「こーやー!」


 振り向くと、ひょいとでも聞こえてきそうな仕草で教室を覗き込む子がいた。あ、と私は声を上げてしまう。


「あー、おはよ」

「あーおはよ、じゃないでしょ! せっかく来てあげたのに!」


 憤慨しながら入ってきたのは、牧落(まきおち)胡桃(くるみ)――昴夜の幼馴染にして現在の彼女だ。

 胡桃は、そのきれいな黒髪をいつもツインテールにしていた。それが痛々しさもなく似合っていたのは、自信満々な美少女っぷりにあるのだろう。私が同じことをすれば放送事故もいいところだった。

 今見ても、やっぱり可愛いとは思う。田舎特有の芋っぽさや幼さはあるけれど、私が卒業後も地味なコミュニティで過ごし続けたせいか、「今になって思えば大したことない」なんてことは微塵(みじん)も思わなかった。


「おはよ、英凜」

「……おはよ」


 美少女の微笑みを向けられて、つい、視線を泳がせてしまう。

 胡桃は、私のことが嫌いだった。でもそう知ったのは高三になってからだし、その予備知識があってなお、他人の感情に鈍感な私は、今こうして接していてもさっぱり察知できない。なんなら――未来の情報も勘案して――私のほうが微妙な態度をとってしまった。


「はい昴夜っ、誕生日おめでと!」


 胡桃は、まるで自分がお祝いされた側かのように嬉しそうな顔をして、オレンジ色の小箱を差し出す。昴夜の好きな色はオレンジ色だった。


「ありがとー、なんのお菓子?」

「お菓子じゃないですぅ。ネックレス、昴夜ってそういうの自分じゃ買わないから!」


 胡桃の手がリボンをほどいて、「じゃーん!」と効果音付きで蓋を開ける。クロスをモチーフにしたシルバーのネックレスだった。こんなもの、いまどき歌舞伎町のホストもつけていないだろう。時代を感じさせるアクセサリーだった。


「……うん。ありがとう」

「もうちょっと感動してよ」胡桃が頬を膨らませる。


「そうだぞ桜井、彼女からのプレゼントだぞ!」横から陽菜も口を挟む。


「してる、した、めちゃくちゃ感動した。ありがとう」


 接待だったら説教ものの棒読みだった。

 昴夜が胡桃と付き合っていた理由は、自暴自棄だったそうだ。私に失恋し、その私は侑生と順調にキスもなにもかも済ませ、仲良くやっているのだと勘違いし、胡桃と付き合うことにした、と。そんな胡桃は、もともと昴夜の部屋に勝手に入ったり夕飯を差し入れたりと世話を焼いていたけれど、昴夜いわく「高校入るまでほぼ関わりなかった。俺の背が伸びてちょっと人気出たからアリになってツバつけに来てたんだと思う」ととんでもない評価をしていた。昴夜は、一年生のときは背が低かった。

 その胡桃がもう一度口を開きかけたとき「……はよ」とさらにテンションの低い声が割り込んだ。侑生だった。


「おめでと、侑生」

「ん」

「侑生! も、誕生日だもんね、おめでと! はいこれ!」

「置いといて」

「なにその態度!」


 胡桃の手が、侑生の机の上にクッキーの詰め合わせのようなものを置いた。手作りだった。


「どうせ英凜からもらうからそれ以外どうでもいいやって思ってるんでしょ。ね、英凜にはなにもらったの?」

「牧落に関係なくね」

「じゃ英凜に聞こーっと。なにあげたの?」


 きゅるんとでも聞こえてきそうなほど、その大きな目を輝かせ、侑生にしたように私の顔を覗き込む。たじろいでしまうと、隣から侑生が「いいから、教室戻れよ」と助け船を出してくれた。


「もうホームルーム始まるだろ」

「ちぇーっ、二人とも秘密主義なんだから。いいけどね、末永くお幸せにやってくださーい」


 にこやかに笑みながら、胡桃は教室を出て行った。男子達の視線がその後ろ姿を追い、「でも桜井の彼女だしな」とでもいうようにまたそれぞれの会話に戻る。