鬼嫁と呼ばれ婚約破棄された私は魔王と強制結婚させられました。腹が立つので人間界滅ぼそうと思います。

 魔王城に嫁いで三日。
 城の一角に自室を与えられた私は、割と自由な日々を送っていた。

 自分の行きたい場所に自由に入ってもいいし、城内の図書室の本だって好きに読めばいい。
 書類上の夫となった魔王は朝昼晩必ず食事を共にしてくれる。
 そしてその食事がなんといっても素晴らしく美味しいのだ。

 量は王侯貴族が無駄に出すような大容量では無く、一般家庭の一人分と同じ程度の量。
 決して贅沢品ではなく、食材も一般的なものだ。
 王侯貴族から見れば、質素、という言葉が適しているのだろう。
 だけど王侯貴族の食べるものよりも遥かに美味しいのだ。

 さぞ名のあるシェフでも雇っているのだろうとも思ったけれど、厨房はいつも空。
 それどころか私は未だに、この城で私と魔王以外の人を見たことがない。
 故に──。

「暇だわ。ふあぁぁ……」

 暇すぎてあくびが出てしまった。
 常に日が当たらない魔界にいると体内時計が狂うのか、妙に眠くなってくる。
 ついには私はその眠気に抗うことができず、深い夢の中へと落ちていてしまった。

 ***

 ──白い……霧……?
 気づけば私は、深い霧の中に佇んでいた。

 ここ、どこ?
 さっきまで城の部屋にいたはずなのに。

 部屋、ではないわよね?
 辺りを見渡してみても何も見えない。
 アンティークな机も、椅子も、クローゼットも、誰が用意したのか知りたくない少女趣味な天蓋付きベッドも。

 これはどうしたことか……。
 また別の世界にでも飛ばされたんだろうかと不安に思っていると──。

「いらっしゃい、可愛いお嬢さん」

 透き通るような美しい声が響いて、そこには真っ白いドレスを着た金髪碧眼のお人形のような女性がこちらに笑みを向けて立っていた。

「あ、あの、お邪魔してます!!」

 ここに来て初めて魔王以外の人に会えたという興奮から、妙に鼻息荒くなってしまったが仕方ない。
 だって本当に久しぶりなんだもの、魔王以外の人間。

「ふふ、面白い子ね。異界の乙女がこんなに可愛らしい子だとは思わなかったわ。あぁそれとも、“中和の乙女”と呼んだ方がいいのかしら?」

「中和の──乙女?」

 そんな呼び名は初めて聞いた。
 私が女性から飛び出した言葉を反復させると、彼女はふんわりと微笑んで頷いた。
「あなたには、相対するものを中和させる力がある。善と悪。正と負。神と魔……。なんでも中和してしまうの、その力は」

 え、すごっ。
 まったく実感はないけれど。

「そうねぇ……目が覚めたら、城側とは反対の門へお行きなさい。そこにある魔法石に触れるの。そうすれば、事は動き始めるわ。あぁ、くれぐれも、ゼノンディウスには秘密で、ね?」

「ゼノン……あぁ、魔王のこと、ですか。でもなんで? そんなことしたら……」
「良いのよ。事を動かすには、きっかけを作らなきゃ、何も動かないわ」

 事を、動かす……。
 そうすれば何かが変わるのだろうか?
 そうすれば、元の世界に帰ったりできるのだろうか?

 あの子達の元に。
 弟達の元に、帰ることができる?

 こちらの世界に来てから数ヶ月。
 あの子達を思い出さなかった事はない。
 私がいなくなってしまったら、もう他に身寄りのないあの子達はきっと施設に入れられるはず。
 衣食住の補償は、おそらく心配ない。
 心配ない、のだけれど……。
 やっぱり心配してしまうのが姉というものだ。

 もし事というものが動いて元の世界に帰ることができるというのならば、試してみない手はない。

「わかりました……!! 私、行ってきます!!」
 強奪された日常を取り戻すために。

「えぇ。行ってらっしゃい。いつでも見守ってるわ、あなた達を──」

 美女の微笑みに私も笑みを返すと、刹那、再び霧が立ち込め、美女の身体を覆って消し去ってしまった。
 朝だというのに相変わらずこの魔界に日は当たらない。
 門一つ隔てた同じ世界のことなのに、それをくぐるだけで一歩進めば魔界となる不思議。

