良かったぁ」
初芽ちゃんはホッとしたような笑顔でわたしの隣に座った。
「誕生日おめでとう」
ベンチに座るなり、初芽ちゃんがそう言って持っていたバックから可愛くラッピングされた袋を出した。
「ありがとう」
満面の笑みで、差し出された袋を受け取る。
「開けていい?」
「どうぞ。大したものじゃなくて申し訳ないけど」
わたしが聞くと、初芽ちゃんがそう言って少し恥ずかしそうに笑った。
「うわ~可愛い!」
中を見た瞬間、思わずはしゃいだ声をあげてしまった。
袋の中に入っていたのは、四つ葉のクローバーをモチーフにしたペンダントだった。
しかも【Happy Birthday Dear 苺花】っていうバースデーカードまで添えられている。
「大好きな苺花のために、小学校の卒業記念と、中学の入学祝いも兼ねてはりきっちゃった」
初芽ちゃんの言葉に、心の奥がぽかぽかと温かくなる。
「すごく嬉しい! ありがとう」
「どういたしまして」
わたしがお礼を言うと、初芽ちゃんはちょっと照れたように笑った。
「……ねぇ、中学でも同じクラスになれるかな?」
ふと思い出したように、初芽ちゃんがぽつりとつぶやいた。
わたしと初芽ちゃんは、幼稚園の時からずっとお隣さん同士のいわゆる幼なじみ。
母親同士が学生時代からの親友ということもあって、物心ついた時からいつも一緒にいた。
しかも、幼稚園の頃から小学校を卒業するまでクラスも同じだった。
わたしはおとなしくて人見知りするタイプだから、もしクラスが離れてしまったら、ちゃんとクラスに馴染めるか不安なんだ。
明るく活動的な初芽ちゃんと、内気でおとなしいわたし。
正反対なわたしたちだけど、すごく気が合って、親友と呼べる仲。
「同じクラスになれるといいね」
わたし自身の願いも込めてそう言うと、
「もし違うクラスになっても、友達でいてくれる?」
初芽ちゃんが聞いてきた。
「もちろんだよ。初芽ちゃんはこれからもずっと大切な幼なじみで親友だよ!」
即答したわたしの言葉に安心したのか、初芽ちゃんは「ありがとう」と言って笑顔を浮かべた。
【#2】
「大丈夫かなぁ……」
おろしたての制服を着て、鏡の前でひとりつぶやく。
今日は中学の入学式。
小さな頃から人見知りのわたしは、新しい学校、新しいクラスで上手くやっていけるか心配で、昨日の夜はあまりよく眠れなかったんだ。
「苺花、初芽ちゃんがお迎えに来てくれてるわよ~」
階下からお母さんの声が聞こえて時計を見ると、いつの間にか8時を過ぎていた。
「うそ、 もうこんな時間!」
急いで新品のスクールバックを持って階段を駆け降りる。
「苺花、おはよう」
玄関に行くと、初芽ちゃんが笑顔で迎えてくれた。
「おはよう」
「苺花のスカート可愛い! わたしもその色にすれば良かった~」
わたしの制服姿を見るなり、初芽ちゃんが言った。
わたしたちが通う中学校は、地元では制服が可愛いことで有名らしい。
エンブレム刺繍の入ったブレザーに、チェック柄のプリーツスカート。
スカートは黒、紺、グレー、ベージュの四色から選べて、わたしは派手過ぎず地味すぎない色合いが気に入ってグレーを基調にしたピンクのチェック柄スカートを選んだ。
初芽ちゃんが着ているのは、ベージュを基調にした赤のチェック柄スカート。
明るい色合いがいつも元気な初芽ちゃんの雰囲気によく似合っていると思う。
「ほら、ふたりとも急がないと遅刻するわよ」
お母さんの言葉を聞いて、ギリギリの時間だったことを思い出した。
「行ってきます!」
お母さんに見送られて、わたしたちは学校へ向かった。
正門をくぐって、昇降口でピカピカの上履きに履き替える。
廊下の掲示板にクラス表が張り出されていて、すでにたくさんの新入生が集まっていた。
「ちょっと見てくるね」
そう言ってためらうことなく人波をかきわけて前へ進んでいく初芽ちゃん。
わたしはその背中を人波から少し離れたところで見送る。
ドキドキしながら初芽ちゃんが戻ってくるのを待っていると―
「苺花! わたしたちふたりとも3組だったよ!」
満面の笑みで初芽ちゃんがわたしの方に駆け寄ってきた。
「ホント? やったぁ!」
初芽ちゃんの言葉を聞いた瞬間、わたしは周りにたくさん人がいることも忘れて大きな声を出していた。
「中学生活もよろしくね、苺花」
「こちらこそ、よろしくね」
ふたりで手を取り合って喜びながら、3組の教室へ向かう。
教室に入ると、黒板に座席表が貼られていた。
座席は五十音順らしく、わたしと初芽ちゃんはちょっと遠い席だった。
「席離れてるけど休み時間はそっち行くね」
「うん、わたしも遊びに行くね」
初芽ちゃんと同じクラスなら、これからの中学生活楽しくなりそう! と思っていたら
「はい、席に着いて」
担任の先生が教室に入ってきた。
「担任の榎本です。一年間よろしくね」
みんなが席に着くと、先生が明るく挨拶した。
小柄の可愛らしい先生で、先生というよりお姉さんみたいだなというのが第一印象。
「先生、何歳ですか~?」
早速、クラスの男の子から質問が飛ぶ。
「二十代です。それ以上は秘密ね」
先生がちょっと恥ずかしそうに答えた。
「じゃあ、恋人はいますか~?」
もう一度同じ男の子が興味津々の表情で質問すると、周りがざわめきだした。
「こう見えて、実はいるのよ」
照れながらも真面目に答えてくれた榎本先生。
周りから「ヒュ~」とはやしたてる声が聞こえる。
「なんだ~残念。俺が恋人に立候補しようと思ったのに」
質問した男の子ががっかりしたように言うと、
「いきなり先生口説くなよ。おまえはチャラ男か!」
少し離れた席から男の子が突っ込んで、クラス中からどっと笑い声が起きた。
その時、緊張感に包まれていた教室が一気に和やかな雰囲気に変わった。
わたしも張り詰めていた気持ちが緩んで自然と笑顔になった。
あんな風にさりげなくクラスの雰囲気を明るく出来る子って、すごいな。
「さぁ、それじゃ出欠をとります。名前を呼ばれたら元気な声で返事してね」
榎本先生がそう言って名簿を手にひとりずつ名前を呼び始めた。
さっき先生に質問していたのは、森川くん、突っ込みを入れていたのは速水くんという名前だった。
「このあと体育館で入学式があるから、名簿順に廊下に並んでね」
出欠を取り終えると先生がそう言って、みんな一斉に廊下に並び始めた。
すでに他のクラスの子達も廊下に並んでいて、一気に騒がしくなる。
榎本先生が先頭に立って、みんな先生のあとについてぞろぞろと体育館へ向かう。
渡り廊下を歩いて移動していると、校庭に満開の桜が見えた。
つい数日前初芽ちゃんと公園で会った時はまだ咲き始めたばかりだったのに、あっというまに満開になるんだな。
体育館に着くと、
「新入生入場の合図があるまで待っていてね」
先生がそう言って、みんな入口の前で待機。
一組から入場するから、三組はちょっと時間がかかるらしい。
しばらくすると列が動き始めて、「入場します」という先生の言葉でみんな歩き始めた。
保護者席を通って、拍手に包まれながら入場。
クラス全員が席の前に着いたら、一礼をして座る。
まだ慣れない制服姿に、堅苦しい雰囲気。
疲れもピークに達してきたその時。
「新入生挨拶の言葉。新入生代表、一年三組 速水 駿」
司会の先生が呼んだ名前に、思わずハッと顔を上げた。
名前を呼ばれた速水くんは、返事をして立ちあがると堂々とした足取りでマイクの前に立った。
そして全校生徒の前でも緊張を感じさせずよどみなく話す姿に、先生や保護者も、感心したような表情で速水くんを見ている。
