無言。無言のまま私はズルズルとブラッドさんの部屋まで連れて行かれた。


アランといいブラッドさんといい…こういう時無言なのは怖いって分かっててやってんのかしら?



仕事部屋を出て右に行き、また左に曲がってそこから1番最初のドアへ。


構造的に言えば、ブラッドさんの部屋は私の部屋の隣ってことになる。




ドアの前まで来てちょっと抵抗してみようという気になったけれど、既に遅く。


そのまま部屋にいれられた。



ブラッドさんの部屋に入るのはこれが初めてになる。




モノトーンで纏められたシンプルな部屋だ。必要最低限な家具しか置いていない。





――刹那。カチャリ、と後ろで内側から鍵を閉める音がした。
後ろを振り向くと、ブラッドさんが無表情でこちらへと近付いてくる。


一歩一歩ジリジリと。




「…ま、待って。何で鍵閉めたのよ?」


「………」


「ちょっと、何か喋っ…」




いつの間にか黒いソファの前まで追い詰められていて、足が引っ掛かった私はそこに座るようにして倒れてしまう。


柔らかいソファがぼすんっと音をたてた。




そんな私を閉じこめるようにして両横に手をつくブラッドさん。


冷たい青色の瞳が見下ろしてくる。




「――アランと何をしてたんですか?」



どういう意図の質問なのか分からず口籠もってしまう。


とりあえずスパイだということがバレたってわけではないみたいだ。


この場合、どう答えるのが最善なのか…。
ブラッドさんはそんな私に、


「アランと、一晩何をしてたんですか?」


もう1度言葉を付け加えて聞き直してきた。




「貴方のお兄さんが現れるまで時間が掛かったのよ。帰れるようになったのが深夜だし…アランが寝たから私も寝ちゃって」


「…寝た?」


「え?」


「アランと一緒に寝たんですか?」


「ま、まぁ車の中でちょっとだけ…」




ブラッドさんが険悪な顔つきになる。


やっぱりアランとのことで怒ってるのかしら…“初恋の人に似てる”って厄介ね。




「もっと危機感をもってください。アランはああ見えて女遊びが激しいんです」


「危機感って…私は大丈夫よ。アラン、私のこと可愛くない可愛くないってうるさいし…」


「君が可愛くない?そんなの嘘に決まっているでしょう。俺は君が可愛くて可愛くて仕方がない」



さらっと何言ってんのよ…!こっちが恥ずかしくなるからやめてほしい。


ふとジャックを思い出して、やっぱり兄弟だと妙に納得してしまった。



寧ろブラッドさんの方が予測できない分タチが悪い気がする。
「…顔、熱いですよ。動揺してるんですか?」



ブラッドさんが片方の手を私の頬に当ててふっと笑う。


ジャックに何を言われても何とも思わなかったのに、今は柄にもなく焦っている。


逃げられない状況だからなのかもしれない。…というか、逃げられる気がしない。



目を逸らしたくて俯く私。




「そんな顔しないでください。君を困らせてると思うとたまらなくなる」


「……、」


「もっと困らせたくなってしまうんですよ。もっと、俺で一杯にしたい」




誰かに助けを求めたくなる衝動を何とか抑えた。


落ち着け私。冷静に、冷静に言い返すのよ。


相手のペースにのまれるから動揺してしまうんだわ。




「…私が初恋の人と似てるからそんなことを言うんでしょう?」




強気な口調でそう言うと、ブラッドさんの動きが止まった。



…ほらね。甘い言葉で私を騙せると思ったら大間違いだ。


ブラッドさんが見ているのが私じゃないってことくらい知ってる。
「もしこの場に例の初恋の人がいたら、貴方は私なんか構ってないはずだわ」



冷静に冷淡に、事実を突き付ける。



――なのに、ブラッドさんは動揺する様子なんて微塵もない。




「確かにそうかもしれませんね。でも、俺が今目の前にいる君自身を可愛いと思っているのも事実です」


「……冗談言わないで」


「ほら、またそうやって顔を逸らして。ちゃんとこっちを見てください」


「何でそんなこと、」


「俺は今機嫌が悪いんです。分かるでしょう?嫉妬してるんですよ、アランに」




屁理屈だし、理不尽だし、滅茶苦茶だ。


初恋の人が今でも好きなくせに、その人が私と別人だとも認識してるくせに。




「今すぐ俺にキスしてください」


「…は?」


「アランにはしたんでしょう?」


「いやそれは…手の甲にちょっとしただけよ」


「……へぇ」



また室温が下がった気がする。
もう少し暖かみのある空気になってもらえないとこの格好じゃかなり寒いのだけど…。



ブラッドさんが何に怒っているのかは大体分かった。


怒らせると怖いということも十分分かったと思う。




「……キスしたら解放してくれる?」



そう言って視線を向けると、ブラッドさんは「勿論」と微笑を浮かべた。何とも胡散臭い。



けれど、早めにこの状況を回避しなければ襲われてしまいそうな勢いだ。


アランよりも誰よりも目の前の彼が一番危ない。



私は短い溜め息を吐いてから、ブラッドさんの首に手を回し、引き寄せる。



確かちょっと前にもラスティ君にキスをせがまれたわよね…。


その時はどうしたんだったかしら。


確かデコピンをしてやったような気がする。



……この状況でデコピンなんかしたら、それこそ恐ろしいことになりそうよね…。


あの時は相手も冗談めいた感じだったし、だからこそ許されたのだ。



仕方ない。


こうなったら―――と、私はがぶりとブラッドさんの首筋に噛み付いた。





「……ッ」



流石のブラッドさんも驚いたようで、少しだけ目を見開く。
私はその隙にひらりとソファから脱出した。



そのままドアの方へ走ろうと体勢を整えた――というのに、いとも簡単にブラッドさんに腕を掴まれてしまう。


何なのよこの無駄な反射神経は…!



まずい。更に状況を悪化させてしまったかもしれない。


流石にこれで逃げ切ろうってのは甘い考えだったかしら…。



恐る恐るブラッドさんを見上げると――何故か、物狂おしげな表情で私を見ている。


怒っているわけではないようでとりあえずは安心したけれど、これはこれで怖い。


一体どうしてそんな表情をしているのか。




「――アリス」

「な、によ」



少し怯み気味な私。


これでもう逃げ道がなくなってしまった気がする。
しかしブラッドさんはそんな私に向かって、


「君は、何故そんなに可愛いことばかりするんですか?」


予想外の言葉を投げかけた。




今の行動のどこが可愛いんだ。そんなことをした覚えはない。


いや、ブラッドさんにとっては“初恋の人に似ている私”がする行動は全て可愛いものになってしまうのかもしれないけれど。




「いっそこの部屋にずっと閉じ込めておきたいくらいです」



本気にしか聞こえない声音にぞくりとした瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。