 私は一人、薄暗く鬱蒼とした森の中を歩き続ける。

「それにしても静かね」

 ラザミリ城で聞いた話では、魔界の森の中には魔物がウヨウヨしていて、足を踏み入れたら最後、たちまち奴らに囲まれる。だから王家の専用の馬車を使わなければ危険なんだ、って教わったのだけれど……。

 森の中には魔王城内と同じく、何もいない。
 気配すら感じない。

「魔界って過疎化してるの?」

 私の呟きが、しんと静まり返った森の中に響く。

 にしても、鳥の鳴き声ひとつしないのは、何だか不気味だ。
 あの美人さんはこっちに行けって言ってたけれど、一体何があるんだろう?
 早く行って早く帰ろう。

 木々の間の一本道を進んで行くと、ようやく見えてきたのはぴっしりと閉じられた黒い門。

 これ、城側の出入り口のものと同じ……。

 まるでここから出ることを禁ずるとでも言わんばかりの、大きく重厚な門が威圧感を放つ。

「魔法石とか中和がどうのとか言ってたけど……これのこと?」

 私が確かめるように、そっと門の中央にくっついている黒い宝石に触れた、瞬間──。
「っ!?」

 宝石がが淡く白い光を放ち始め、そして──「消えた……」

 まるで景色に溶けるようにして、忽然と消えてしまった門に、私は思わずその場に尻餅をついて呆然とその跡を見つめた。

 さっきまであった……のよね?
 え、待って、何で?

「アァー!!」
「っ!?」
 突然何かくぐもったような大きな鳴き声が森に響き渡り、私は肩をびくりと跳ね上がらせて辺りを見渡す。

「か……帰らなきゃ……!!」
 これ以上ここにいるのは──怖い。
 私は震える足を無理やり立たせると、元来た道を全速力で駆けた。

「はぁっはぁっ──っはぁっ、はっ、キャァッ!!」
 ズサッ!!
 恐怖と不安で一心不乱に走り続けた私は、道の真ん中に飛び出た握り拳ほどの石につまづいて、勢いよく滑りこけてしまった。

「ったぁ~……」
 地面に擦り付けた両膝から流れる赤い血。
 暑く、ジンジン痛む。
 暗雲立ち込める空からはぽつりぽつりと雫が落ち始めた。
「やばっ、雨!?」
 痛む足を引きずりながらとりあえず近くの木の下へと移動すると私はその木の根元へと腰を下ろした。

 ついてない。
 本当についてない。ここのところの私。

 私は泣きそうになるのを堪えるように、威力を増した雨を生み出す空をじっと見上げるのだった。
 おかしい。
 彼女が、いない。

 3日前に不本意ながら私の妻になった女性──千奈。
 クズだクズだと思っていた我が義弟だが、最低のクズだったことを再確認した日だった。
 封制印を奴がもっているからには、私には抵抗もできない。

 幸い、千奈は悪い人間ではなく、何より一緒にいて不快ではなかった。

 あんなことがあっても挫けることなく、逆に「国を滅ぼしたい」という思考を持つ強さ。
 前向きで、コロコロと表情が変わって、話していて楽だ。

 そんな彼女の姿が見えない。

 朝食は共に食べた。
 変わった様子もなかったはずだ。

 昼食に現れない彼女を屋敷中探し回ったが、どこにもいない。

 魔界は封印されていて、こちら側からは出られないはず。
 ということは、森か?

 ──この城は深い森に囲まれている。
 そしてその森は、ぐるりと高い壁で囲まれ、その外は人間界となる。
 壁の外に出るには黒い門を通らねばならない。

 門は二つ。
 城側と、反対側は崖壁と、崖の上は小さな町に続いていたはずだ。

 魔界の者たちには彼女の前に姿を現さないよう伝えているから、怖がらせることはないだろうが……。

「アスト」
「──はい」

 私の呼びかけに、私の前に黒い霧に紛れて黒い大鳥が現れた。

「空から彼女を探してもらえるか?」
「お任せを」

 承知の言葉だけ残してから、アストは私の前から再び黒い霧に溶けるようにして消えた。



 ──アストが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。

「ここから町側の門へ向かう途中の大木の下で、千奈様を発見いたしました。足に怪我をされているようで、心細そうに蹲っておいでです」
「怪我だと!?」

 心細そうに……。
 あの前向きで 強気な女性が、か?
 想像ができない。
 だが怪我をしているのならば、動くことは難しいのだろう。
 早く行ってやらねば……。

 私は黒い外套を羽織ると、窓を開け放った。

 朝だというのにこの魔界は常に暗い。
 そして今は雨が降りしきっていて、森の中はさぞ冷たく暗い状態になっていることだろう。

 ここに追放されてしばらく、私は一人でこの城にいるのが怖くて仕方がなかった。
 だけど一緒に追放された母が、ただ傍にいてくれたから──。
 だから私は、生きてくることができた。