挨拶が終わると、会場に盛大な拍手が響いた。
「苺花、お疲れ。校長の話長かったね~」
教室へ向かう途中、初芽ちゃんが声をかけてくれた。
「そういえば、新入生代表で挨拶してた速水くん、すごかったね」
「あ、初芽ちゃんも思った?」
「うん。堂々としててさすが代表って感じでカッコ良かった」
「もしかして初芽ちゃん、好きになったとか?」
「え、そんなんじゃないよ~!」
なんて否定しながらも、顔が赤くなってる。
「でも、なんかこうして制服着て入学式やると中学生になったんだって実感するね」
「うん。ホントだね。苺花と一緒のクラスだし中学生活楽しくなりそう!」
初芽ちゃんが嬉しそうな笑顔でそう言ってくれた。
そう、今日がわたしたちの中学生活の始まりの日。
これから、楽しい中学生活が送れるといいな。
【#3】
新学期が始まって数週間が過ぎた。
少しずつ授業が始まって、中学生活が本格的に動き出している。
教科ごとに先生が違ったりして、今までとは違う雰囲気に戸惑いつつも、中学生になったことを改めて感じている。
「起立」
「礼」
日直の声に合わせてみんなが礼をしたあと、教室中が騒がしくなった。
「駿、陸上部見学行こうぜ」
「おう」
森川くんと速水くんが楽しそうに教室を出ていくのを見ながら、まだ決めていない部活のことを考えた。
うちの中学は、家庭の事情とか何か特別な理由がない限り、部活動の参加は必須なんだ。
「苺花、部活決めた?」
帰り支度をしていたら、初芽ちゃんに訊かれた。
「まだ悩んでるけど、文芸部にしようかなって思ってる」
小さい時から外で遊ぶより読書する方が好きだから、自分には合っていると思う。
「文芸部か~。苺花らしいね」
初芽ちゃんから見ても、やっぱりわたしらしい選択みたい。
「初芽ちゃんは?」
「わたしは、ダンス部がいいかな~って思ってる」
わたしとは反対に小さな頃から体を動かすことが好きな初芽ちゃんは、小学校のクラブ活動でもダンスクラブに入っていた。
「新入生歓迎会の部活動紹介の時、ステージで踊っていた先輩たちを見てカッコイイなって思ったんだ」
「そっか。初芽ちゃんらしいね」
「そう?」
「じゃあ、帰りに一緒に見学していこうか」
ふたりで教室を出て、まずは文芸部の見学をすることにした。
活動場所は一階の図書室。
「失礼します」
ちょっと緊張しながら中に入ると、
「いらっしゃい。部活見学かな?」
すぐに部長さんらしき先輩が笑顔で声をかけてくれた。
「はい」
サラサラの艶やかな黒髪ロングヘアに、透き通るような白い肌。
和風美人という言葉がピッタリな人だ。
「部長の藤堂 椿です」
名前まで綺麗な人だな。
「立花苺花です。よろしくお願いします」
わたしが緊張気味に返すと、
「いちかちゃん? 可愛い名前だね。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
藤堂先輩が優しくそう言ってくれた。
それから、先輩は文芸部の主な活動内容について説明してくれて、
「うちの部は人数も多くないし、アットホームな雰囲気だから。読書が好きな子なら大歓迎だよ。ぜひ入部待ってるね」
最後にそう言って握手してくれた。
「すごく優しそうな部長さんだったね」
図書室を出てダンス部の活動場所である体育館へ向かいながら、初芽ちゃんが言った。
部活の先輩って厳しいとか怖いってイメージがあったけど、文芸部の先輩は全然そんなことなさそう。
あの雰囲気なら内気で人見知りなわたしでも大丈夫かもしれない。
そんな風に思えて、わたしは文芸部に入ることを心の中で決めた。
【#4】
ゴールデンウィーク直前、金曜日の5時間目。
この時間は理科の授業だ。
「それでは班ごとに移動して下さい」
先生の言葉で、クラスのみんなが一斉に移動を始めた。
今日は「春の草花を探そう」という内容で、班ごとに校内を散策して春の草花を観察する。
わたしは、運よく初芽ちゃんと同じ班だ。
「これ、ペンペン草だよね」
「こっちはカラスノエンドウ」
みんなでわいわい言いながら、ノートを手に生えている草花を観察していく。
「あ、タンポポがいっぱい咲いてる!」
校舎裏に行くと、初芽ちゃんがはしゃいだ声を上げた。
見ると、確かにそこにはたくさんのタンポポが咲いていた。
「やっぱ春の花と言えばタンポポだよな」
わたしたちより一足先に来ていたらしい森川くんが、同じ班の子達と一緒にタンポポの綿毛を飛ばして遊んでいる。
ふわふわと舞うタンポポの綿毛を見ているだけで、なんだか心が和んでいく。
わたしが何気なく綿毛の行方を視線で追っていると、
「立花さん」
突然、森川くんに名前を呼ばれた。
「え?」
振り返ると、すぐ目の前に森川くんがいて。
「綿毛、髪についてる」
そう言って、手を伸ばしてわたしの髪についていたらしい綿毛を取ってくれた。
「……ありがと」
一瞬だけど森川くんの手がわたしの髪に触れたことに気づいて、なんとなく恥ずかしくなる。
「なんか、立花さんってタンポポみたいだな」
「え?」
「ふんわりしてて、いかにも女の子って感じがするから」
「……」
そんなこと、初めて言われた……。
なんて返したらいいのかわからずにいると、
「授業中にクラスメート口説くなよ、このチャラ王子!」
入学式の時と同じように速水くんが突っ込んで、周りにいたみんなが笑いだした。
「立花さん、ごめん。別に駿が言ってたような意味じゃないから」
「……あ、うん…」
森川くんに慌ててそう言われて、ホッとしたような残念なような複雑な気持ちになったけど。
「でも、さっきの誉め言葉だから」
そう言った森川くんの笑顔を見て、なぜか鼓動が早くなった。
「苺花、大丈夫?」
初芽ちゃんに言われて、
「大丈夫、大丈夫」
慌ててそう答えた。
* * *
「森川くん、頑張れ~」
放課後、陸上部の練習で走っている森川くんに女の子達の声援が響く。
そして、その声援に答えるように女の子達に手を振る森川くん。
その姿を見て、「キャ~!」と女子達から黄色い声があがる。
わたしはそんな様子を見ながら、花壇の花達に水をあげている。
「ったく、苺花ひとりに園芸委員の仕事させておいて、アイドル気取りしないでほしいよね。あのチャラ王子」
一際賑やかなグラウンドに視線を向けて、わたしの隣で怒っているのは初芽ちゃん。
「部活の練習してるんだし、仕方ないよ」
「苺花は優しすぎるんだよ。たまにはちゃんと仕事しろってガツンと言わなくちゃ!」
わたしがなだめても、初芽ちゃんの怒りはおさまらないみたいだ。
「うん。ほら、初芽ちゃんも早く行かないと練習始まっちゃうよ」
苦笑しながらそう言うと、
「あ、ヤバい! じゃあ、また明日ね」
初芽ちゃんは慌てて体育館の方へ向かって走っていった。
ひとり花壇に残ったわたしは小さくため息をつく。
もう一度グラウンドの方に視線を向けると、ちょうど森川くんが走り始めるところだった。
ホイッスルの音と共にスタートして、綺麗なフォームで走る森川くんは、見事一位だった。
ゴールした時の笑顔が本当に嬉しそうで、見ていたわたしまで思わず笑顔になる。
あんな風に早く走れるなんて羨ましいな。
わたしは運動が苦手で、小学生の頃からいつも体育の授業が憂鬱で仕方なかったから、スポーツが得意な人はすごいなと思う。
なんて思っていたら、森川くんがこっちに向かって走ってきた。
「立花さん、ごめん。園芸委員の仕事ひとりでやらせちゃって」
「え?ううん、もう終わるし、大丈夫だよ」
まさかそれを言うためにわざわざ来てくれたの?
