「何にします?」
「その前に……ひとつお聞きしたいことがあって」
不思議そうにするも香月さんは頷いてくれた。
「この間、書道パフォーマンスのお話があった時……」
わたしが出した内容に、香月さんの眉がぴくりと動いた。
「乗り気ではないように見えて……ごめんなさい、気を悪くしてしまったら」
聞いたはいいが、やっぱりやめた方が良かったかも、という気持ちが生まれた。
しかし、香月さんはそんなことないですよ、と首を振ってくれた。
「仕事は素直に嬉しいんですけど……」
少し言いづらいのか、香月さんはそっぽを向いて続けた。
「割りと小心者でして……不安が大きいな、と。だから、オーケーしたものの……本当に大丈夫かなって。ご心配おかけしてすいません」
「そうだったんですか……」
小心者って意外。
と言うより、繊細なんだろうなってわたしは思うけど。
「お仕事のことに、わたしが何か言ったり聞いたりするのって、良くないかなと思ったんですけど……香月さんの意外な一面が知れて少し嬉しいとも思っちゃいました」
苦笑いしてみせると、香月さんは薄く笑みを浮かべた。
「俺も嬉しいです」
「え?」
「俺のことを考えてくれてて、嬉しいなって思っちゃいました」
わたしと同じ言い方で、笑ってみせられ、思わず心臓が早鐘をうつ――
「い、いや……そのっ……」
動揺して何を言ったらいいか分からなくなった。
あまりのわたしの動揺ぶりに
香月さんはクスッと笑った。
「気持ちは伝わりました。ありがとうございます。……とりあえず、不安の色をさとられないように頑張ろうと思います」
「はい……頑張ってくださいっ……」
なんだか恥ずかしくて顔があげれなかった。
だけどきっと香月さんは笑ってるんだろうな。
「はぁ……休みももう終わりかぁ」
当然だけど、週に何度も通うのは出来なくなる。
常連さんとも、
――香月さんとも、話す時間が減ってしまう。
そう……香月さんとも。
「はぁ……」
わかっているのにため息ばかり。
かといって、香月さんに連絡先を聞けても
お客さんとの一線と言うものがあるだろうから、断られる可能性がある。
……いや、まずそんな勇気はわたしにない。
またため息が出そうになり、わたしは目をつむった。
「もうお休みも終わりになりますね」
「はい、なんだかんだすぐでした」
「そういうものですよね。長期休みといっても」
わかります、と香月さんはいつもの笑顔。
「今日、良かったらギリギリまでお話出来ませんか?いつも常連さんに取られてしまいますから」
取られるって――いや、香月さんはたまにいたずらっ子のような人だから。真に受けちゃだめだ。
「大丈夫です。わたしも長く居たいなって思ってたので」
そう、夏休みも残り数日だからちょっとでもここで過ごしたい。
「よっこいせ、美羽ちゃん。わし帰るけど一緒に帰っか?」
「あ、わたしは――」
言いかけたところで、香月さんがわたしの肩に手を置いた。
「っと、後の時間は俺が予約済みなので譲って下さいよ」
「おや薫ちゃん、ジェラシーかい」
「はいっ」
ニヤニヤとする常連さんに、香月さんは素直に頷いた。
さっきまでのにぎやかさはなくなり、二人だけとなった。
わたしは、この時間も好き。
楽しく会話しながらお茶をするのも、
香月さんと二人なのも。
緊張するのに、どこか落ち着けるような。
香月さんの人柄のおかげだろうか。
カウンター越しに向き合うのも慣れた。
「どうですか……進路のこと」
香月さんはグラスを磨きながら、そういうとわたしは驚きを隠せなかった。
「……覚えてたんですか?初めて会った時に言ったこと」
「はい……なんと言うか気になってて」
「実は、真っ白で……」
真っ白の言葉に香月さんは手を止めた。
「ご両親は何と?」
「いえ、わたしに甘いと言うか……やりたいことをやりなさいとしか。そこに甘んじてるわたしもいるんです」
俯く視界に、磨かれたグラスが置かれたのが見えた。
「俺からひとつ提案しても?」
「提案?」
なんだろう、顔を上げてまっすぐ香月さんを見ればいつもより真面目な表情で――
「うちはどうですか?」
「……へ?」
思いもよらない提案に、すっとんきょうな声が出てしまった。
「え、えっと……?」
「ご存知の通り人手はないですし、前みたいに急な電話をしたくても出来ない。……市川さんみたいな方に来ていただけたら俺も安心だな、と」
淡々と話す香月さんに、わたしは席から立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ。確かに何も進路は決まってませんけど……気を遣わせてしまったなら――」
「違いますよ」
優しい香月さんはわたしにセーフティとして提案してくれたのだと思ったけど違う。
ならどうして――
「一応、接客業なのでお客をみる目はそれなりにあると自負しています。……最初のあの日から今日まで、俺や常連さんたちとの会話の中で市川さんの人柄は俺なりにわかっているつもりです」
それに――と香月さんは続ける。
「このカフェを好きな気持ちが伝わるから、です」
『そこまで給料は期待できませんが……』と、苦笑を浮かべる香月さん。
勿論わたしはまよいぼしカフェも、常連さんも、
香月さんも――好き。
一緒に働けたら、それはそれできっとまた違う楽しさが生まれると思う。
香月さんの提案にのれば進路という
最大の悩みの種が解決する。
けど――
「……ご提案ありがとうございます」
嬉しいのに、すぐには頷けなかった。
それでも香月さんは優しく微笑んでくれる。
「実はもうひとつ……というより、この理由が大きくて」
もうひとつの理由?
わたしが首を傾げると、香月さんは小さく息を吐いた。