 一人、暗闇にいる恐怖は、私が一番よく知っている。
 光が灯った時の安心も。

「……行って来る」
 そう言って窓の桟に足をかけたその時。

「もう一つご報告を」
 アストが私を呼び止めた。

「何だ。手短にしろ」
「村側の門の封印が解かれている模様です」
「!!」

 村側の、門の封印が……?

 外に出ることを禁じられ、外から封印の術をかけられ、魔界に閉じ込められた私と母。
 何度も、魔界の魔物たちに協力してもらって出ようと試みたが、封印は解くことができなかったが……。
 今になって一体なぜ?

 まさか、あの嫁が何かしたのか?
 いや、まさか。
 そんな力、彼女には……。

「……わかった。ご苦労だった。調理場に、温かい飲み物を用意するように伝えてくれ。あと、彼女の寝室に毛布を」
「はっ」

 アストの返事を聞いてから、私は一人窓の外、暗闇へと飛び立った──。

「どうしよう……。暗くて、寒くて……ぶ、不気味……」

 一人でこんなところにいることなんて、今までなかった。

 両親が死んだ時、私には祖母と二人の幼い弟がいた。
 祖母が死んだ時も、両親の時よりも少しだけ成長した弟たちがいた。
 私は、一人じゃなかった。

 灯りをつけて、二人が不安にならないように、明るく強く、しっかりと自分を保ってきたのに。

 暗闇が──こんなに怖いだなんて。
 こんなに、心細いだなんて。
 知らなかった。
 いや、知らないふりを、気づかないふりをしてきたんだ。

 気づいてしまったら……私まで沈んでしまったら……、あの子たちを守ることができないと、無意識に心に盾を作っていた。

 あの子たちを守って、親の代わりに育てること。
 その目標が、バカ陛下の嫁召喚なんかで失われたんだ。
 この世界、いや、人間界の奴らのせいで……。

 私がいなくなって、弟たちは大丈夫なんだろうか?
 どこか施設に入っているんだろうか?
 ちゃんと、笑えているだろうか?
 私は────。

千歳(ちとせ)……。千都(せんと)……」

 大丈夫じゃないのは、多分、私だ。

「会いたいよ……。……お父さん、お母さん、おばあちゃん──ゼノン」

 自然と飛び出した魔王の名に気づき顔を上げた、その時だった。

「千奈!!」
「!!」

 声が。
 深く低い、焦ったような声が、私の耳に届いた。

 と同時に、私の目の前に降り立った黒い影。

「ま……おう……?」

 突然舞い降りた黒髪の美青年は私には見覚えのない顔をしていたけれど、それでも何となく、わかった。
 いつもフードでほとんどの顔が隠れていたけれど、彼の特徴と一致したから。

 真っ黒い服。
 赤い双眸。
 そして何より、その深く心に響く低音ボイス。

 間違いない。
 この美青年は──魔王だ。

「ど……して……」

 何でここに?
 どうしてここがわかったの?
 色々聞きたいのに声が震えて言葉が出てこない。

「っ……怪我が……。少し、我慢していろ」
「え? っ、きゃぁっ!?」

 言うや否や、魔王は私の背中に右手を回し、左手を私のひざ下へとくぐらせ、一気に持ち上げた。
 所詮お姫様抱っこというやつだ。
 まさか人生でこんなことをされる日が来るだなんて、夢にも思っていなかった。

「戻るぞ」
「へ? え、ちょ、ひやぁぁぁあっ!?」

 どんどん地面から遠くなっていく視界。

 空……飛んでる……!!
「急ぐぞ。舌を噛まないよう、口を閉じていろ」
「は? っ!?」
 魔王の飛ぶ速度が一気に加速した。
 息もできなくなるくらいに速く、視界が次から次へと変わって忙しくなる。

 私は飛んでいる間、自分の目と呼吸を守るため、魔王の胸元に顔をうずめるしかなかった。

 ***


 シュンッ──と風を切って暗雲立ち込める雨の空を飛び続け、開け放たれた窓から侵入したその先は、魔王城の私の部屋だった。

「ついたぞ」
 そう言って私をベッドの淵へと優しく降ろした魔王は、その場にしゃがんで私の右足を手にした。

「!? ちょ、な、何して──っ!?」
「怪我……痛むか?」
「ぁ……」

 私の右足を手に取ったまま、視線は左足にも向けられる。
 じんじんと痛む両膝を交互に見てから、眉を顰める魔王。

 もしかして、心配してくれてる?