「そっか。今度はちゃんと手伝うから。ごめんな」
そう言って、森川くんはまたすぐにグラウンドの方に向かって行った。
その背中を見つめながら、わたしはさっきと同じ胸の高鳴りを感じていた。
なんだろう、この気持ち。
ドキドキして、ふわふわして、つかみたいのにつかめない。
そう、まるでふわふわと空を舞うタンポポの綿毛みたいな感じ。
胸の奥に芽吹いたこの気持ちの名前をわたしが知るのは、まだもう少し先のこと―。
【#5】
「着いた~!」
展望台に着くと、同じ班の柏木さんがはしゃいだ声を上げた。
今日は一年生全員参加の春遠足で、花山展望台へハイキングに来ている。
わたしは残念ながら初芽ちゃんと班が別れてしまったけど。
「あ~腹減った。弁当食おうぜ!」
同じ班になった森川くんがそう言って、背負っていたリュックを下ろして早速お弁当を食べる準備を始めた。
そしてみんなでシートを広げて準備をしていると、初芽ちゃん達の班も展望台に着いてこっちに歩いてくるのが見えた。
「初芽ちゃん達も一緒に食べようよ」
わたしが声をかけると他のメンバーも賛成してくれて、初芽ちゃん達の班も一緒にお弁当を食べることになった。
「うわ~苺花のお弁当可愛い!」
わたしのお弁当を見て、初芽ちゃんが声を上げた。
今日のお弁当は、うさぎのキャラクターのおにぎり。
料理好きなお母さんが張り切って作ってくれた力作。
最初は食べるのがもったいなく感じたけど、たくさん歩いてお腹が空いていたせいか、食べ始めたらあっという間に食べ終わった。
お弁当を食べ終えると、森川くんが
「さて、食後の運動するか」
そう言って速水くんと一緒に走り始めた。
遊びのはずなのに真剣な表情で走る森川くんから、目が離せない。
「はい、夏樹の勝ち~」
そして見事に森川くんが圧勝した。
「イェ~!」
森川くんがガッツポーズをして喜んでるその笑顔に、わたしまで思わず笑ってしまう。
(あ、まただ)
森川くんのことを見てると、なんか胸の奥がふわふわする。
「苺花!」
「……え!?」
突然大きな声で名前を呼ばれて、ビックリして視線を向けると、
「女子みんなで花いちもんめやろうって」
初芽ちゃんが言った。
「うん、わかった」
それから、みんなで遊んでいる間も、ふとした時に森川くんのことを目で追っているわたしがいた。
「苺花? どうしたの?」
初芽ちゃんに不思議そうに訊かれて、
「なんでもないよ!」
慌てて視線を戻す。
わたし、どうしたんだろう……。
なんでこんなに森川くんのことばかり気にしてるんだろう。
【#6】
春遠足を終えてすぐに訪れた5月の連休中。
「映画、楽しかったね~」
駅前のドーナツショップで、初芽ちゃんが興奮気味に言った。
日曜の昼下がり。
店内は家族連れやカップルで賑わっている。
「特に翔くん、イケメンだったなぁ~」
「確かに、マンガのイメージ通りだったね」
初芽ちゃんの言葉にわたしも頷いた。
わたしたちは、今大人気の少女マンガが原作の映画『青恋-アオコイ-』を観たんだけど。
クールなヒーロー・翔くん役を人気アイドルグループのメンバーが演じていて、マンガのイメージ通りで素敵だった。
「翔くんって、速水くんに似てない?」
チョコドーナツを食べながら、初芽ちゃんが言った。
「え、そう?」
「うん。クールだけど、笑うと無邪気な感じになるところとか……」
言いながら、初芽ちゃんの顔がほんのり赤くなっている。
もしかして……。
「初芽ちゃん、速水くんのこと好きなの?」
「……!?」
わたしの質問に動揺したのか、初芽ちゃんは慌てた様子で注文していたミルクティーを飲んだ。
「けほっ」
「大丈夫?」
むせてる初芽ちゃんに声をかける。
落ち着いたところで、初芽ちゃんがテーブルに視線を落したままつぶやいた。
「バレたか」
ってことは、図星なんだ。
「いつから?」
「気づいたのは、春遠足の前くらいかな」
観念したように、初芽ちゃんが言った。
「グループ決めの時に、うまくまとめてくれて。すごいなぁって思って……それから、いつの間にか気になってた」
そう話してくれた初芽ちゃんは、完全に恋する女の子の顔になっていた。
そっか。初芽ちゃん、好きな人ができたんだ。
嬉しいような、寂しいような、ちょっと複雑な気持ちが胸に広がる。
「苺花はいないの? 好きな人」
「えっ!?」
初芽ちゃんに訊かれて、一瞬頭に浮かんだのは、森川くんの顔。
なんでよりにもよって森川くんなの!?
自分で自分に戸惑っていると、
「あ、いるんだ~」
初芽ちゃんがすかさず突っ込んできた。
「い、いないよ!」
慌てて否定したけど、初芽ちゃんは得意げな顔になって言った。
「うそ! 見ててわかっちゃった、苺花の好きな人。チャラ王子でしょ?」
「………」
否定も肯定もできず、黙りこむ。
わたしには、まだ「好き」っていう気持ちがよくわからないから。
「どうして、そう思ったの?」
わたしを見てわかったと言った初芽ちゃんは、何がきっかけでわたしが森川くんのことを好きだと思ったんだろう。
「だって苺花、いつも森川くんのこと見てるでしょ? 春遠足の時、女子達で遊んでる時もずっと森川くんのこと見てたから、すぐわかったよ」
「そんなに見てた?」
「うん。ガン見してた」
そんなにはっきりわかるくらい見てたんだ。
なんだか今になって急に恥ずかしくなってきた。
「でも、相手があのチャラ王子だとライバル多くて大変そうだね」
確かに、森川くんはすでに女の子から「カッコイイ」って騒がれてる。
早くも陸上部のレギュラー候補と言われているみたいだし、これからますます人気が出そう。
……って何考えてるんだろう、わたし。
これじゃ、ホントに森川くんのことが好きみたいじゃない。
「お互い、頑張ろうね」
だけど、そう言って笑った初芽ちゃんの笑顔に、
「……そうだね」
と答えているわたしがいた。
好きな人の存在に気づいた日。
街はあたたかな日射しが降り注ぎ、春色に染まっていた。
【#7】
「なぁ、陸上部マネージャーの茅野先輩って超可愛くね?」
「この学校では美少女マネージャーで有名らしいよな~」
朝のホームルーム前の時間にクラスの男子達が話しているのが聞こえた。
陸上部マネージャーってことは、森川くんとも関わりがあるのかな。
そんなことを考えていたら、榎本先生が教室に入ってきてホームルームが始まった。
そして一時間目の国語の授業では、連休前に行われた漢字テストの答案が返された。
「立花さん」
「はい」
名前を呼ばれて答案用紙を見ると、90点。
我ながら、よく頑張ったと思う。
「森川くんはもっと頑張らないとダメよ」
先生のそんな言葉が聞こえて一体何点だったんだろうと思っていたら、
「ちょ、40点とかヤバくね?」
速水くんが思い切り点数をばらしてしまった。
確かに40点はまずいかもしれない。
きっと森川くんは勉強より部活派なんだろうな。
* * *
放課後、わたしは図書室にいた。
今日は週2回の文芸部の活動日。
(あ、また1位だ)
図書室の窓越しに見える、陸上部の練習風景。
森川くんが見事一位になって、嬉しそうにガッツポーズしている姿が見えた。
すごいなぁ。
「……さん。立花さん!」
「は、はい!」
「そろそろ打ち合わせするけど、いい?」
「あ、はい」
部長の藤堂先輩に言われて、慌てて視線を戻した。
今は部活中なんだから、森川くんに見とれてる場合じゃない。
そう自分に言い聞かせても、やっぱり気になって無意識に窓の外に視線を向けてしまう。
ふと目に映ったのは、森川くんと親しそうに話す女の子の姿。
遠目に見ても可愛い雰囲気なのがわかる。
もしかして、あの人が陸上部マネージャーの茅野先輩?
「た、ち、ば、な、さん!」
「はぃ!?」
再び大きな声で名前を呼ばれて視線を戻すと、藤堂先輩が呆れたように笑っているのが見えた。
「そんなに窓の外が気になる?」
「すみません…」
うう、恥ずかしい……。
結局、あまり集中できないまま部活の時間は終了した。
* * *
翌日。
「苺花、おはよ~」
自分の席で宿題の確認をしていたら、初芽ちゃんに声をかけられた。
いつも明るくて元気な初芽ちゃんだけど、今日はいつも以上に元気だ。
キラキラっていう言葉がピッタリの笑顔を浮かべている。
「おはよう。なんかすごく嬉しそうだけど、なにかいいことあった?」
「さすが苺花、よく気づいたね。実はね、速水くんからわたしにあいさつしてくれたの」
初芽ちゃんは待ってましたと言わんばかりにさっきあった出来事をこっそり耳打ちで教えてくれた。
「すごい! 良かったね」
口数の少ないクールな速水くんが、自分から初芽ちゃんにあいさつするなんて。
これは大きな進歩じゃない?
なんだかわたしまで嬉しくなる。
わたしも、もう少し積極的に森川くんと話せるようになりたいな。
自分からは恥ずかしくてなかなか話しかけられないから。
なんて、この時は呑気に考えていたんだけど。
「森川くんが陸上部のマネージャーとつきあってるらしい」
そんな衝撃的なウワサがクラスに広まったのは、それからわずか数日後のこと。
相手が男子の間で美少女と有名な茅野先輩ということで、みんな興味津々。
「森川、あんな美少女マネどうやって口説いたんだよ~」
「さすがチャラ王子だな」
男子は森川くんを羨ましがっていて、
「茅野先輩、部員に手を出すような人だったの?」
「なんかガッカリだね」
女子からは茅野先輩を非難する声が上がっていた。
「苺花、大丈夫?」
お昼休み、初芽ちゃんが心配そうにわたしに訊いてくれた。
正直なところ、大丈夫とは言えない。
「っていうか、そもそもなんでいきなりチャラ王子が茅野先輩とつきあってるなんて話になったんだろうね」
「確かにね」
同じ部活の部員とマネージャー、ただそれだけでつき合ってるなんてウワサになるとは思えない。
それに、森川くんが茅野先輩のことを好きだなんて話も聞いたことがない。
それなのにどうして?と思っていると、
「森川くんと茅野先輩が部室でふたりきりでしかも抱きしめ合ってるように見えたらしくて、それでつきあってるんじゃないかって話になったんだって」
偶然わたしたちの会話を聞いていたらしい結(ゆう)菜(な)ちゃんが教えてくれた。
「部室でイチャつくとかホントにチャラいな、チャラ王子」
初芽ちゃんが呆れたようにつぶやいた声が耳を素通りしていく。
「ふたりきりで部室で抱きしめ合ってた」
うそでしょ?
