「久しぶりだね、兄さん」


顔から手を離してくれたものの、今度は私との身体の距離を縮めてきた楓くんにギョッとする。

見なくても分かるぐらい真っ黒なオーラを後ろから感じるのに、何故そんなことを。


「円香。そこで何をしている?」


楓くんの声なんて聞こえていないような口振りで私に再度問いかけてきた椿くんに、心拍数が尋常じゃない程跳ね上がる。


…なんて答えれば椿くんに怒られなくて済むんだろう。


というか椿くんの位置から見て、私たちはまるでキスでもしているように見えたのでは…?


どうしようどうしようどうしよう…!!


事の重大さに気づいた私は、怖くて何も答えられない。


「あはは、円香ちゃん震えてる。兄さんの顔、とっても怖いもんね」


なんて、椿くんを更に怒らせるような発言をした後、楓くんは私をぎゅっと抱き寄せた。


やめて、という目で目の前の美しい人を見れば、また愉しそうににっこりと笑うだけで、まるでこの状況を面白がっているかのようだった。



ーーーガンッ!!!



すると突然、後方で何かを殴ったような音がして、その音の大きさに肩がビクッと跳ね上がる。


「怖いなあ。そんな顔で睨まないでよ、兄さん」


全く怖いと思ってなさそうな声色でそう言い、にこにこと笑っている楓くんのメンタルは鋼か何かなのだろうか。

そして、あまりの恐怖に黙り込む私の耳元で「また必ず会いに行くよ。その時さっきの話の続きをしようね」と囁いたかと思えば、漸く楓くんは私から離れてくれた。


「ふふ、兄さんが怖いから僕は戻るよ。
……じゃあね、円香ちゃん」


場をめちゃくちゃに掻き乱しておきながら、そう言ってあっさりとその場から去っていった楓くんを私は呆然と見つめることしか出来なくて。


椿くんと2人きりになってしまった廊下は、とてつもなく冷たい空気を纏っており、少しでも動けば殺されてしまいそうな、そんな異様な静けさもあった。


いつも組員たちが行き交うこの1階で、何故今日に限って人通りが少ないのだろう。


誰かこの場から私を連れ出してと願っても無駄なのに、そう思わずにはいられない。


怖い。
後ろが、見れない。


ギシ、と床が軋む音がした。
嗚呼、椿くんが此方に近づいて来ている。