なかったことにされても困るのだけど…なんて思っていると、アランが短い溜め息を吐いた。



そして、


「――お前の言う通りかもしれねぇな」


ポツリとそんな言葉を漏らした。



「何人も何人も殺して、同じことを繰り返しても、まだ俺はベルを殺した時のことを忘れらんねぇ」



ちょうど月明かりが当たらない場所なせいで、アランの表情が見えない。



「たまに、何も悪くねぇ奴を仕事で殺す時がある。そういう時、後ですげぇどうしようもない気分になるんだよ。ベルのことを思い出す」



でも、アランの声が少しだけ震えているのは分かった。



「“殺したくない”なんて甘ったりぃことは言わねぇ。でも、頭の片隅じゃベルを殺した事実から解放されたいと思ってる」



アランはふっと笑って、「忘れられたらどんなに楽だろうな」とどこか虚無的な瞳で言った。



何の音もしない静かな車内。


私は黙ってアランの話を聞いていた。


そして何か言おうとして、口を噤んだ。


どこまで踏み入っていいのか分からない。



――でもここまで話を聞いてしまったというのに、黙っているのは性に合わない。
私は少し間を置いた後、


「貴方自身がマイナスなんだから、どれだけ累乗してもマイナスになるのは当たり前でしょう」


自分の率直な意見を述べてみた。



「…………は?」


しかし、返ってきたのは間抜けな声で。


いかにも“こいついきなり何言ってんだ”と言いたげな視線を送られる。


何よその表情は…ムカつく奴ね。



「例え括弧が付いていたとしても、貴方がマイナスなうえ冪指数が奇数じゃ意味ないのよ」


「…は?」


「確かに場合によっては“繰り返し≠無駄な事”かもしれないけど、貴方自身がマイナスなんじゃどれだけ繰り返してもマイナスのまま」


「………」


「でも、きっと貴方には括弧が付いてると思うの」


「……」


「括弧がなければいくら累乗してもマイナスのままだけど、貴方には付いてる」


「………」


「自分を変えるんじゃなくて冪指数を偶数にすればいいのよ。貴方には括弧が付いてるんだから」


「……ふざけてんのか?」


「つまり、自分自身を変えるのが難しいならやり方を変えればいいってこと。貴方には繰り返しをプラスにする方法が2つもあるんだから、好きな方を選べばいいわ」


「………」


「結構自由だと思わない?」


「……」


「いつまでも過去に捕らわれたまま苦しい思いをするのは嫌でしょう?どれだけ願ったって過去は変えられないのよ。だったら、今と未来の自分を大切にしてあげて」


「……」


「たとえどんな形であろうと人を殺した罪は償えないし、解放されることもないと思うわ。でも、自己嫌悪したって何も変わらない。まずは自分自身を許してあげることね」


「……」


「それと、」


私はアランの片方の手を拾い上げ――その甲にキスを落とした。


「貴方の手は綺麗よ」
色々遠回しになってしまったけれど、これだけ伝えられれば問題ない。


そろそろアランも帰りたいだろうと思い、静かに手を離して前へ向き直る。



……しかしアランは動こうとしない。


迷惑なお節介女だとでも思われてるんだろうか…勿論これは単なる個人の意見だし、スルーしてくれても構わないのだけど。


チラリと横目でアランを見て――あることに気が付いた。


アランが何故か、小刻みに震えている。




「……ちょっと?」


「……」


「どうしたのよ」


「…ぶはっ」


「……え?」



こいつ笑ってやがる。さすがの私も少し戸惑ってしまう。結構真面目に話してたのに。


暗さに目が慣れてきて、笑っているアランの姿もはっきり見えてきた。




「……っ、も、腹痛ぇ」


何故かお腹が痛くなるほど笑っていらっしゃるアラン。


こいつのツボが分からない。
「……何で笑ってんのよ」


「お前、マジ意味分かんねぇ女だな」


「は?アドバイスしてあげただけじゃない」


「あれでか?…くっ…くくくっ…」


「………」


「ふっ…もーやだお前…」



こいつ殴っていいかしら?


人が折角アドバイスしてやったのに…。だんだんムカついてきた。




でも――アランを取り巻く雰囲気が、何だか今までと違う気がする。



笑い方もそうだ。これまでアランが笑うところは何回か見たはずなのに、今までとは違う気がする。


どこがと聞かれると答えられないけど…どこかが違う。




そんなことを考えていると、不意に肩に重みを感じた。



「…ちょっと…何?」


「眠ぃ。肩貸せ」



その重みはアランによるもので、これから寝るかのようにもたれ掛かってくる。


いやいや、その前に帰らなきゃ駄目でしょ?
「もうちょっと頑張りなさいよ。私このタイプの車運転できないんだから…」


「しなくていい。もう寝る」


「…ここで?一晩?」


「うるせぇな。それ以外に何があんだよ」


「連絡とかとらなくていいの?」


「いいっつーの。寝る。笑いすぎて疲れた」



失礼にもほどがある。


でも、アランは本当に眠る勢いだ。


リバディーの仕事部屋でもたまにあのソファで眠っているところを見るし…もしかしたらよく寝るタイプの人種なのかもしれない。




「お前といると調子狂うわ」


ボソリとそんな言葉が聞こえてきたかと思えば、数秒後寝息が聞こえてきた。


寝るの早いわね…なんて溜め息を吐く。


私の肩にもたれ掛かって眠る彼の表情は、少し楽しそうに見えた。
―――
―――――



「……ろ」


遠くから声が聞こえる。



「………きろ」


何?うるさいわね、金とるわよ。



「――おいコラ、アリス。起きろつってんだろーが。脱がすぞ」


「っ、」



物騒な台詞が聞こえてきたことにより、脳が凄まじい勢いで覚醒した。


窓の外の景色が動いている。一瞬ここはどこかと思ったけれど、ようやく昨日のことを思い出した。


あぁ…あれから私も寝てしまってたんだわ。



どうやら走行中の車。勿論アランが運転している。




「見ろ。前」


「え?」



前、と言われてそちらへ視線を向けると――眩しい朝日の色が視界を覆った。


オレンジ色に白が混ざったような、綺麗な色だ。


周りはまだ薄暗く、その光だけが明るく輝いている。
「いいよな、こういうの」


アランが隣で無表情のままそう言う。


確かに綺麗だ。でも、少し驚く。



「貴方にも朝日を綺麗だと思えるような感性があるのね」


「………かっわいくねぇ…。俺だってそんくらい思うっつーの」


「ふーん。良かったじゃない」


「あん?」


「色が見えるからそう思うんでしょ?」


「……」



私の言葉にアランは少し沈黙してから、何故か笑った。


やっぱり笑い上戸だと思う。笑いは時に相手を戸惑わせることもあると自覚した方がいいと思うけれど。
「お前、読心術でも使えんのか?」


「は?」