自分がその現場を見ていたわけじゃないのに、まるで自分が目撃してしまったかのような気持ちになって、すごくイヤな気持ちになった。
聞かなければよかった。
午後の授業はお昼休みに聞いた話がショックで全然集中できなかった。
つきあうってことさえわたしには未知の世界なのに、抱きしめ合うとか……。
森川くんは、そういうこと慣れてるのかな。
そう考えたら、胸の奥がぎゅっと掴まれたみたいに痛くなって、苦しくなって、泣きたくなった。
授業が終わって帰りのホームルームが始まる頃、外では雨が降り出した。
今日は部活もないし、早く帰ろう。
家に帰って、大好きな本を読んで、今日のウワサのことは忘れよう。
そう思って、ホームルームが終わるとすぐに教室を出た。
家に着くなり、自分の部屋に直行してベッドに倒れこむ。
ひとりになったとたん、堪えてた涙が溢れだした。
別に、森川くんの口からはっきり茅野先輩とつきあってるって聞いたわけじゃない。
告白してフラれたわけでもない。
だけど、苦しくて悲しくて、自分でもどうしたらいいかわからない。
誰かを好きになると、こんなに苦しくなるものなのかな。
本格的に降り出した雨の音を聞きながら、ぼんやりとそんなことを思った。
【#8】
翌日、なんとなく重い気持ちで学校へ向かった。
昨日の雨がウソみたいに爽やかな晴天。
「苺花おはよー……って、その顔どうしたの!?」
教室に入ると、初芽ちゃんが驚いた声を上げた。
昨日帰ってから泣きすぎたせいか、ちょっと目が腫れていて。
お母さんには「そんな気になるほどじゃない」と言われたけど、やっぱり初芽ちゃんの目はごまかせないみたい。
「やっぱり昨日のウワサ?」
他の人には聞こえないように小声で言われて、小さく頷く。
「あのチャラ王子、苺花を泣かせるなんて許せない!」
「初芽ちゃん、落ち着いて!」
わたしが怒りに震えている初芽ちゃんをなだめていると、先生が教室に入ってきた。
「今日は前から話していた通り、三、四時間目の授業は写生大会になります。二時間目の授業が終わったら、班ごとに校庭に集合してね」
先生に言われて、思い出した。
そう言えば今日は写生大会の日だっけ。
学校の近くにある河原で風景をスケッチする授業で、この学校では毎年5月に行われている恒例行事らしい。
絵を描くのが得意じゃないわたしにとっては、あまり嬉しくない授業だけど。
「うわ~タンポポがいっぱい!」
河原に着くと、あちこちにタンポポが咲いていた。
風が吹くと、綿毛がふわふわと揺れている。
耳を澄ませば、流れる川の音とウグイスの鳴き声が聞こえる。
「う~ん、爽やかで気持ちいいね~」
隣で初芽ちゃんが気持ちよさそうに伸びをしてる。
「このへんでいいかな」
「うん、そうだね」
初芽ちゃんとふたりで場所を決めて、早速スケッチブックに絵を描き始めた。
「お、ここいい景色じゃん」
突然後ろから聞こえてきた声。
振り返ると、森川くんが速水くんと一緒に場所探しをしているところだった。
「ここ、いい?」
森川くんに訊かれて、戸惑いながらも「どうぞ」と答えた。
昨日のウワサ聞いたばかりだから意識しちゃってどんな顔したらいいかわからないよ。
そんなわたしの様子を察したのか、初芽ちゃんが心配そうな視線をわたしに向けたあと。
「ねぇ、森川って茅野先輩とつきあってるの?」
わたしが気になって気になって仕方なくても自分から確かめる勇気がなかったことを堂々と口にした。
「いきなりなんだよ」
森川くんは突然の質問に驚いていたけど、
「なんか急にそんな話になってるけど、全然そんなんじゃないから」
と、ちょっと不機嫌そうにしながらも答えてくれた。
「そうそう、茅野先輩が部室で転びかけたのを支えたところ偶然見られて誤解されたんだってさ」
速水くんがそうつけ足した。
ってことは、あれはただのウワサで、森川くんは茅野先輩とはつきあってるわけじゃないの?
「そうなんだ」
初芽ちゃんも、拍子抜けしたような顔してる。
そして、わたしに「よかったね」という様に目配せした。
ありがとう、初芽ちゃん。
「立花さん、絵上手だね」
不意にそう言われて慌てて顔を上げると、いつのまにか森川くんがわたしの絵を横から覗きこんでいた。
「そんなことない、です……」
突然の至近距離と、思いがけず誉められたことが恥ずかしくて一気に顔が熱くなる。
なんだろう。胸の奥がぎゅってなる感じ。
だけど、昨日みたいに苦しい感じじゃなくて、ふわふわくすぐったい感じ。
「やっぱり、立花さんってタンポポみたいで可愛い」
「……え?」
今「可愛い」って言われた?
「こら、苺花口説くなチャラ王子!」
隣で森川くんの言葉を聞いていた初芽ちゃんが、そう言いながら森川くんを叩こうとして、「うわ、暴力反対!」と言いながら慌てて逃げようと走り出したところを初芽ちゃんが追いかけていく。
そんなふたりがおかしくて思わず笑いがこぼれる。
いつの間にか絵を描くどころか追いかけっこになっているのを見て、
「あいつら何してんだよ」
呆れたように速水くんがつぶやいた。
「でも、楽しそう」
ふふっと笑いながら、わたしは目の前にあったタンポポの綿毛をとった。
そっと息を吹きかけると、綿毛が風に乗ってふわふわと空へ舞い上がっていく。
森川くんは、わたしのことをタンポポみたいって言ってたけど。
わたしは、森川くんを想うこの気持ちがタンポポみたいだなって思う。
ふわふわしてつかみそうでつかめなくて、でも気がついたら心の奥で芽生えてる。
今はまだ小さな芽だけど、いつか綺麗な花が咲くといいな。
森川くんの心に、この想いが届いたらいいな。
「苺花もおいで~!」
初芽ちゃんに呼ばれて、わたしは笑顔で駆け出した。
その瞬間、また風が吹いてたくさんの綿毛がふわふわと空へ舞い上がっていった。
【#9】
*Side 初芽*
「おはようございます! 苺花いますか?」
中学入学式の朝、8時過ぎ。
わたしは、苺花の家にお迎えに行った。
「初芽ちゃん、おはよう。ちょっと待ってね」
苺花のお母さんが笑顔で迎えてくれて、まだ部屋にいるらしい苺花に声をかけてくれた。
少しして慌てて玄関に降りてきた苺花を見たら、
「苺花のスカート可愛い!わたしもその色にすれば良かった~」
思わずそんな言葉が出た。
「ほら、ふたりとも急がないと遅刻するわよ」と苺花のお母さんに言われて慌てて学校へ向かう。
学校について廊下の掲示板に貼られているクラス分け表を見ると、わたしも苺花も同じ3組だった。
「苺花!わたしたちふたりとも3組だったよ!」
少し離れた場所にいた苺花に満面の笑みでそう報告すると、苺花も大喜びしてくれた。
春休み中、「同じクラスになれるといいね」って話していたから、本当に嬉しい!
