でもこの話はあまり言いふらされて良い気分のするものではない。



私もそこまで無慈悲ではないつもりだ。


人には誰しも触れられたくない話がある。


3人の弱味をシャロンに売るならもっとこう…別のことを―――




『―――また情けでもかけてるの?』



「……、…っ」



ああ、しまった。


シャロンとの通信の途中…しかもあんなタイミングでこんなにも沈黙してしまっては、弱味を知っていますと言っているようなもの。



『何度目だっけぇ?スパイに感情なんていらないんだよ?アリスが気にしていいのは俺だけ。分かるぅ?』



分からないなんてきっと言わせてくれない。
「……もう切るわ」


『待ってよ。アリスさぁ、自分が誰の物だか分かってんの?』


「私は私よ。誰の物でもない」


『違うね。俺の物だ』



この男は私を助けてくれたし、雇ってもくれたし、例え歪んだ感情を含んでいたとしても一応は宝石を愛でるかのように扱ってくれた。


だけど私は。



「誰の物でもないわ」



例え歪な生命だったとしても“物”なんかじゃない。



『……言い方を変えよっかぁ』



しかしその刹那、シャロン独特の甘ったるい声にだらしなさが消え失せる。




『――アリスは俺“だけ”の物だよ』



向けられるのはどこか屈折した愛情。
支配下に置かれているようで癪に触る。


同時にエレベーターが2階へ着いたので一方的に切ってやった。




……何が俺だけの物よ。


そっちは私だけの物でも何でもなくて、ただ自由奔放に生きてるくせに。




と。


「っ、離してください!」


「いいだろ、ちょっとくらいさ」



食堂の前でナンパらしき行為をしている男性と、小柄の女の子がいた。女の子は腰に手を回されている。強引すぎてナンパというよりセクハラだ。



「私はこれから食事なんです!」


「待てよ。お前トップのお気に入りだろぉ?やっぱ可愛い顔してんね」


「さ、触らないでください…!」



あれ?あの子……昨日の受け付けの子じゃないの?



黒髪ショートカットと真っ黒なニットカーディガン、それから赤いネクタイが特徴的な彼女。


よく見れば直ぐに受付にいた女の子だと分かる。
私はつかつかとその子の方へ歩み寄り男を睨み付けた。



「通行の邪魔。どいてくれる?」



いきなりやってきた私に一瞬戸惑いの色を見せた男。しかし、数秒してから強い口調で言い返してきた。




「んだよテメェ、普通に通ればいいだろ」


「遠回しに目障りだと言っているのが分からないのかしら?」



男は青筋を立て今にも怒鳴りそうな様子だ。


男の気がこちらに向いた分腰に回された手の力が緩くなったのか、女の子はするりと男から離れた。



この程度の注意で機嫌を損ねるなんて小さい男ね。経験上、こういう奴は構うだけ時間の無駄だと思っている。



私は女の子の手を引いてその男からできるだけ離れるべく早足で食堂へ入った。
何か言いたげな男の顔が視界の片隅に入ったけれどそんなことはどうでもいい。



ファーストフード店の店員らしきエプロンをしていたし、不審者ではないことは確かだ。




「あの、ありがとうございます」



お礼を言ってくる女の子を振り返ると、男に引っ張られていた手首が赤くなっていることに気付く。



「痛そうね。大丈夫だった?冷やした方がいいと思うわよ」


「はい、食べ終わったら」



やはり小動物っぽいというか…とても女の子らしく可愛い子だ。



「あの男がしつこいようだったら今後あの店には近付かないことね。じゃあ、」


「…あの、お礼に奢らせてください。本当に困っていたので…」



去ろうとした私を遠慮がちに引き留める少女。
年下の女の子に奢ってもらうなんて気が引けるけれど、本人が言っているのだし遠慮はしない。



ここで拒否したら相手の気持ちを受け入れないことになるし…何より得する。


人助けもしてみるものね。




「ありがとう。名前は?」


「受け付けのニーナです。貴女は昨日の…アリスさんですよね?」


「そうよ。覚えててくれたのね」



奥の舞台に近い2人席に座り、スーツの男性にピラフとグラタンを注文した。


ニーナちゃんはポークソテーを頼み、私にニコリと可愛らしい笑顔を向ける。




「もうすぐジャズバンドの最後の演奏がありますね。嬉しいです」
「ジャズが好きなの?」


「いえ、なんていうか…こういう舞台でするイベントを素敵な女性と見られることが光栄というか…」



自分で言いながらも少し照れているニーナちゃんは、あまり慣れていない感じがして良い意味であざとい。


この母性本能を擽られるムズムズした感じは何なのだろう。


ジャズバンドの演奏は今朝も観たけれど、また違った形で楽しめそうだ。




「アリスさんが秘書なら、お兄ちゃんのことも安心して任せられます」




………『お兄ちゃん』?
「…ちょっとごめんなさい、それって誰の話かしら?」


「あ、そっか…知らないんでしたっけ。ブラッドお兄ちゃんの話です」



ブラッドさんの…?


よく見れば確かにブラッドさんと髪や目の色が同じだ。


雰囲気はそこまででもないけれど、顔立ちそのものは兄妹だと言われるとかなり似ているように思える。




「お待たせいたしました」



スーツの男性が注文したものをテーブルの上に静かに置く。毎度のことながら早い。


と同時にジャズバンドの団体が舞台に上がる。もうすぐ演奏が始まるようだ。



「ブラッドさんの妹だったのね、驚いたわ」
「――――…」



しかし彼女からの返答はない。


まずいことでも言ってしまったのだろうかと顔を上げると、彼女の視線は私ではなく―――ジャズバンドの団体へと向けられていた。



射ぬくような、そんな視線。



単にジャズバンドが好きで見入っているわけではなさそうに見える。



「どうしたの?」



率直な疑問を述べてみたけれど、ようやく返ってきたのは焦っているような声音。



「…彼ら、拳銃を持ってます」



“彼ら”とは言わずもがなジャズバンドの団体のことだろう。


しかし私の見た限りでは拳銃の類いはないように見える。



「……持ってるってどこに?」


「それぞれ衣装のポケットの中に入れてるみたいです。さっきチラッと見えました」



そこで私はふと思い出す。


そうだ、この子はリバディーの受け付けをしている子だった。
“そういうこと”に敏感なのだと思う。


私でも気付けない拳銃の存在に気付いてもおかしくはない。



「護身用に持ってるとかじゃない?」


「…いえ、パフォーマンスをする際、銃刀の類いを持つことは許されていないはずです」



ニーナちゃんは食べかけのポークソテーを残して立ち上がる。



「演奏が始まる前に少し事情を聞いてきますね。すぐ戻るので待っていてください」



その瞳に先程までの“可愛らしい小動物”の面影はなかった。