俺は心の中で文句を言いながらも携帯を取り出し、【怪人巨乳】と表示されている部分をタッチする。



何度目かのコール音の後、


『何?』


電話の向こうから少し苛立っているような声が聞こえた。



「お前、今どこにいる?」


『廊下だけど…』


「仕事部屋来い。ラスティからお前のピアス預かってんだよ」


『…え?』


『ほーらね。だから言ったのに、僕は持ってないって』



…ラスティの声?


どうせアリスに会うならわざわざ俺に渡させる必要なかったんじゃねぇの?



『ちょっと待って、今から行くから』


焦ったような様子で電話を切られた。




携帯をポケットにしまうと同時に、仕事部屋のドアが開く。
早ぇな…案外近くにいたのか?



「ピアスは?」


無遠慮に俺に近付いてくるアリス。の、後ろにはいつもの如く気味の悪い笑みを浮かべているラスティ。


俺はピアスを渡す――と見せかけてひょいと上げた。



「『くださいお願いします』は?」


「…は?」


「あ?ほら、言えよ」


促してやるが、アリスは心底嫌そうな顔をするばかり。クソ可愛いなほんと。



が、しかし。


「アリスをいじめないでください」


いつの間にか近くに来ていたブラッドの手にするっとピアスを奪われ、それはアリスの元に返る。


好事魔多し、か。


さっきまで春春春春言っといて何なんだよ。


俺は何となくアリスの手を引っ張った。…が、ブラッドが反対側の手をすかさず掴む。
「……」


「……」


「…離せよ」


「そちらこそ離したらどうですか」



俺はブラッドのおかげでこの組織に所属できるようになったし、目も治った。


……けどな、それとこれとは別だ。離さねぇぞ俺は。



「…ちょっと、これは何の茶番?私、早く部屋に戻りたいんだけど」



アリスは嫌そうな表情で俺達2人を交互に見る。


その隣にいるラスティはニヤニヤを隠しきれていない。



「ほら、アリスが離せと言っています」


「それはお前に対してもだろ…」



別にブラッドが真剣にアリスを好きならどうこう言うつもりはねぇ。


ただ、中途半端にこいつを他の女と一緒にしてるくらいなら――…。
「ブラッドさん、離して。お願い」


アリスの声が俺の思考を遮った。


こういう言い方には弱いのか、ブラッドは少し躊躇った後素直に手を離した。



「アランも離して」


ブラッドが離したなら俺が離さない理由もなくなる。


俺が手を離すと同時に、アリスはするりと部屋を出て行く。



……何だ?今日は機嫌悪ぃな。



「女の子の日なんじゃなーい?そっとしといてあげようよ」



俺の思考を読んだかのようにラスティが言う。



…っつってもなぁ、そんな感じじゃなかっただろ。


何かもっとこう、急いでるような。


こんな時期に何を急ぐ必要があるんだ?


思えば今日だけじゃない。昨日も様子がおかしかった。
―――『僕は見たいんだよ、最後の悪足掻きってやつをさ』



何となくだった。ラスティの言葉を思い出したのは。




―――『情報全てがフェイクである可能性がある』



ほぼ同時に、ブラッドの言葉が脳内で再生される。






俺の中に1つの単語が浮かび上がった。


いや、まさかな…俺は足を組み替え、チラリと横目でラスティを見た。




――ラスティがアリスのピアスをわざわざ俺に渡させた意味。


――傍観がしたいから?一歩引いた場所で?




――あのピアスは、何だ?




どうしても、頭に浮かぶ単語を掻き消せない。






―――…“スパイ”。



俺は反射的に立ち上がった。


……アリスは、どこへ行った?
――その日はやたらと忙しい日だった。
―――屋上。


夏を感じさせる夜風に当たりながら、私はゆっくりと歩いていた。



「建物の西側に、迎えを用意してくれないかしら」


『おっけぇ。近くの奴を迎えに行かせるよ』



ピアスの向こうのシャロンは、特に腹を立てている様子もない。


それに腹が立つ。私は失敗したんだ。こんなところで優しくされたくない。


いっそ、罵ってくれた方が良いのに。



「…シャロン」


『ん?』


「ごめんなさい、手間を掛けさせて」


『謝るのは後にして。アリスの失敗は俺がどうにかするしぃ、アリスのことは俺が守る。俺が拾ったんだもん』


「……」


『それに――後でたっぷり叱ってあげるつもりだしぃ?』



シャロンらしいその台詞に、少しだけ笑みが漏れた。


彼はこういう時、下手に私を慰めたりしない。
私はポケットから薬を取り出し、それを呑み込む。


これで準備は整った。



「迎えはなるべく早い方がいいわ。エレベーターが止まっているにせよ、私がいなくなったことがすぐ広まって追っ手が下に来る可能性もないわけじゃないもの。その前に逃げないと」


『分かってる。すぐ行かせるよぉ』



シャロンとの通信はそこで途絶えた。


反省するのは後でいい。今は、これ以上失敗しないように取り組むだけだ。


ここから逃げることだけを考えていればいい。




そう決意し、屋上の端に立った時。








「――動くな」


もう振り向かなくても分かるほど聞き慣れた声。


ここでのスパイ活動は、短いようで長かったのかもしれない。
ゆっくりと振り返ると、そこには私に銃口を向けたアランが立っていた。


距離は数メートル。この距離で撃たれたら確実に当たる。



「お前、何でこんな場所にいる?」


「……さぁ?貴方はどう思っているのかしら」



自分でも分かるほど、冷たい声が出た。


“何で”…なんて笑っちゃうわね。頭の中ではとっくに予想がついているくせに。


私に向けたその銃口が物語ってるわよ。




「…冗談だろ?」


アランから出てきたのは、乾いた笑い。



「冗談?何が?」


「ふざけてんじゃねぇ。大概にしねぇと犯すぞ」



その言葉にふふっと笑いが漏れる。


この期に及んで、まだ私がスパイだと確信しきれないとはね。


ここまで信用を得るなんて、私の演技も大したモンだったんじゃないかしら。
「ふざけてなんかないわよ。この状況下で私が不自然に屋上にいる…あきらかに怪しいって、貴方だって分かってるんじゃない?」


「…秘書になる人間のことは採用する前に徹底的に調べてんだよ。敵組織の女なんかがなれるわけねぇだろうが」


「あら、貴方達が徹底的に調べたのは“元々秘書になる予定だった女性”のことでしょう?」


「……あ?」


「ここでのスパイ活動の報酬は2千万。その中から貴方達が調べたデータの書き換えや元々秘書になる予定だった女性の買い取り…それに数百万掛かったわ。だから、実際自由に使えるお金は少ないの。でもここの秘書として貰える給料も悪くなかったわよ?」



そこまで言うと、アランは黙った。


拳銃を握る手に力がこもっている。