「はい、席に着いて」
担任の先生が教室に入ってきて、騒がしかった教室が緊張感に包まれる。
「担任の榎本です。1年間よろしくね」
明るく挨拶した先生に「恋人はいますか~?」なんて質問している男の子と、「いきなり先生口説くなよ、おまえはチャラ男か!」と突っ込む男の子の絶妙な掛け合いにクラスから笑いが起きた。
このクラスなら楽しくなりそうな気がする。
* * *
出欠確認のあと、体育館で入学式が行われた。
緊張しつつも中学生になったことを実感する。
「新入生挨拶の言葉。新入生代表、一年三組 速水 駿」
突然聞こえてきた同じクラスの子の名前に前を見ると、朝の出欠確認で突っ込みを入れていた男の子だった。
新入生代表に選ばれたということは、小学生時代に成績が良かったってことなのかな。
落ち着いてしっかりとした口調で挨拶文を読み上げる姿は、同じ一年生には見えないくらい堂々としていた。
* * *
「苺花、お疲れ。校長の話長かったね~」
全てのプログラムが終わった後、教室に向かう途中で声をかけた。
「そういえば、新入生代表で挨拶してた速水くん、すごかったね」
もうひとつ印象に残ったことを口にすると、
「あ、初芽ちゃんも思った?」
苺花も同じことを思っていたようで、そう返してくれた。
「うん。堂々としててさすが代表って感じでカッコ良かった」
「もしかして初芽ちゃん、好きになったとか?」
「え、そんなんじゃないよ~!」
なんて言いながらも、実はほんのちょっとだけ、速水くんのことが気になり始めている。
さっき初めて会ったばかりで「好き」とか言えるようなものではないけど。
「でも、なんかこうして制服着て入学式やると中学生になったんだって実感するね」
「うん。ホントだね。苺花と一緒のクラスだし中学生活楽しくなりそう!」
苺花の言葉に笑顔で頷く。
これからの中学生活、楽しく過ごせたらいいな。
【#10】
中学生活2日目。
今日の授業はお昼までで、全てホームルーム。
1時間目はクラス全員ひとりずつ自己紹介をした。
「この時間は、クラスの係と委員会決めをします」
榎本先生がそう言って、黒板に各係と委員会の名前を書いていく。
「まずはクラス委員からね。男女各1名です。誰か立候補してくれる人?」
先生の問いかけに、それまでざわついていた教室が急に静かになった。
クラス委員=クラスの代表というイメージだから、立候補する人はなかなかいない。
小学生の時も、なかなか決まらなかった。
「あら、誰もいない?」
先生が残念そうに言って、教室内を見回した。
みんな気まずそうに視線を逸らして下を向いている。
このままだと、なかなか決まらずに長引きそう。
どうせ誰かがやらなくちゃいけないなら……。
「先生!わたし、クラス委員になります」
手を挙げてそう言うと、みんなの視線が一気にわたしに集まった。
「山吹さん、立候補してくれるの?」
「はい」
「それじゃ、クラス委員の女子の方は山吹さんに決定ね。立候補してくれてありがとう。みんな拍手!」
先生の言葉で、クラス中から拍手が起きた。
なんか恥ずかしいな。
でもクラス委員は小学生の時もやったことがあるし、きっと大丈夫。
「クラス委員、もう一名男子で誰かやってくれる人いるかな?」
先生が尋ねると、
「先生! クラス委員、もうひとりは速水くんがいいと思います」
森川くんが手を挙げて言った。
速水くんって、昨日の入学式でも新入生代表で挨拶していた子だ。
「俺、同じ小学校だったけど、駿は児童会長もやってたし、リーダーの才能あると思います」
速水くんって、児童会長やってたんだ。
だから昨日の挨拶もあんなに堂々としてたのか。
「っていうことだけど、速水くん、どうかな?」
森川くんの言葉を聞いた先生が速水くんに尋ねると、
「わかりました。やります」
速水くんの言葉に、もう一度教室から拍手が起きた。
またざわめき出した教室の中、
「じゃあ、ここからはクラス委員の速水くんと山吹さんに進行してもらいます。ふたりとも前に来てくれる?」
先生の言葉に、わたしと速水くんは席を立って黒板の前に移動した。
「それでは委員会決めを続けます。園芸委員やりたい人いますか?」
わたしが黒板に書かれた委員会を読み上げると、苺花と目が合った。
手を挙げたそうにしているけど、ちょっと悩んでいるような雰囲気だ。
「苺花、園芸委員やる?」
わたしが訊くと、苺花が頷いた。
やっぱりやりたかったみたいだ。
苺花は小さい頃からみんなの前で積極的に自分の意見を言うのが苦手だから、いつのまにかわたしが表情や態度で苺花の気持ちを察してみんなに伝えるようになっていた。
「苺花は園芸委員ね。あとひとり、男子でやりたい人いますか?」
「園芸委員って何するんですか?」
わたしの問いかけに反応したのは、森川くんだ。
「……えっと、」
わたしも活動内容がよくわからずにちょっと言葉に詰まっていると、
「校内の花壇の水やりや手入れをしてもらう仕事だよ」
隣にいた速水くんが答えてくれた。
「へぇ。それじゃ、俺やります」
あっさりとそう答えた森川くん。
「そう? じゃあ、園芸委員は立花さんと森川くんね」
わたしがそう言うと、速水くんが黒板に名前を書いてくれた。
「森川くん、楽そうだから決めたんでしょ?」
「バレたか」
榎本先生の突っ込みに、森川くんが笑いながら頷いた。
森川くん、なんだかちょっとチャラい感じがするけど、苺花と同じ委員会で大丈夫かな。
まるで苺花のお姉さんのような気持ちで、わたしはほんの少しだけ心配になった。
* * *
放課後、部活動見学の時間。
「1・2・3・ゴー!」
体育館の中に入った途端、元気な掛け声と共に聞こえて来たポップな音楽。
その音楽に合わせて、体育館のステージの上で楽しそうにダンスを踊っているダンス部の先輩達。
ステージの周りには、わたしと同じくダンス部の見学に来たらしい新入生達が集まっていて、曲に合わせて手拍子をしている。
わたしも苺花と一緒にその中に混ざって、ダンスを見た。
「ダンス部で一緒に青春しよう!」
曲が終わるとステージの先輩達が声を揃えてそう言って、周りから歓声が起きた。
すごい、すごい。やっぱりカッコイイ!
わたしも、あの先輩達と一緒に踊って青春したい!
「苺花、わたしダンス部入る!」
わたしは、もうこの瞬間にダンス部に入ることを決めた。
【#11】
「今日のホームルームは春遠足の班決めをします。クラス委員、お願いね」
榎本先生に言われて、速水くんとふたりで前に出る。
「それでは、まず班決めの方法を決めたいと思います。何か意見のある人は挙手でお願いします」
速水くんがそう言うと、
「え~席順じゃダメなの?」
「好きな者同士だとうちのクラス奇数だからどこか揉めるよね」
「面倒くさい~」
そんな言葉が聞こえて来て、教室が騒がしくなった。
「静かにして下さい! 意見のある人は挙手して発言して下さい」
わたしが大きな声でそう言っても、みんなそれぞれに話し始めて聞いてくれない。
困ったなぁと思ったら、
「みんな、注目!」
速水くんが手を叩いてよく通る大きな声で言って、みんながこちらに視線を向けた。
「春の遠足はクラス内はもちろん、学年全体で親睦を深めるための行事です。できるだけ普段話したことのない人とも話せるように、くじ引きでいいですか?」
速水くんの話し方は、小学生の時に児童会長を務めていただけあって、堂々としていて説得力がある。
「そうだよな。くじ引きが一番いいかも」
「うん。席順だと結局毎日顔合わせてるメンバーだしね」
みんな速水くんの意見に納得して、結局くじ引きで決めることになった。
「さっきの速水くん、カッコ良かったね」
「うん。さすが元児童会長だよね」
「小学生の時からあのクールな感じがカッコいいって女子から人気あったらしいよ。笑わない王子様って言われてたんだって」
ホームルームのあとの休み時間、一部のクラスの女の子達からそんな会話が聞こえて来た。
確かに、速水くんが笑っているところって見たことがない。
無愛想っていうわけでもないけど、感情をあまり表に出さないタイプだと思う。
だけど、意思の強そうな瞳と凛とした佇まいは独特の雰囲気を醸し出していて、こういう男の子のことをイケメンと言うのかもしれないと思う。
女の子達から王子様と言われるのもわかる気がする。
自分の席に戻って本を読んでいる速水くんを見ながら、わたしはふとそんなことを思った。
* * *
ゴールデンウィーク直前の4月の終わり。
春遠足の当日がやってきた。
電車に乗って向かったのは花山展望台というハイキングコース。
最寄駅を降りると、空気が澄んでいるのがわかる。
見上げれば、雲ひとつない青空。
吹き抜ける爽やかな風と、聞こえてくる鳥の声。
今日は最高の遠足日和だ。
「それでは、班ごとに出発して下さい」
先生の指示で、先頭に並んでいたグループからハイキングコースを歩き始めた。
わたしは、くじ引きの結果残念ながら苺花とは別の班になってしまった。
苺花は幸か不幸かチャラ王子と同じ班だ。
そしてわたしは、笑わない王子こと速水くんと竹本くんと同じ班。
みんなでリュックを背負って、目的地である花山展望台へ向かって歩く。
「う~ん、空気がうまいなぁ」
そう言いながら伸びをする竹本くんと、無言のまま周りの景色に視線を向けて歩く速水くん。
「ねぇねぇ、山吹さんって速水くんが笑ったところ見たことある?」
突然わたしの耳元に顔を寄せて小声で話しかけてきたのは、同じ班になった松下さん。
「見たことないよ。松岡さんは?」
「ないない。でも、そっか。一緒にクラス委員してる山吹さんもまだ見たことないのかぁ」
松岡さんは残念そうにため息をついた。
「せっかくイケメンなんだから、もっと笑えばいいのにねぇ」
「そうだね」
なんてふたりで話していたら、
「そこの女子ふたり、のんびり歩いていると置いてくぞ」
わたしたちより前を歩いていた速水くんに淡々とした口調で言われて、
「ごめん~」