 熱心に私の傷を観察する魔王に、私は小さくうなずいた。

「ふむ……仕方ない、か……。──フラン!!」
「──お呼びでしょうか」
「!?」

 魔王が「フラン」と人の名を呼ぶと、そのすぐ背後で黒い霧に包まれて現れたのは、白髪で人の良さそうな笑みを浮かべた初老の女性。

 それだけならばまだ、何か手品でもして現れたのだろうと思い込むこともできたかもしれない。……頑張れば。

 だけど彼女は、明らかに人とは違っていたのだ。
 だって──彼女の肌は、全て余すことなく緑色で、耳もツンと尖っているのだから……。

「すまないが、彼女の足を見てやってくれ」
「かしこまりました」

 女性は綺麗に頭を下げると、私の前まで進み出て、怪我をしている私の両膝に触れた。

「あらあら、結構深く傷ついてしまわれたのですわね?」
「え、えぇ……」
「よく耐えられましたわね」

 女性はにっこりと笑って、私の両膝にその緑の両手をかざした。
 刹那、彼女の手のひらから淡く白い光が溢れ、私の両膝へと吸い込まれていくと、みるみるうちに流れていた血が止まった。
 傷はあるけど、でも、痛みがない……。

「うそ……え……えぇぇぇえええ!? 何!? どういうこと!? 傷はあるのに痛くない!!」
「ふふふ。良かったですわ。私の力では痛みを麻痺させ感じなくさせたり止血をすることが限界で申し訳ありませんが……」

 そう言いながら女性はエプロンのポケットから次々と包帯やカット綿、消毒液にピンセットなどを取り出すと、私の足をきれいに処置し、最後に上半身がすっぽり入りそうな大きめのふわふわのタオルを、私の頭からかぶせた。

「彼女──フランはホブゴブリンでな。この城で侍女をしている」
「侍女!?」

 使用人、居たの!?
 今まで見たこともないのに……。

「ホブゴブリンって……それに侍女って……。でも、今まで一体どこに……?」

 私の問いかけに、フランと呼ばれていた女性が目尻の皺を濃くして優しく笑った。

「人間がここに来た際には、私たちは姿を見えなくしております。彼らを驚かせないように、そして敵意がないことを示すために。それに魔王様から、人間の、しかも魔法のない世界から強制的に召喚されたお嬢様がお嫁様になったと聞いて、私たちは決めたのです。お嬢様がこの世界に慣れるまでは、姿を現さず、陰からのサポートに徹しようと」

 それじゃぁ、ずっと屋敷の人達の姿が見えなかったのは──いないんじゃなくて……私を怖がらせないため?

 厨房に人がいないのに美味しい料理が出てくるのも。
 朝起きてそのままにしていても、夜にはベッドが綺麗に整えられて、ぽかぽかしているのも。
 服の洗濯だって……。

 全部、姿を消して、私に気づかれないようにしていたっていうの?

 心にじんわりとした温かいものがこみあげてくる。

「……私……突然に無理矢理召喚されて、幼い弟たちと離れ離れになって……。でも、人間界(あちら)では私を気遣ってくれる人なんていなかった」

 ひとつ、また一つと、言葉が沸き上がってくる。

「異世界人と王が結婚すれば国が反映するなんてお告げのせいで婚約させられて……。その婚約相手は国庫から勝手にお金を出して、毎日けばけばしい恋人に貢ぎまくるし、ダンスも恋人と踊って私はほったらかし。自分の居場所のない世界でこれから生きていかないといけないことに、ずっと絶望してた」

