再び沈黙が車内を包む。


ここでアランの手が綺麗だなんて言えば、半殺しにされそうな気もする。言葉にはしないけれど、多分彼は綺麗だと言ってほしくないんだと思う。



でも逆に『汚い』なんてその場の気休めにすぎない欺瞞に満ち溢れた言葉は使いたくない。



言葉を選ぶ私よりも先に、沈黙を破ったのはアランだった。





「――ラスティの妹を殺したのは俺だ」



走り続ける車の中で、表には出さないものの動揺してしまう私。


ラスティ君の妹を殺した…?



「ちょっと待って、ラスティ君の妹は極悪犯罪者に殺されたって聞いたわよ」


「それは俺じゃねぇけど、実際殺したのは俺だ」


「どういう意味?」


「………もういいだろ、深く関わんな。とにかく俺の手を綺麗だなんて言うなっつーことだよ」


「ここまで言っておいて気にするなって方が無理よ。それとも逃げるの?」



わざと挑発的な言葉を選んでやった私をアランは一瞥し、溜め息を吐く。



「お前、やっぱあのクソガキに似てんな」


「はぁ?誰よ、クソガキって。私はしつこいんだからさっさと話した方が身のためじゃない?」


「……ったく、分かったよ。」





面倒臭そうに、本当に面倒臭そうに、彼は自分の過去を語り始めた。
《《<--->》》
春が過ぎ
《《<--->》》
夏が過ぎ
《《<--->》》
秋が過ぎ
《《<--->》》
冬が過ぎ
《《<--->》》
再び春が来る


《《<--->》》
そんなことを繰り返して
《《<--->》》
もう4回目



《《<--->》》
素直じゃない女
《《<--->》》
可愛くない女
《《<--->》》
強気な女
《《<--->》》
生意気な女


《《<--->》》
俺の手が綺麗だと言った
《《<--->》》
アイツはもう戻ってこない
―――約4年前。





「んっ…ぁ、」



俺の下で喘ぐ女の声に、冷えきった身体のみが満たされていくのが分かる。


“女”。世の中には様々な女がいる。いるはずだ。


でも俺には女の声が同じように聞こえる。本当に。何故かは分からない。俺の聴覚がイカれているのかもしれない。


ただ性欲を満たすだけ、満たしてやるだけで、居座ることができる。


毎晩違う女と寝ては金を貰い、時にはそのままその女の部屋で寝る。




15になった俺は、当たり前のように親に捨てられ当たり前のようにホームレスになった。


俺が出掛け先から帰った時、あいつらは俺を置いて勝手に引っ越しやがった。


既に誰もいなくなっていた。


引っ越し先も分からねぇ。




元々そんな気はしてたんだ。


俺は両親に嫌われていた。子供を産むつもりのなかったあいつらにとってはきっと邪魔でしかなかった。


何とか生きられる程度の食事しか出されなかった。


なかなか金が稼げないと言うならまだ納得できたが、あいつらは毎日3食きっちり食べていた。


あいつらの俺への扱いは殆ど空気のようなものだった。



だから正直、捨てられたと分かっても何も思わなかった。


「やっとか」と呟いたのを覚えている。
行為の前に今下にいる女から陳腐な自己紹介をされたような気もするが、それももう忘れた。


覚えても仕方のねぇことだ。


どうせきっと明日の夜には別の女に甘い言葉を吐き出す。体を売って生き延びる。



「気持ちいいわけ?」



そう言って耳を甘噛みすれば女は小さく吐息を漏らし、腰をくねらせ快感に身悶える。


この瞬間だけは……女を抱くこの瞬間だけは、いつも何かが満たされる気がする。


終わった後毎回来る強烈な吐き気は参るけどな。



「っ…、も…ダメ…」


「さっさと答えろ」



そしたら一気に終わらせてやるよ。どうせそれがお望みだろ?俺を誘う女は欲求不満の女しかいねぇもんなぁ。



「気持ちい…っ…」


女は好きだ。厳密に言えば、こうして性欲を満たすこの行為が好きだ。


その“道具”である女は好きだ。



甲高い声を上げて絶頂を迎える女を見てもう少し静かにできねぇものかと思う。


息を乱しながら声を我慢する賢い女もいるのに、そんなでけぇ声出されたら集中できねぇだろ。



まぁこれで今夜の宿は決まるんだ。


自分の聴覚をうまくシャットダウンさせてしまえばいい。


そんなことを考えた時だった。




 ―――ガチャリ


部屋のドアが唐突に開き、俺ほどじゃないにしろまだ若い男が立っていた。


仕事帰りか何かのようで、スーツ姿だ。


誰だ…?と純粋に思う俺とは裏腹に、下にいる女の顔は白く…血の気が薄くなっていく。
「何で…っ…今日は帰ってこないんじゃなかったの!?」



女は下着に手を伸ばし、カタカタと震える指先を何とか動かしながら着衣する。



「仕事が早めに終わったから帰ってきたのに…お前、こんな若い男と何やってるんだ!?」



スーツ姿の男がズカズカと女に歩み寄り、乱暴に手首を掴む。



――あぁ、そういやこいつ人妻だっけ?



自己紹介も舐めたもんじゃねぇな。ちゃんと聞いとかねぇと。


つまりこのスーツ男はこの女の結婚相手ってわけか。やべぇな、修羅場じゃん。



まるで他人事のように思える。


何やら揉めている男女を他所に、俺はズボンを履いた。


面倒臭ぇなぁ…今から出るんじゃいい宿見つからねぇかも。


勿体ねぇけどこの前の女から貰った金でホテルにでも泊まるか。



「違うのよ!私は、この男に脅されて…!私が未成年に手を出すと思う!?」



………あ?


女が指す先には俺がいる。


オイオイ、嘘はよくねぇよ姉ちゃん。先に誘ってきたのはてめぇじゃねぇか。


弁明する暇もなく、男の怒りの視線が俺に向く。



――…面倒臭ぇ。


何かが萎えていく。どうでもよくなる。


男が振りかざす拳を、俺は冷然と見つめていた。
―――
―――――――



うざってぇほどネオンが光る夜の街を、殴られた頬を押さえながら歩く。


あの夫婦はどうなるんだろうか。


うまく俺だけに罪を擦り付けたみてぇだし、これからも何の問題もなかったように過ごしていくんだろうか。それはそれでムカつくな。



擦れ違う人々が俺の乱れた服と血の滲んだ口許をチラチラと見る。


「うざってぇ」と思わず呟いてしまった。


うざってぇんだ何もかも。ネオンの光も、夜の街も、擦れ違う人々も、視線も、周りを取り巻く気体も、店から流れるアップテンポな音楽も、薄気味悪ぃ月も、ジンジン痛む頬も、まだ肌にこびりついている女の残り香も、歩む度鳴る靴音も、呼吸する俺も、俺という自分自身も。


周りの全てが色褪せて見える。



人混みの中、こんなにもモノクロな世界を観てんのは俺だけか?


他の奴等には鮮やかな色が見えてるんだろうか。俺は聴覚だけじゃなく視覚もイカれているのかもしれない。



―――刹那、射すようなヒンヤリとした視線を背中に感じた。


ただの視線なら嫌というほど感じている。でも1つだけ、他とは違う視線を感じた。