慌てて小走りで追いかけながら、ふたりで顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
「ねぇ、初芽ちゃんって呼んでいい?」
「うん、いいよ。松下さんは、なんて呼べばいい?」
「小学校からの友達には菜緒ちゃんって呼ばれてるけど」
「じゃあ、菜緒ちゃんって呼ぶね」
「うん」
呼び方を変えただけで、急に親しくなったような気がするから不思議だ。
それからわたしたちはすっかり意気投合して、お喋りしながら歩いているうちに目的地である展望台に到着した。
すでに到着した子達は、ピクニックシートを広げてお弁当を食べている。
「初芽ちゃん!」
名前を呼ばれて視線を向けると、すでに到着していたらしい苺花が、満面の笑みで手を振っていた。
「もう着いてたんだね」
「うん」
苺花は、同じ班の子達とちょうどお弁当を食べ始めるところだったみたい。
「初芽ちゃん達も一緒に食べようよ」
「いいの?」
わたしが尋ねると、
「うん。みんなで食べた方が楽しいし」
苺花以外のメンバーも賛成してくれたから、わたしたちの班も苺花の班と一緒にお弁当を食べることにした。
「いただきます」
みんなで声をそろえて挨拶をして、お弁当箱を開けた。
「うわ~苺花のお弁当可愛い!」
苺花のお弁当を見ると、中には可愛らしいうさぎのキャラクターのおにぎりが入っていた。
可愛すぎて食べるのがもったいなく感じてしまうくらいのキャラ弁だ。
苺花のお母さんは料理上手で、遠足や運動会の時に苺花のお弁当を見る度に凝っていて羨ましく思う。
ちなみにわたしは、大好きな3色そぼろ弁当。
見た目はシンプルだけど、玉子そぼろも鶏肉のそぼろもお母さんがしっかり味付けしてくれていて、とても美味しい。
そして今日は桜でんぶもいつもより高いものを奮発してくれたらしく、口に入れるとふわっとした触感と程よい甘さが広がった。
「美味しい!」
お弁当を食べながら自然と口にした言葉。
教室で食べるいつものお昼とは違って、景色と空気が綺麗な場所で食べるお弁当はとても美味しく感じる。
「ごちそうさまでした」
男子陣はあっという間にお弁当を食べ終えて、早速追いかけっこをしたり、木登りをしたりして遊び始めている。
「男子は元気だねぇ~」
そんな様子を見ながら、珠李ちゃんが半分呆れたようにつぶやいた。
わたしも何気なく男子達の方を見ていたら、速水くんが森川くんと一緒に走っていて。
「はい、夏樹の勝ち~」
竹本くんがそう言うと、
「陸上部の夏樹に勝てるわけねぇじゃん、バカ」
そう言いながら、速水くんが笑っている。
初めて見た、速水くんの笑顔。
「ちょっと、今の見た!? 速水くんが笑ってた!」
隣で、珠李ちゃんがはしゃいだ声を上げた。
「なにあの笑顔、カッコよすぎるんですけど!」
「速水くん、もっと笑えばいいのに!」
近くにいた他の女の子達も、珠李ちゃんと同じように騒いでる。
確かに、いつものクールな表情と違って優しそうな笑顔は、わたしもカッコイイなって思った。
でも、たった一瞬の笑顔でこれだけの女子が騒ぐっていうことは、それだけ速水くんって女子に注目されているんだ。
本人は全く気づいてなさそうだけど。
「初芽ちゃん、女子みんなで花いちもんめやるからあっちに集合だって」
楽しそうに笑い合っている速水くん達を見ていたら、後ろから結菜ちゃんに声をかけられた。
「は~い」
笑顔で返事をして、
「苺花、行こう」
隣にいる苺花にも声をかけたけど、苺花は森川くんたちの方を真剣な表情で見つめたまま。
「苺花?」
もう一度呼んでも、反応がない。
一体どうしたの?
「苺花!」
「え!?」
わたしがわざと大きな声で呼ぶと、やっと気づいてこっちを向いてくれた。
それから、女子みんなで遊んでいる時も、苺花はずっと男子達の方を見ていて。
その視線の先にはチャラ王子がいた。
そういえば、さっきもチャラ王子達の方を見てた。
もしかして、苺花、チャラ王子のことが好きなの?
【#12】
ゴールデンウィーク中の日曜日。
わたしは、地元の映画館で苺花と待ち合わせをした。
今日は、今クラスでも大人気の少女マンガ『青恋』を観る予定。
わたしも苺花も原作のマンガが大好きだから、ふたりで観ようって約束していたんだ。
「楽しみだね」
ふたりでワクワクしながらジュースとポップコーンを買って、中に入る。
上映が始まると、一気に物語の中に惹きこまれた。
スクリーンの中、クールなイケメン男子・翔くんに壁ドンされている主人公の結愛ちゃん。
「他の男のことなんか見るなよ」
大音量で響く翔くんの甘いセリフに、わたしも含め館内中……いや、映画を観た日本中の女の子が胸キュン間違いなしだと思う。
そして、わたしには翔くんが速水くんと重なって見えてしまって、映画を観ている間中、ドキドキしていた。
* * *
「映画楽しかったね~!」
映画を観終わったあと、苺花とドーナツショップで感想を熱く語り合った。
そこでわたしは初めて速水くんのことが好きだと苺花に打ち明けた。
打ち明けたというより、苺花に気づかれた感じだけど。
そして、苺花にも好きな人ができたと知った。
相手は、予想通りチャラ王子。
まさか苺花がチャラ王子を好きになるとは思わなかったけど。
でも、こんな風に苺花と好きな人の話をすることに実はちょっと憧れていたんだ。
「お互い頑張ろうね」
わたしの言葉に、苺花は少し戸惑いながらも「そうだね」と返してくれた。
これからも、こんな風に苺花と遊びに行ったり、好きな人の話をしたりしたいな。
* * *
「この前の漢字テストを返しま~す」
担任の榎本先生の言葉に、みんなが騒ぎ始めた。
月曜日最初の授業は、担任の榎本先生が担当教科の国語。
先週末の授業で漢字テストがあって、その答案用紙が返されるんだ。
なんだか一気に現実に引き戻された気分。
「速水くん」
「はい」
「満点おめでとう」
榎本先生が笑顔でそう言って答案用紙を渡した。
「すげ~速水」
「さすがクラス委員」
みんなが感心してる。
やっぱり速水くんって頭いいんだなぁ。
「山吹さん」
「はい!」
わたしの順番が来て、ちょっと緊張しながら先生のところへ。
「一問間違い、おしかったね」
そう言いながら渡された答案用紙を見ると、赤点で書かれた点数は95点。
国語は小学生の時から得意だったから、今回のテストも手ごたえはあったんだけど。
満点取れなかったのは悔しいなぁ。
「初芽ちゃんすごいね」
苺花に言われて、苺花の答案用紙を見ると、90点の文字。
「苺花だってすごいじゃん」
照れ隠しにそう返す。
みんながお互い答案を見せ合って賑やかな教室の中、
「森川くんはもうちょっと頑張らないとダメよ」
そんな先生の言葉が聞こえて思わず苺花とふたりで顔を見合わせる。
何点だったんだろう?
なんてちょっと気になっていると、
「ちょ、40点とかヤバくね?」
速水くんが堂々と森川くんの点数を口にした。
う~ん、森川くん、勉強は残念な感じなんだなぁ。
まぁ、陸上部で頑張ってるしね。
勉強より部活なタイプなのかな。
速水くんは完璧優等生って感じだけど。
「森川くん、せっかくなら速水くんに教えてもらいなさい」
先生の言葉に、
「は~い」
森川くんが同時にちょっとシュンとした声で返事をして。
その様子がなんだかちょっと可愛くて、教室から笑い声が聞こえてきた。
* * *
「山吹、今日の放課後クラス委員会あるって」
授業が終わって休み時間、速水くんが声をかけてくれた。
「了解」
わたしが頷くと、速水くんはそのまま席へ戻って行った。
相変わらず、無表情というかクールというか。
春遠足の時には楽しそうに笑ってたのになぁ。
「相変わらずクールだね」
わたしと同じことを思ったのか、苺花がそうつぶやいた。
* * *
休み明けでいつもより長く感じた授業を終えて迎えた放課後。
わたしは速水くんと一緒に会議室へ向かった。
「失礼します」
中に入ると、まだ誰も来ていなかった。
「一番乗りだね」
「ああ」
………。
とりあえず一番前の席にふたりで並んで座ったものの…。
速水くんは必要最低限なことしか話さない人だから、沈黙がなんとなく気まずい。
「そ、そういえば、速水くん漢字テスト満点だったんだよね! すごいね!」
「え? ああ、ありがと」
突然の話に戸惑いつつも、速水くんが返事をしてくれた。
とにかく何か話題を、と思って浮かんだのがテストの話なんて我ながら情けない。
こっそり落ち込んでいたら、
「でも、山吹だって一問間違えただけだろ?」
ふいに聞こえてきた言葉。
「どうして速水くんがわたしの点数知ってるの?」
「榎本先生の声大きいから聞こえた」
あ、そっか。そう言えば、答案用紙渡された時に先生に「惜しかったね」って言われたんだ。
「山吹もすごいじゃん」
そう言いながら速水くんの表情が和らいで、ほんの一瞬だけど笑顔になった。
どうしよう、すごく嬉しい。
一瞬でも速水くんの笑顔が見られた喜びに浸っていると、
「あ~疲れた~」
「月曜から居残りとかないんだけど~」
一斉に他のクラスの子達が会議室に入ってきて、一気に騒がしくなった。
「みんな揃ったか~?」
学年主任でクラス委員担当の先生も会議室に来て、委員会が始まった。
今日は、年間の主な学校行事についての説明で終了。
まだ休みボケが抜けないし、早く帰ろう。
そう思って席を立った時、
「お疲れ」
速水くんが声をかけてくれた。
たった一言だけど、速水くんの方から話しかけてくれたことがすごく嬉しくて。
「速水くんもお疲れ! また明日ね」
わたしは満面の笑みでそう返して会議室を出た。
【#13】
「初芽ちゃん、おはよ~!」
翌朝。昇降口で靴を履き替えていると、後ろから菜緒ちゃんに声をかけられた。
「おはよ~」
振り向いて笑顔で返すと、速水くんもちょうど登校してきたところで、一瞬目が合った。その瞬間、
「……おはよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声が聞こえた。
今のって、もしかしてわたしに言ってくれたの?
