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5階は思った以上に綺麗だった。


大浴場だけでなくプールや売店もあるようで、改めてこの建物の広さを実感する。




大浴場にはシャンプーやリンス、ボディーソープ、ローション、ドライヤー…わざわざ持っていかなくてもいいくらい、様々な備品が揃っていた。



大きな窓があって5階からの景色を一望できたし、サウナやジャグジーもある。




そんなだだっ広いお風呂場を上がった私は、浴衣を着て休憩所へと足を運んだ。



アランとラスティ君は先に卓球場とやらへ向かったらしい。


「上がったらすぐ来てねー」なんて言われた気がするけど、初めて来る5階なのだし色々と探索してみたい。



何かスパイ活動を進めるうえで役立つ情報があるかもしれないし。





「………あ。」


そんなことを考えながら休憩所のドアを開けると、思いがけない人物がいた。
………ブラッドさんだ。



彼も少し前にお風呂に入っていたようで、ブラックブルーの髪が湿っている。


マッサージチェアの上で何やら読書中。


白い肌が浴衣から露出され妙に色っぽく見える。




邪魔しちゃダメよね…とすぐ外へ出ようとしたけれど、足音で気付いたらしくブルーの瞳が此方を向いた。




「―――アリス?」



不覚にもドキリと心臓が高鳴る。


彼に名前を呼ばれたのはこれが初めてかもしれない。



ゆっくり振り返ると、ブラッドさんはその冷たい瞳とは似合わないふわりとした笑みを浮かべた。




「髪を括っているんですか?」


「……お風呂上がりだからよ。まだ少し湿ってるから、服に当たらないようにしてるの」


「なるほど、長いと大変なんですね。…こっちに来てくださいよ」


「………」



断る理由も特に見当たらなかったので、ブラッドさんの近くまで歩み寄る。
ブラッドさんは読んでいた本を横のテーブルに置き、近付く私の手を引っ張って更に引き寄せた。




「怪我は大丈夫ですか?」


「…さっき包帯を換えたわ」


「歩けるようで良かったです」


「お陰様でね」



何だか近い気がするのだけど…。




「これから何処に?」


「…卓球場よ」



色々探索しようとしてましたなんて言えない。




「なら俺も行きます」


「え?」




ブラッドさんは当たり前だとでも言うようにマッサージチェアから立ち上がる。


同時にふわりと良い匂いが漂ってきて、何とも言えない気分になった。



こういう物静かな男の人というのはどうしてこうもふとした瞬間にドキリとさせられるのか。


女性として表すならアランが“妖艶”でブラッドさんが“色香”。



ついでにラスティ君も含めてあの3人は魅惑的な男性だと思う。性格面は別として。
「他に誰かいるんですか?」


「…ラスティ君とアランが先に行ってるわ」



不覚にも見惚れていたせいか少し返事に間ができてしまった。



刹那、急にブラッドさんの顔が私に近付く。



「いい匂いがしますね」


「……シャンプーじゃない?」


「もしかして大浴場のシャンプー使いました?」


「そうだけど、どうかしたの?」


「なら今俺と同じ匂いかもしれませんね」



嬉しそうに微笑み、歩き出すブラッドさん。




ただそれだけのことでこんな表情をするのは多分、この人が初恋の人を想い続けているから。


“私”に“春”の面影を感じているから。




――“私”に対しての笑顔じゃない。
「あ、アリスちゃんやっと来たー」



卓球場は廊下を通ってすぐそこにあった。


ビリヤード台やチェス盤なんかもあって、かなり遊べるようになっている。



だんだんここが金持ちの屋敷か何かのように思えてきた。




ラスティ君とアランは沢山並ぶ卓球台の奥にある椅子に座って飲み物を飲みながら寛いでいる。



「てかぶらりんも一緒?どこで会ったの?」


「休憩所よ」


「僕が待ってるのに堂々と寄り道とか酷いなぁ」



冗談っぽく拗ねるラスティ君。


それをスルーしてふと視線を移動させると、私を凝視するアランが目に入った。




「……何?」



気にしないでおこうかとも思ったけれど、あまりにも見てくるものだから無視できない。



後ろの自動販売機で買ったであろう缶コーヒーを持ったまま動かなかったアランは、すぐに視線を逸らす。
「別に…、お前髪括るのな」



そう言って飲みかけの缶コーヒーを再び口に含む。


そのグリーンの瞳からは感情が読み取れない。結局何が言いたいのか。




そんなアランと私を見てラスティ君はニヤァと不気味な笑みを浮かべた。



「そういやアランうなじフェチだっけー?」


「……」



アランは眉を寄せてラスティ君を睨む。


言い返さないってことは本当なのかしら…。



まぁアランが何フェチだろうがどう思おうが私には関係ない。




「…こんな生意気女のうなじくらい何ともねぇよ。つーか卓球すんぞ」



……にしても、いけ好かない男ね。


然り気無く罵倒されているようで気に入らないけれど、言い返すだけ無駄な気もする。




「あ、じゃあさ~アリスちゃんと勝負したら?」


「……は?」
ラスティ君がいきなり意味の分からないことを言い出した。


対決…?卓球で?




「彼女は怪我をしています。無理をさせないでください」


「ぶらりん真面目すぎー。いや過保護なのかな?いいね、萌える」



ブラッドさんの言葉にもラスティ君はいつもの調子で答える。



よく考えると腕は怪我してないし、卓球くらいならある程度できると思う。


そのうえもしアランに勝てたら少しは屈辱を与えられるかもしれない。




「勝負ね…いいんじゃない?賞金があるなら」



私にしては珍しく話に乗ってみた。


ラスティ君は愉しげに目を細め、笑みを一層深くする。




「勿論あるよー?勝った方が負けた方の言うこと聞くってどう?」


「お金の方がいいけど…まぁ、それでもいいわ」


「…へぇ、いいんじゃねぇの。俺にとっちゃこいつを屈服させるチャンスでもあるしな」



アランも乗ってきた。


ブラッドさんはどこか不満そうにしているけど、決めたからにはやる。
私はラケットを持って軽く準備体操をし、卓球台の前に立った。


審判はラスティ君でシングルス。




「じゃあ早速始めよっか。アランは強いから頑張ってねアリスちゃん」



ラスティ君は笑顔を崩さず忠告してくるけれど、いくら怪我してるからって舐めてもらっちゃ困る。



こっちは温泉好きのぶりっ子男に雇われているのだ。


去年は温泉巡りに嫌と言うほど付き合わされて、そこが卓球場のある所であればその都度鍛えられた。



シャロンはいつも怠けっぱなしで動いてないくせに、球技系は何故か得意で何だか悔しかったのを覚えている。



そんなこともあって、私の卓球での腕前はそこそこ良いはずだ。





「腰抜かすなよ?」