「……俺の母さんがいなくなったのはさ、まあ、不幸な事故なわけで、別に母さんが俺を捨てたわけじゃない。じいちゃんが死んだのだってそう。父さんの単身赴任だって、俺がヤダって言ってこっちに残った。でも侑生は――」

「……病院の後継ぎだから」

「そ。……侑生の母さんは侑生も連れて出て行こうとしてたけど、侑生の父さんが長男で、侑生も長男だから、雲雀病院の跡取りを連れて行かせるもんかってめちゃくちゃ揉めたらしいよ。裁判するかって話にもなって……。詳しい話は知らないけど……侑生は、母親は自分を捨てて出てったんだって言ってた。母親にとっての自分はその程度だったんだって」


 侑生は、長期休みの度に、お母さんと妹さんのいる岡山へ行っていた。私は漠然と、家族に会いに行っている程度にしか思っていなかった。

 離婚事件は、数えるほどとはいえ経験したことがある。両親がどちらも親権を主張する場合は少なくないけれど、この点はお上の古い考えがあるせいか、特別な事情がない限り母親に親権が認められる。特に、侑生のお母さんは女医だ。経済的に自立しているし、調停・裁判になったとしても間違いなく侑生の親権を獲得していただろう。

 でも、侑生のお母さんはそれをしなかった。そこまでして争わず、侑生の親権を元夫に譲った。

 その母親に対して、侑生はどんな感情を抱いていて、そして会いに行っていたのか。

 当時の私は、そんな簡単なことを、考えたことがなかった。


「……だから、侑生が英凜と付き合い始めたの見て……」


 なにを口にしようとしたのか、昴夜は一度閉口して悩んで、もう一度口を開く。


「……元気になったなって思ってた。侑生、あんまり寂しそうじゃないなって」


 本当に? 本当に、侑生は、寂しくなかったのだろうか?

 付き合っている私が、侑生でなく昴夜を好きだと、ずっと知っていたのに?

 昴夜はもう一度、マフラーに顔を埋めなおす。私の視線から逃れるように、目も閉じた。


「だから……侑生は一人で平気な顔してるけど、本当は寂しがりだから、侑生のこと、よろしくね」


 なんて答えればいいのか分からなかった。それは、昴夜にそんなことを言われたからではなかった。

 言葉を失った私の隣で、それっきり昴夜も口を閉ざしてしまった。

 電車の外は、しんしんと雪が降っていた。すっかり暗くなってしまった窓の向こう側で、白い結晶が落ち続けている。ガタンガタンと揺れながら、北海道の森の中を、電車が走る。それを見ていると、たまに、窓に映る自分も見える。右肩には侑生の頭が載っていて、左側では昴夜がじっと縮こまるようにして座っている。

 結局、運河の前で写真は撮らなかったし、お揃いのストラップも買わなかった。

 侑生は、それでよかったのだろうか。

 札幌駅に着いた後、侑生を起こしているうちに、昴夜は友達と行ってしまった。終点なのをいいことにゆっくりと起きた侑生は、吹き曝しのホームで背伸びをした後「寒」とすぐに縮こまる。


「……晩ご飯のお店、地下から歩いて行けるよね。行こう」

「ん。昴夜らはどうしたの」

「すすきのでラーメン食べるんだって、行っちゃったよ」


 過去の侑生は、狸寝入りだった。電車の中で、じっと目を閉じたまま、でも私と昴夜の会話を聞いていた。

 でも、いまの侑生はどうなのだろう。あのときとは話した内容も全然違うし、聞いていたとして侑生の行動は全く変わってしまうだろうけれど。


「腹減った、早く行こう。寒いし」

「……そうだね」


 少なくとも、いまの侑生は、口を滑らせることはしなかった。