「……お、おはよう!」
慌てて返した時には、もう速水くんは教室へ向かって歩いて行ってしまった。
やっぱり気のせいだったかなと思っていると、
「ちょっと! 速水くん、自分から初芽ちゃんにあいさつしたよね!?」
隣で菜緒ちゃんが興奮気味にそう言った。
「やっぱりわたしの気のせいじゃない、よね?」
「うん、絶対初芽ちゃんに向かって言ってたよ! いいな~」
菜緒ちゃんに言われて、今になってじわじわと喜びが胸の奥に広がっていく。
速水くんの方から声をかけてくれるなんて、今日は朝からラッキーだ。
なんだかそれだけで今日がいい日になりそうな予感がして、朝からテンションが上がる。
「苺花、おはよ~!」
教室に入って席に着くと、わたしは嬉しさを隠しきれず満面の笑みで苺花に声をかけた。
「おはよう。って、なんかすごく嬉しそうだけど、なにかいいことあった?」
「さすが苺花、よく気づいたね。実はね……」
そう言って、さっきの出来事を小声で話すと、
「すごい! 良かったね!」
苺花はわたしの気持を知っているから、自分のことのように嬉しそうな笑顔で言ってくれた。
それから、苦手な社会の授業もいつもより楽しく思えて。
得意な国語の授業では先生に当てられてもバッチリ答えられて。
あっという間に1日が過ぎて放課後。
今日はダンス部の活動があって、夏に行われる市内大会の出場チーム決めが行われるんだ。
大会に出場するのは2・3年生で、一年生が出られる可能性はかなり低いけど。
それでも、もしかしたらって、ほんの少し期待している。
「それでは、夏季大会に出場するチームを発表します」
体育館の隅に部員みんなが集合すると、顧問の榊先生が言った。
とたんに空気が張り詰めて、緊張感が漂う。
先生が名前を呼ぶ度、歓声や拍手が起こる。
今呼ばれているのはみんな3年の先輩達だ。
どんどん名前が呼ばれていくけど、その中に1年生の名前はひとりもいない。
やっぱりダメかと思ったその時、
「山吹さん」
聞き覚えのある名前が聞こえた気がした。
「山吹さん? 聞こえた?」
「……は、はい!」
もう一度名前を呼ばれて、慌てて返事をした。
「1年生は山吹さんだけだから、しっかり頑張ってね」
先生にそう言われて、本当にわたしのことだと実感する。
わたし、選ばれたんだ……!
今日は本当にラッキーデーみたい。
「それじゃ、各チームごとにストレッチ始めて」
先生の言葉に、それぞれチームごとに別れてストレッチが始まった。
わたしは今日から大会出場チームのメンバーで練習をすることになるんだ。
嬉しいけど1年生はわたしだけだから、ちょっと緊張する。
「山吹さん、頑張ろうね」
林先輩が優しく声をかけてくれて、
「はい、よろしくお願いします!」
わたしはホッとしながら笑顔で返した。
でも、ストレッチをしながらなんとなく視線を感じて。
ふっと後ろを見ると、2年生チームの先輩達がわたしの方を見ていた。
目が合うと、すぐに視線を逸らされたけど。
だけど、その後の練習でも時々わたしの方を見ては先輩同士で何かを話していて。
なんとなく、イヤな予感がした。
【#14】
「おはようございます」
翌朝、不安な気持ちを抱えたままダンス部の朝練習のために体育館へ向かうと、一瞬で空気が変わった気がした。
2年生グループが明らかにわたしを睨むような視線で見ている。
「茜の方が上手いのにね」
不意に聞こえてきた言葉。
茜っていうのは、2年生チームの副リーダーである木下 茜先輩のことだ。
ショートカットにキリッとした一重の目が印象的なクールビューティー系女子。
もちろんダンスの実力もある人だから、大会出場チームに選ばれなかったことはわたしも驚いていた。
確かに、わたしが選ばれて木下先輩が選ばれなかったことに納得がいかないのもわかる。
でも、だからってこんな風に陰口を言うなんて間違ってると思う。
「言いたいことがあるなら、はっきり言って下さい」
思い切って2年生のグループのところに向かってそう言うと、
「じゃあ言わせてもらうけど、はっきり言ってまだ入部したばかりの一年が選ばれて茜が出られないなんておかしいでしょ?」
さっき「茜の方が上手い」と言った楠先輩が、厳しい口調でわたしを睨みながら言った。
「それは……」
わたしだって、まさか自分が選ばれるなんて思ってなかった。
だけど、練習は一生懸命頑張っていたし、きちんと努力していた。
一年生だから大会に出たらダメだなんて、そんなの理不尽だ。
溢れてくる悔しさを必死に抑えていたその時、
「どうしたの?」
後ろから声をかけられて振り向くと、木下先輩が立っていた。
「茜も悔しいでしょ? 1年が大会に出られて自分が出られないなんて」
楠先輩がそう言うと、
「え?」
木下先輩は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたけれど。
「確かに悔しいけど、仕方ないよ。顧問の榊先生が決めたことだし」
そう言って、笑った。
「でも……!」
「もういいから。早く練習始めよう」
まだ納得のいかなさそうな楠先輩の言葉を遮って、木下先輩は準備運動を始めた。
結局、気まずい雰囲気のまま朝練は終了。
放課後の練習もこんな重い空気の中で練習しなくちゃいけないのかな……。
そう考えたら、朝から憂鬱な気持ちでいっぱいになった。
そして暗い気持ちのまま一日の授業を終えて迎えた放課後。
「初芽ちゃんは今日も部活だよね? また明日ね」
苺花に声をかけられて、「うん、また明日」と笑顔で返して教室を出た。
部活、行きたくないな……。
体育館へ向かう足取りが重い。
また朝みたいな雰囲気の中で練習しなくちゃいけないのかな。
朝のことを思い出すと、出場チームに選ばれない方が良かったとすら思ってしまう。
思わず小さなため息をつきながら廊下を歩いていたら、
「山吹?」
偶然、通りがかりの職員室から出てきたらしい速水くんに声をかけられた。
「あれ、速水くんって日直当番だったっけ?」
「いや。先生にわからないところ質問してた」
「そっか。さすがクラス1位だね」
重い気持ちを隠すようにわざと明るく笑って言った。
せっかく速水くんと、好きな人と話してるのに暗い顔なんかしたくない。
そう思っていたのに。
「なんかあった?」
突然、速水くんにそう言われた。
「え、なんで?」
「朝からずっと元気ないように見えたから」
「……え……」
どうしてわかったんだろう。
しかも、朝からずっとって……速水くん、わたしのこと朝から気にしてくれてたの?
「ちょっと部活で先輩とうまくいかなくなっちゃって」
「ああ、大会出場チームに選ばれたから?」
またあっさりとそう訊き返されてビックリした。
まだ苺花以外にそのこと言ってないのに、なんで速水くんが知ってるの?
