ベルは信じられないとでも言うような表情をする。


こっちが“はぁ?”だっつーの。


あぁもう、女の扱いなら慣れてるはずなのに、餓鬼となるとやっぱな…。



「そういうわけじゃねぇけどさ」


「アラン、いっつもいっつも食べたらすぐ行っちゃうじゃん」


「別にいいだろ」


「アンタが良くても私は……、」


言いかけて、ハッとしたように口を噤むベル。


そしてその顔はみるみるうちに真っ赤になり、眉間の皺がより一層酷くなった。




――あぁ、そうか。


オイオイ、俺そこまで鈍感じゃねぇんだよ。そこまでされると要するに何が言いたいのかくらい分かるっつーの。



「…俺が良くてもなんて?」


わざと気付かないふりをしてやる。


「なっ何でもない!」


「言いかけたことは最後まで言えよ、気になんだろ」


まぁ分かってんだけど。
「アランが忘れればいいだけの話でしょ!?」


「お前何か顔熱くね?やっぱ熱か?」


言いつつ頬に手を当てると、ベルは椅子を倒す勢いで俺から離れた。



「ちょっ…、触んないでよ変態!セクシュアル・ハラスメント!」


「何逃げてんだよ」


そうされると追いたくなんのが俺なんだよ、馬鹿が。


妙に大人ぶってても所詮はただの餓鬼。追い詰めりゃすぐ焦り出す。



―――まぁ、可愛いとこもあるんじゃねぇの。




  ピロリロリン。

ベルを捕まえようとした俺の横で鳴ったのは、携帯のシャッター音。



「……あ?」


眉を寄せて音のした方を見ると、ニヤニヤするラスティが立っていた。その手には携帯。



「タイトル何にしよっかなぁ~“9歳の幼女にセクハラするロリコン戦闘員Aさん”とかでいいかなぁ~」


……こいつ。
即座にラスティから携帯を奪う。

こいつは何考えてんのか分からねぇどころか、かなりの悪戯好きだ。将来どんな大人になることか。…なんて考えながら、撮られた写真を消す。


俺のそんな反応があまり面白くなかったようで、ラスティは黙ってそれを見ていた。



「ほらよ。余計なことしてねぇでさっさと食え」


ラスティに携帯を返し、もう1度席に着く。


ベルは椅子を少しだけ俺から離し、食事を再開した。

……ちょっといじめすぎたか。


にしても、こいつも素直じゃねぇだけで、ちょっとは普通の9歳らしいとこもあるんだな。

ペットに懐かれたような気分だ。悪くない。


拗ねたように無言でジャーマンポテトを口に含むベルを視界に入れながら、そんなことを思う。


なんつーか、豹の子供みてぇだな。微妙な喩えで悪ぃけど、それがしっくりくる。子猫とかそういう可愛らしいもんでもねぇし。



「…何?」


何となくベルの髪をわしゃわしゃと撫でてしまった。


案の定怪訝な表情で俺を睨み、また少し距離を置くベル。



「……いや、お前らの髪って綺麗だよな」



こいつらのことだから特別手入れをしているわけでもないだろうが、このキャラメルブロンドの髪は無駄に綺麗だ。髪を染められるような家庭環境でもなかったみてぇだし、おそらく自毛だろう。


が、ベルは予想外の台詞を返してきた。



「それを言うなら、アンタの手の方が綺麗だと思うけど」


数秒後、自分で言っておきながら照れ臭くなったらしいベルは、不貞腐れたようにそっぽを向く。



「………は?」


俺はと言うと、“は?”としか言えなかった。表現がおかしいかもしれないが、心底“は?”な気分だった。
「何。文句ある?」


水を飲みながら開き直ったように強気な口調で聞いてくるベル。


まず髪と手を比べる時点でなかなか高度な思考だと思うが、それ以前に俺の手が綺麗だなんて言った奴は初めてだった。

顔が綺麗だと言った女は何人もいた。でも、俺でさえ汚いと思っている手を、綺麗だと言った奴は初めてだった。



数え切れねぇくらいの女をこの手で抱いたし、数え切れねぇくらいこの手で暴力も振るった。生き延びるためにも、自らの欲望のためにも。



「………馬鹿じゃねぇの」


出てきた声音は掠れていた。

俺の手か綺麗?大丈夫か、視覚がイカれてんのか。

かつて自分の手を見た時のことを覚えている。

モノクロの世界の中で、俺の手はどす黒い色をしていた。――心底汚ぇと思った。


なのにこいつは、俺の手を綺麗だとか言いやがる。



「馬鹿って言う方が馬鹿だって聞いたことないの?」


ベルは通常通り辛辣な言葉を吐いた。実に生意気だ。


でもその様子は、嘘を吐いたつもりは微塵もないようで。

どうやらさっきの台詞は本心らしい。まぁ、よく考えりゃこいつは、意味もねぇ嘘なんか吐かねぇタイプだろうけど。



「……変な奴だな、お前。」


ブラッドといい、変な奴ばっかだな此処は。




―――そんな奴の言葉で、目頭が熱くなる俺もどうかしてる。



俺は不覚にもじんわりと胸の辺りに浸透していく何かを、無理矢理押し殺した。



それからずっと、黙って2人が食べ終わるのを待っていた。


自分でもわけが分からねぇまま、あの色褪せた世界が薄れていくような感覚がした。


周りに溢れる色が、あのモノクロの世界を俺の記憶の中から遠ざけていく。



本人は多分、何も分かっていない。


でも、ベルの何気ないたった一言で、俺は救われたような気がしたんだ。
―――毒の回った身体でベッドに倒れているベルの姿を見ることになったのは、それから半年後のことだった。
「体内の侵食のスピードが速まってます!このままでは――」

「解毒剤はないのか!?」

「あったらとっくに射ってる!」

「早く何とかしないと、身体への負担が大きすぎて、あと30分程しか持ちません!」



3階に来たのは久しぶりだった。少なくとも、俺にとっては目の手術をした時以来だった。


俺の手術をわけなくこなした医者たちが、何十人も集まって、1つのベッドの周りで焦った表情をしている。


俺が3階に来たことすら気付かず、看護師までどこかへ連絡したりバタバタ走り回ったりと、忙しそうにしている。


ただその光景を呆然と眺める。立ち尽くす俺の視界に入っているのは、苦しそうに呻き声を上げ、咽び泣き、時折もう枯れそうな声で叫ぶベル。


周囲の緊迫した空気が、只事ではないことを嫌というほど分からせてくれた。



「おい、敵に打たれた毒ってのはそこまでやばいもんなのか?」



隣に立つラスティに話しかけるが、返事はない。

いつもヘラヘラしているこいつですら険しい表情をしている。



ラスティとベル…それから俺は、実戦の機会が多くなってきていた。


俺とこいつらが一緒に実戦することは殆どねぇけど、ラスティとベルは兄妹だからか、何かとペアにされていた。


勿論“実戦”とは犯罪者を捕まえたり情報を集めることで、今日もこいつらはその為に朝っぱらから出掛けていた。



―――なのに何故、今ベルはこんな状態になっているのか。