 憤って、絶望して、諦めて……。
 だけど──。

「私……魔王に嫁いでよかった」
「っ……」
 魔王の赤い瞳を見上げて笑った私に、なぜか魔王が言葉を詰まらせた。

「フランさん、お気遣い、ありがとうございました。あの、もう私、大丈夫ですから……だから、そのままでいてください。これからも、よろしくおねがいします」

「お嬢様……はい。こちらこそ、よろしくおねがいいたします」

 フランさんと微笑み合うと、彼女は「それでは私はお風呂の準備をさせていただきますわね」と頭を下げてから、また黒い霧に消えた。
 ……普通にドアから出入りしてもらうように今度言っておこう。


 私と魔王だけになった部屋で、魔王はじっとただ私を見つめたまま固まっている。

「あの、魔王……ありがとうございます。助けに来てくれて」
「ゼノン」
「はい?」
「ゼノンと呼べ」

 そう小さな声で言われて、先程のことを思い出す。
 雨に濡れて心細い中、その名が自分の口から漏れ出たのは無意識だった。
 あの時は特に何も思っていなかったけれど、こうして思い返してみるとなんだかとても恥ずかしくなってくる。

「わ……わかりました。ぜ……ゼノン」
 勇気を振り絞って名前を呼んでみれば、目の前で無表情のまま私を見つめていた魔王の顔が僅かに赤らんで、それから満足げにうなずいた。

「それでいい。で、お前は何であの場所に? しかも門の封印が解けていたようだが、何かしたのか?」
「ぁ……えっと……」

 どうしよう?
 夢の中で女性に行ってみろと言われたので行ってみました?
 門に触ったらなんか変わっちゃいました?
 ……そんな突拍子もない話、信じてくれるかしら?

 頭のおかしい奴だと、魔界からも追放されたら……?
 いや──。
 彼は、ゼノンはそんなことをする人じゃない。
 彼のことを詳しく知っているわけじゃないけれど、そんな非情な人ではないことはわかる。
 なら────「実は……」

 ***

 私はゼノンにすべてを話した。

 夢の中に見知らぬ綺麗な女性が現れて、私を中和の乙女だと教えてくれたこと。
 目が覚めたら城の反対側の門の魔法石に触れるように指示したこと。
 ゼノンに秘密で行くようにと言われたこと。
 門の宝石に触れたら、門が消えてしまったこと。
 怖くなって元の道を走って帰る途中こけて、さらに雨まで降ってきて雨宿りしていた事。

 話している間、魔王は何も言わず、ただ難しい顔をしたまま私の隣に座り、じっと私の話に耳を傾けた。
 そして聞き終わると、腕を組んだまま深いため息をついた。

「とりあえず、その女性は、外見的特徴からしておそらく私の母の思念体か何かだろう」
「は、母!?」

 確かゼノンのお母さんは、ゼノンと一緒に追放されたって聞いた……。
 それが夢に出てきたってことは、お母さんは……。

「私の話もせねばならんな。……私の力がわかってすぐ私は魔界に追放され、私を産んだ母も魔族なのではないかと疑いをかけられ、共に追放された。暗い魔界で、怖くて震えていた私を、母は懸命に守ろうとした。幸いにも魔物たちは皆心優しく、私と母を歓迎し、魔界での世話もしてくれたし、いろいろと教えてくれ、二人でここで生きていける希望を持った。その時だった。母が父から、死の呪いをかけられていたことを知ったのは……」

「死の呪い!?」

「あぁ。父は私を、母と魔族の子どもであると、母が不貞を犯したのだと考えたんだ。そして母に死の呪いをかけた。1年後に死ぬという呪いを、な。母はどんどん弱り、追放から一年後に死んだ。そして呪いの代償として、術者である父──先代の王もそれから5年後に死んだ」

「!!」

 そんな……ひどい……!!
 自分の奥さんを疑って憎んで、信じることなく殺すだなんて……。

「当時まだ幼かった弟の代わりに数年は側妃だった義母が政治ごとを代わってやっていたようだが……国王に即位した途端、バカげたお告げを信じて召喚の儀を行い、自分勝手に無責任にも君まで追放するとは……。すまなかったな」

 申し訳なさそうに頭を下げた魔王に、私は慌てて首を横に振った。

「ゼ、ゼノンが謝る事じゃないです!!」

 悪いのはあのポンコツ色ボケ陛下だ。
 どうせ今もまだ国費を使って恋人に貢いでいるのだろう。
 いつか痛い目に会えばいい。うん。

「ふっ、そうか」
 かすかに笑ってゼノンが続ける。
「私が母の呪いのことを知ったのは、母が死んでから、母の日記を見て知った。もしももっと早く知って、誰かに相談していたら、母の死は防げたのかもしれないのに」

