上から退こうとしたけれど、そんな力も残っていない。





―――その時だった。



「…何してるんですか、君は」
聞き覚えのある声に何とか顔だけを上に向ければ、さっきよりは然程冷たくもない瞳が私を見下ろしている。



怒っているわけでも困っているわけでもなく、感情の読み取れない瞳。



質問の意図が分からないのと喋る気力がないのとで黙っていると、ブラッドさんは周囲の人間に指示を出した。




「彼女は俺が運びます。ニーナは別の部屋へ移動させ、彼らの処理はアランに任せてください。ただし、事情を聞く為生かしておくように」



私をずるりと床から持ち上げ、自分の服が汚れるにも関わらず抱き抱えたままどこかへ歩き出すブラッドさん。



柄でもないお姫様抱っこだけれど、抵抗する気力は流石にない。



「リバディーの一員でもない君がどうしてあんな無茶をするんです?」


「……怪我人に説教?」


「いいから答えてください」


「ニーナちゃんを死なせたくなかっただけよ。後味が悪いもの」



彼が私を運んでくれるとは思わなかったので正直驚きもある。


何を考えているかは掴めないけれど、私の言葉に返ってきたのは暫しの沈黙。




そして。


「なら俺を庇ったのは…?」



ブラッドさんはどこか遠くを見つめているかのような表情で問い掛けてきた。
そんなことを聞かれても、本能的に庇ってしまったんだから仕方ない。


特に理由なんてないし、ブラッドさんが近くにいなければ走り出しもしなかった。




「貴方、呼吸する理由を考えながら呼吸してるの?」


「…は?」


「そういうことよ」



ブラッドさんは押し黙る。


何か考えるような素振りを見せ、数秒後困ったように笑った。



「変な子ですね」



思ったよりも優しい声音で何だかこっちが変な気分になってしまう。


少なくとも私が彼と出会って聞いた声の中では一番優しげだ。




「3階は病人や怪我人が集まる場所ですし医者もいます。弾を抜いてもらいに行きましょう」


「今そこに向かってるってこと?」


「何か不都合でも?」


「あー…いえ、何でもないわ」



本当はシャロン以外の医者に診てもらったことがないから少し不安でもある。


かと言ってシャロンに診てもらうのも怖いんだけれど…あいつ、傷口をわざとえぐってくることが多いから。
私は俗に言うお姫様抱っことやらをされたままエレベーターに乗せられ3階へ向かう。


さっきの騒ぎで今は殆どの人間が食堂にいるらしく、誰も使用していない。



「……っ、痛…」



ボタンを押す際ブラッドさんの手が動き体が揺れ、その衝動で傷に響いた。



「辛かったら眠っていいですよ」



眠れるような状況じゃないことを分かっていて言ってるのかしら…?


そんなことを考えはするけれど、私の意識は既に薄くなっていた。



ここはブラッドさんに身を任せて1度痛みから解放されてしまおう…と私は目を瞑る。



驚くほどスー…と僅かに残っていた意識が遠退いていく。







「妹を守ってくれてありがとうございます。……一瞬、君が春に見えて焦りましたけど」



意識を失う直前、ブラッドさんがそんな言葉を囁いた気がした。
「………」


「………」




悲鳴を上げそうになった。



目を開けると目の前にアランの顔があり、黙ってこちらを見下げているのだ。一種のホラー。




「………起きたのか」


「…………近いわよ。」



眉を寄せて精一杯の嫌悪を表現すると、アランの方も眉を寄せて私から遠退く。



ここはどこだろう…?

確かブラッドさんが3階まで連れていってくれて…いや、でもこの淡いピンクとライトグリーンは見覚えがある。




「私の部屋…?」


「あぁ。手当ては3階の医者にしてもらったらしい」


「嘘…もしかしてその間、私ずっと寝てたの?」


「知らねぇけどそうなんじゃねぇの」



ぶっきらぼうに返事してくるアランに数々の疑問が浮かび上がってくる。


まず私の部屋なのに何で勝手にアランがいるのよ、文句言うつもりはないけど不法侵入じゃないの?



「手当てが終わってから何時間くらい寝てた?」


「何時間って言われてもなぁ…今は朝って言えば分かるか?」


「朝…ってことは、昨日の夜からずっと寝てたのね」
ブラッドさんの腕の中にいると何だか安心して気が抜けてしまった気がする。



敵地での油断は禁物なのに。



「3階からここまで運んできてくれたのもブラッドさん?」


「あぁ?俺だ俺、悪ぃか」


「……は?」


「あん?」



ブラッドさんの律儀さは分かるけど、何でこいつがわざわざ私を運ぶのよ。



「気色悪いわね…」


「ぶちおかすぞ」



アランが言うと冗談に聞こえないし、この怪我で喧嘩というのもかなりキツいのでそれ以上言い返すのもやめておいた。



撃たれた箇所には丁寧に包帯が巻かれており、痛みもマシになっている。



「他は綺麗に治る確率が高いけどな、胸元の傷は残るらしい」



包帯を見つめていた私にアランはそう言った。


傷痕が残るとちょっと困るかもしれない…後でシャロンに何と言われるだろうか。



「ご報告どうも。ひょっとしてここにいるのはそれを伝える為?」



ブラッドさんに命令でもされたのかしら?


できれば早く出ていってほしいのだけど。
「違ぇよ」


「だったら何よ?」


「…あー、だから、ありがとなってことだよ」


「………はぁ?」


「あの場所からじゃ手出しできなかったし、お前が動いてくれて助かった」



私に対して獰猛かつ可愛くない態度ばかりのあのアランがお礼…?


一応相手は感謝の気持ちを示してくれているわけだし、動揺しつつも憎まれ口は叩かないことにした。



「別にいいわよ。そうね、お金で解決しましょう」


「前後の文が合ってねぇけど?」


「だって貴方、これで私に借りをつくったってことよね?」


「……可愛くねぇ女だな、マジで」



私は寝転がったまま部屋にある時計を見て、ああ10時か…なんて。


………ちょっと待って、10時?




「私の朝食…」


「あぁ、そういやラスティがお前の分の持ち帰り頼んでたな」



そういえば朝ってことはラスティ君も仕事とやらから帰ってきたってことか。


しかも私の分の朝食まで頼んでくれるとは…気が利くというか、下僕にしたらかなり良さそうというか…おっと何を考えてるの私は。
上半身を起こし、ベッドから立ち上がろうとした――が、足首と太股の傷が痛みよろけてしまう。



「っ、」



そのままカクンと力が抜け、へにゃりと床に倒れ込んでしまった。何これ物凄く情けない…。




チラリと上を見上げると――あろうことか薄気味悪いくらいにやついているアランが視界に入った。



「……何笑ってんのよ」


「いや?滑稽だなって」


「治ったら10発殴ってやるわ」


「そんなフラフラの状態で歩けんの?」