「ほらよ、朝飯」



アランは横長の箱を差し出してきた。こういうところだけはちゃんとしているようで何より。


最近誰かに奢られてばかりな気もする。




「飲み物とかないの?」


「贅沢言うな。どうしても飲みたけりゃ途中のパーキングエリアで買え」


「パーキングエリアって…高速?」


「遠いっつったろ」



アランが前方にあるスイッチを押すと、車が少し宙に上がる。



渡された箱を開けると中には焼きたてのピッツァが入っていた。何とも言えない、食欲をそそられる香りが漂ってくる。


お腹も空いてるし温かいうちに食べてしまおう。




「団体の男によると、雇い主とは元々知り合いだったらしい。最初からそんなつもりはなかったみてぇだが、ブラッドを拐ってくりゃ1億やると言われたんだとよ」


「ふーん…だからあんなことを?」



私から動いたせいとはいえ、私の左胸には消えない傷が残った。


これからその元凶の所へ行くみたいだし、どうせなら1発くらいは平手打ちしてやりたい。
「金の話をふられたのは電話で、ちょうど昼の演奏が終わった頃らしいな」


「つまりそれまでは普通に演奏して帰るつもりだったってこと?」



金の力って本当に大きいわね。



「あぁ。団体の中に薬品マニアの奴がいて、そいつへも指示を出したらしい。薬を調合して人質に打てってな」


「人質…って、ニーナちゃんも狙ってたの?」


「いや。人質については指示されなかったみてぇだし誰でも良かったんだろ」


「……ニーナちゃんはその調合した薬のせいで目覚めないわけ?」


「おそらくはな。言われるままにしただけで、どんな組み合わせでつくったのかすら覚えてねぇっつーから、それも兼ねて直接雇い主に聞きに行くしかねぇだろ」



それで、その雇い主が女好きってこともあって都合の良い私を連れていくってわけか。



「成る程ね…さっき言ってたけど、雇い主と面識があるってどういうこと?」




「…あぁ、それはそのままの意味だ。団体の雇い主は数年前脱獄しやがった詐欺師―――ブラッドの兄だからな」




私はピッツァを食べる手を止めた。……というより自然に止まってしまった。
「何でブラッドさんのお兄さんがそんなことするのよ」


「それはお前に関係ねぇよ」


「………そう」


「名前はジャックだ。情報によると、最近は毎晩とあるバーに現れるらしい」




関係ない、ねぇ…ここまで情報を漏らしておいてそんなこと言われても。



この言い方だとブラッドさんのお兄さん…ジャックはリバディーのメンバーじゃないってことになるわよね。


それどころか脱獄者ときた。


兄弟なのに全然違う道を歩いてる。




「お前はそのバーに入って待ってろ」


「……19歳って言ったわよね?」


「水飲みながら寂しそうにしとくだけでいいんだよ」


「貴方がすればいいじゃない」


「俺は面が割れてる。それにジャックは女が1人でいりゃすぐナンパするタチだ。そっちの方が楽だろ?」


「つまり私がジャックと話してる最中に捕まえるってわけ?」


「バーの外に…つーか人気のない場所に連れ出してくれれば尚良いんだけどな」
ああ…ほんの数日前までは団体の雇い主が誰だろうが関係ないと思っていたのに、まさか私が巻き込まれるハメになるとは。



静かに書類の整理でもしとけばそのうちリバディーの誰かが解決してくれると思ってた。




「こんな私が男を誑かす高等テクなんて持ってると思う?」



調子の良い会話をすることは簡単だし、今までのスパイ活動でもそういう機嫌取りはよくしてきた。


だから人気のない場所へ誘うのも割と簡単だと思うけれど、そういうことに慣れていると思われるのも癪なのでわざとアランにそう聞く。





…が、返ってきたのは予想外の返答。



「卓球の球を胸で打ち返すような女ならできるだろ?」



アランの悪戯な笑みに、とりあえず殴りたくなった。
――――
――――――



途中のパーキングエリアにある自動販売機で飲み物を買った私とアランはもう1度車に乗り直した。


アランの手には缶コーヒー。



「好きね、それ」


「別に好きってわけじゃねぇよ。マシなだけ」


「ふーん。興味ないけど」


「……可愛くねぇな」



眉を寄せつつ私にハンドガンを渡してくるアラン。血がこびりついたそれを反射的に受け取ってしまった。



「護身用だ。もし危なくなれば使え」



アランはぶっきらぼうにそんなことを言いながら車をパーキングエリアから出す。


私は手元にあるハンドガンをまじまじと見つめた。


銃なんてろくに使ったことがない。例え危うくなってもそんなものを使うほどじゃないから。


危うくなる前に逃げるのがスパイとしての私だ。



「使い方が分からないわ」


「撃てって言ってるわけじゃねぇ。弾は入ってねぇしな」


「は?じゃあ何に使うのよ」


「ある程度の脅しにはなるだろ。――銃で人を撃つ重みなんかお前は知らなくていい」



血は時間が経つと落ちにくい。


この銃に付着している血がそれを物語っている。


彼は一体いつから人を殺し始めたんだろう。
どうだろうと意外なのは変わりない。


他人の命なんかどうでもいいタイプだと思っていたのに、重みを感じる程度の慈悲は持ち合わせているようだ。



「貴方ってどれくらいの人数を殺してるの?」


ふと浮かんだ疑問を問い掛けてみる。



「数えきれねぇくらいには」


「そんな役やらされて辛くない?」


「変なこと聞く奴だな、お前。殺しは仕事だ。殺害命令が出た犯罪者は殺すしかねぇよ」


「でもリバディーの中の人たちが全員そんな仕事をしてるわけじゃないでしょう?」



きっとアランは人の事情にズカズカ土足で踏み込んでくる奴だとでも思って呆れているだろう。無神経と思われても仕方ない。


でも、気になってしまう。



私の隣で運転している彼は、少しの間黙ってから、口を開いた。




「殺しはゲームだ」



言い直したその言葉の裏に何を含んでいるのか私には分からない。


ただアランは覇気を失ったような、何処か遠くを見ているような、そんな瞳をして笑う。



「お前、俺の手が綺麗だとか言ったろ」


「…言ったわね」


「俺は自分の手で他人の命を終わらせるのが楽しい」


「……」


「もうそこまで来てる。殺す直前、自分の心が冷えきってることも分かる。相手が可哀想だとも思わねぇ。同情もしてねぇ。命乞いも苦痛の叫びも、心底無様な奴だと思って終わりだ。俺の手は汚れきってる」



きっと今のアランは私からの何か…同情や励ましを求めているわけでもなく、事実を言っているだけなのだと思う。


だから私は何も言わない。言えないのではなく、言わない。
高速道路を走る黒い車。
2人きりの車内。


空は重苦しい灰色に染まっていた。雲が邪魔で青空が見えない。



「まだ綺麗だと思うか?」


「…貴方の手を?」


「あぁ。昔同じことを言う奴がいた」