「ゼノン……」
 悔しかったことだろう。
 心細かったことだろう。
 光の当たらない世界で、人間はただ一人になってしまったのだから。

 するとゼノンは、私の目をまっすぐに見つめ、真剣な表情で言った。

「だから千奈。君は何かあれば、すぐに私に言ってほしい。どんな些細なことでも良い。言ってくれたなら、一緒に悩むことができる。答えを導き出すことができる。一人じゃない。私がいることを忘れないでほしい」

 それはたった一人で魔族の中で生きてきたゼノンの、切実な願い──心からの叫びのように思えた。

「書類上とはいえ、私たちは……夫婦になったのだから」
「っ……」

 まるで、家族なのだと言われているようで、目に熱いものがこみあげてきて、それを誤魔化すかのように、私は魔王の胸に思い切って飛び込んだ。

「なっ、おい!?」
 慌てる魔王をよそに、私はぐりぐりとその硬い胸板に顔を押し付ける。
 そして小さな声でこう言った。

「鬼嫁ですが、これからよろしくお願いします」

「っ……あぁ。こちらこそ。魔王だが、これからよろしく頼む」

 そして私の頭上に、温かい魔王の手が触れた──。

 魔王と鬼嫁。

 最強の夫婦が誕生した日だった。











「トッポ、今日の朝食もとっても美味しかったです。ありがとうございます」
「よろこんでいただけま~して嬉しゅうございまぁ~す千奈様」

「シャイリー、いつも水やりをありがとうございます。あなたの綺麗な水のおかげで、とっても綺麗な花が咲いていました」
「ぷしゅぅ~~~~~」

「ゴルゴラードも土の浄化、ありがとうございます」
「きゅるきゅるん」

 あの日以来、魔界の住人たちは私の前に姿を現すようになった。
 というのも、私が魔王にそうして欲しいと頼んだのだ。

 私のことを気遣って、私が慣れるまで姿を消していようとしてくれていた彼らのことを知って、きっと人間なんかよりもずっと心優しい人たちばかりなのだとわかったから。

 思った通り、彼らはとても優しく気さくで、すぐに私も馴染んでしまった。

 トッポは鳥人間で、魔王城の料理長をしている。
 水魔のシャイリーは魔王城の外の小さな湖に住み着いていて、城の庭の花や木の水やりをしてくれているし、土竜(つちりゅう)のゴルゴラードはそんな花や木の為に土に栄養をやったり浄化したりしてくれているのだ。

 他にもケルベロスのけるべぇ(名前が無かったので私が名付けた)、グリフォンのアスト(あの日私を見つけてくれたのも彼らしい)など、たくさんの魔物が暮らしている。

 私が封印を解いた門は、トラブル回避のためひとまずそこからでないようにというお達しが下され、毎日がのんびりと過ぎていった。
 そんなある日のことだった。

「ゼノンゼノンゼノンゼノンー!!」
「うるさい」

 広間で読書中のゼノンが本から顔を上げてわずかに眉を顰める。
 彼のこんな表情ももはやいつも通りなのですっかり慣れてしまった。

「すみませんって。でもこれ、見てください」
 そう言って差し出したのは、真っ白な大皿。
「……クッキー?」
 皿の上に並んだハートや星、動物の形のクッキーを見て、ゼノンが首をかしげる。

「えぇ。厨房を使わせてもらって作ったんです。よかったらどうぞ」
「君が作ったのか?」
 訝しげな表情で私を見るゼノンに、私はむっと口を引き結んでから声を上げた。
「何ですかその不審そうな目!! 大丈夫!! 味は保証します!! 私、料理は得意なので!!」