「ついさっき、榎本先生が職員室で話してるの聞いた」
「え、そうなの?」
「うん。一年で選ばれたのは山吹だけだから頑張ってほしいって」
先生も期待してくれてるんだ。
「でもやっぱり1年は出るべきじゃないのかなって……」
「先輩にそう言われた?」
「うん」
「そんなの、ただのひがみだろ。山吹の努力が認められて選ばれたんだから、自信持てよ」
珍しく感情的になっている速水くんに驚いたけど、同時に嬉しくなった。
「……いいのかな、このまま練習に参加しても」
「当たり前だろ。山吹は何も悪くないんだから」
『山吹は何も悪くないんだから』
その言葉に、ハッと目が覚めたような気持になった。
わたし、心のどこかで選ばれた自分が悪いのかもって思い始めてた。
でも、冷静に考えたらそんなことないよね。
わたしが自分を責める必要なんてないんだ。
「速水くん、ありがとう。練習頑張るね!」
もう一度、今度は無理やりじゃない笑顔で言ったわたしに、
「おう」
速水くんもかすかだけど笑ってくれた気がした。
さっきより少し軽い気持ちで辿り着いた体育館。
「よろしくお願いします」
笑顔でチームの中に入り準備運動を始めると、やっぱり感じる鋭い視線。
だけど、さっきの速水くんの言葉がわたしに頑張る力をくれたから。
“努力が認められて選ばれたんだから自信持てよ”
そう、わたしだって頑張ったんだ。
せっかく選ばれたんだから、もっと頑張って大会で優勝を目指したい。
「10分間休憩入ります」
榊先生の言葉を合図に、みんなが休憩に入った。
まだ5月だけど、体を動かしたあとはかなり暑い。
冷たい飲み物でも買ってこようかな。
そう思って中庭へ行こうとした時。
「ホントやってらんない」
怒鳴るような楠先輩の声が聞こえきて、驚いて視線を向けると体育館裏で2年生チームが休憩していた。
「なんでまだ入部して1ヶ月しか経ってない1年が選ばれるんだよ」
ああ、やっぱり楠先輩はわたしが選ばれたことが気に入らないんだ。
でも、わたしが逆の立場なら、きっと同じことを思っていたんだろうな。
「ねぇ、もういい加減にしなよ」
「茜?」
「いつまでひがんでるつもり? 紫はわたしが選ばれなかったことじゃなくて自分が選ばれなかったことが悔しいだけでしょ」
「それは…」
木下先輩の言葉が図星だったのか、楠先輩が黙り込んでしまった。
「せっかくこれから大会に向けてみんなでまとまろうとしてる時に雰囲気悪くして、やってらんないのはこっちだよ」
こんなにはっきり言えるなんて、木下先輩ってすごい。
木下先輩も本当はきっと、楠先輩と同じように悔しい気持ちがあるはずなのに。
それでも仲間に対して厳しいことを言うなんて、なかなかできることじゃない。
木下先輩の言葉にひとり感動していたら、
「ダンス部集まって~!」
榊先生の言葉が聞こえて、休憩時間が終了した。
先輩達に気づかれないように急いで体育館に戻ると、少し遅れて2年生チームが入ってきた。
だけど、今までのような鋭い視線を感じない。
「お疲れ様でした」
そして今日の練習を終えて、体育館を出ようとした時。
「山吹さん、ちょっといい?」
楠先輩に声をかけられた。
もしかしてさっきわたしが話を聞いていたこと気づいて怒られるのかな。
それとも、また何か厳しいことを言われるのかな。
緊張しながら先輩の後についていくと、そこはさっき先輩達が話していた体育館裏。
誰もいない静かな空間で、居心地の悪い沈黙がしばらく続いたあと。
「……ごめんね」
ドキドキしながら先輩の言葉を待っていたわたしに聞こえたのは、思いがけない言葉。
「本当は茜が選ばれなかったことじゃなくて、わたしが選ばれなかったことが悔しかったの」
そう言った楠先輩の声がかすかに震えていて、泣きそうなのをこらえているんだと気づいた。
「後輩に嫉妬するなんて情けないって思うけど、山吹さんが羨ましかった」
こらえきれず、泣きながら言葉を続けた楠先輩。
その涙に、わたしまで胸がしめつけられて泣きそうになった。
大会に出場できる人と、できない人。
それは、年次に関係なく実力で選ばれるシビアなもの。
初めて目の当たりにした部活の現実。
でも、だからこそわたしはもっと頑張らなくちゃいけないんだ。
こうして出場できなくて悔しいって泣いている先輩の分まで。
「楠先輩。わたし、もっと練習して先輩に認めてもらえるように頑張ります」
「……なんか、山吹さんの方がわたしより大人だね」
楠先輩が優しい口調でそうつぶやいた。
「大会、絶対優勝しなきゃ許さないからね」
「もちろんです!」
わたしが力強くそう答えると、楠先輩は笑顔で頷いてくれた。
【#15】
「苺花おはよーって、その顔どうしたの⁉」
教室に入ってきた苺花の顔を見て、驚いた。
泣きはらしたあとみたいに目が腫れてる。
考えられるのは……
「やっぱり昨日のウワサ?」
周りに聞こえないように小さな声で言うと、苺花が頷いた。
昨日、突然広まったチャラ王子・森川くんが陸上部のマネージャーである茅野先輩とつきあってるというウワサ。
苺花にとってはかなりショックだったと思う。
わたしだって、もしも森川くんが誰かとつき合ってるなんていうウワサを聞いたら、絶対ショックだ。
想像しただけで苦しくなる。
苺花は絶対自分から噂の真相を確かめられるタイプじゃないから、きっと帰ってからひとりでずっと悩んでいたんだと思う。
「あのチャラ王子、苺花泣かせるなんて許せない!」
大事な苺花を悩ませるなんて許せない。
文句の一つも言ってやらないと気が済まない。
「初芽ちゃん、落ち着いて!」
苺花にそう言われたところで先生が教室に入ってきてホームルームが始まった。
今日は、毎年この学校で5月に行われる写生大会の日だ。
* * *
「このへんでいいかな」
「うん、そうだね」
3時間目からみんなで学校の近くにある河原に移動して、いい絵が描けそうな場所を探す。
ちょうど良さそうな場所を見つけて絵を描き始めた時、「ここいい?」とチャラ王子が苺花の隣にやって来た。
これは、あのウワサのことを聞くチャンス!
「ねぇ、森川って茅野先輩とつきあってるの?」
ズバッとそう訊くと、は不機嫌そうにしつつも「そんなんじゃないから」と否定した。
しかも速水くんいわく、部室で抱きしめ合ってたって言うのも誤解らしい。
良かったね、苺花。
「立花さん、絵上手だね」
「……そんなことないよ」
お、なんか早速いい感じ?なんて思っていたら、
「やっぱり、立花さんってタンポポみたいで可愛い」
ちゃっかり甘い言葉を言い始めたチャラ王子。
「こら、苺花口説くなチャラ王子!」
確かに苺花はふわふわしてて可愛いけど!
散々苺花泣かせておいてそんな甘いこと言うな!
「うわ、暴力反対!」
慌てて逃げ出すチャラ王子を追いかけているわたしを笑顔で見ている苺花と、呆れたように見ている速水くん。
「苺花もおいで~!」
苺花に声をかけると、笑顔でこっちに走ってきた。
陽だまりの下、はしゃいでふざけあって。
こんな時間がずっと続けばいいなってふと思った。
「あ~疲れた」
ひとしきりはしゃいだあと、速水くんが座っている場所の隣に腰を下ろしてつぶやく。
「速水くん、絵上手すぎ!」
何気なく目に映ったのは、中学生とは思えないほど上手な風景画。
「どうも」
相変わらず照れもせず喜びもせずクールな返答。
頭が良くて絵も上手とか、ずるい。
天は二物を与えずなんて絶対ウソだ。
「そういえば、部活どうなった?」
「え?」
突然の話に戸惑ったけど、
「まだ先輩とうまくいってない?」
その言葉に、この前話した大会のことだと気づいた。
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
わたしが笑顔で言うと、
「……良かったな」
速水くんが今まで見たことのない柔らかい笑顔を向けてくれた。
なんでだろう。ただそれだけのことなのに。
嬉しいのに、胸がしめつけられたみたいな感覚になって、涙が出てきそうになった。
「大会いつ?」
「えっと、7月23日だけど」
「じゃあ見に行く」
「えっ? 速水くん、ダンス興味あるの⁉」
全く想像できないんだけど。
「いや。姉がうちの中学の卒業生で元ダンス部だったから、見に行きたいって」
「そうなんだ! お姉さんって今いくつ?」
「高1」
「へぇ~知らなかった」
同じクラスで一緒にクラス委員もしてるけど、まだ速水くんのこと知らないことばかりだ。
速水くんのこと、もっと知りたいな。少しずつでいいから知っていけたらいいな。
そしてわたしのことも、もっと知ってもらいたいな。
こういう気持ちを恋っていうのかな。
「頑張れよ、大会」
「うん!」
思い切り笑顔で頷いて見上げた先には柔らかなパステルカラーの水色の空。
そしてタンポポの綿毛がふわふわと風に舞って飛んでいる。
わたしの想いがどこへ行くかはまだわからないけど、いつか速水くんに伝えられたらいいな。
《Fin.》