『贅沢は敵だ』を合言葉に祖母に教わった節約料理の数々。
 どれも味は折り紙付きだ。
 もちろんクッキーも良く作ってはおやつに出していた。

「……いただこう」

 信じていないのか、ゼノンは失礼にも渋々といった様子で皿の上のクッキーに手を伸ばすと、それを一つだけ手にして口の中に放り込んだ。

 ボリッボリッボリッ。
 小気味良い音が広間に響いて、ごくんとのどが鳴った。

「……おいしい……!!」

 何だ、その意外そうな顔は。
 信じろ、妻を。

「あまり難しい顔して本を読んでると、顔固まりますよ? たまには甘いものでも食べて、まったりしましょ」
「……あぁ、そうだな」

 眉間の皺がゆるりとほぐれて微笑みあった、その時だった。

「魔王様!!」
 アストが大翼を羽ばたかせて窓辺に降りた。

「どうしたアスト?」
「大変です!! 封印が解かれた門から、人間の子どもが迷い込んだ模様です!!」
「何だと!?」

 封印が解かれた門には鎖などで境界線を作ってもいない。
 まさかあちらから入ってくる人がいるとは思わなかったから。
 大体の人はここを怖がって、魔界との境界である森にすら近寄らないと聞いたけれど……遊んでいて迷い込んでしまったのだろうか?

 もし魔物と接して怖がって誤解してしまったら……人間界と魔界で戦争が起こる可能性だってある。
 どうしよう……私のせいだ……。

 不安に腕を抱きかかえたその時、とん……、と、私の肩に優しく大きな手が触れた。

「ゼノン……」
「大丈夫だ。魔物たちも、人間を感知した際には姿を消すことはわかっている。それに、もし戦争のきっかけになったとしても、本気を出した私たちが負けるなどありえない。安心しろ」

 安心できねぇ……!!
 そもそも戦争なんて駄目だから!!

「と、とにかく、急いで探しに行きましょう!!」
「あぁ。しっかり掴まっていろ」
「へ? きゃぁっ!?」

 ゼノンは頷くと、当たり前のように私を横抱きにして、窓から飛び立った。






「ちょ、ぜ、ゼノン!? 降ろし──」
「この方が早い。無駄口叩いてないで、子どもを探せ」

 鬼畜……!!
 でも確かに空からの方が探しやすいのは事実。
 しっかり探さなきゃ。

 私はゼノンに抱えられたまま、じっくりと辺りを見渡す。

 森が静かだ。
 人間が入り込んだことを知って、魔物たちも姿を消して様子をうかがっているのだろう。

「~~~~、~~~~」
「? 泣き声?」

 かすかに聞こえる鳴き声に耳を傾けると、私は声の聞こえる方へ視線を向け、目を凝らした。
 すると木々の間から男の子の姿が──。

「いた!! ゼノン、そこの紫がかった木のところに降ろしてください!!」
「わかった」

 ゼノンは頷くと、ゆっくりと降下をはじめ、紫の木の下へと私を抱えて降り立った。

「ひっ!? ま、魔族!?」

 空から降りてきた私たちを見るなりに恐怖に顔を歪め、後ずさる男の子。
 歳は私の下の弟と同じくらいかしら?

 私はなるべく怖がらせないようににっこりと微笑み、男の子の目線までしゃがんでから声をかけた。

「怖がらなくて大丈夫。君を助けに来たんだよ」
「た、助けに?」
 ちらり、と視線が私の隣のゼノンへと注がれ、男の子の表情が再びこわばった。

 しまった。
 小さな子にゼノンの無表情は刺激が強いのか……!!

「だ、大丈夫!! この人、顔は怖いけどとっても優しいから!!」
「おい」
「それよりも──」

 私は男の子の右腕に視線を向ける。
 身体のところどころに傷が出来ているけれど、右腕はひどい。
 血が出るとともに青く腫れているし、折れているようにも見受けられる。

「痛い、よね? すぐに手当てをして、町に帰してあげるから。──ゼノン」
「あぁ。──フラン!!」

 私の言わんとしていることを瞬時に悟ったゼノンは、すぐにフランを召喚した。
 ふわりと黒い霧に紛れて現れるフランさんに、男の子の顔が再びこわばる。

「大丈夫。この人も悪い人じゃないから」
「で、でも!! 緑だよ!?」

 この反応も普通と言えば普通なんだろう。
 私たち人間にはありえない肌色なのだから。
 だけど──。

「肌の色なんて関係ない。人間でも心無いことを言ったりしたりする人はいるでしょう? そんな人間なんかよりもずっと、ここに居る人たちは心優しい人たちだと思ってる。だから大丈夫。私たちを信じて」

 私の言葉をじっと聞き終えてから、少し考えたように俯き、そして再び私を見て、男の子はゆっくりと頷いた。

 それに安心したように頬を緩めると、フランさんは男の子の右腕に手をかざし、ゆっくりと力を送り込んでいく。

「え? 傷が……」
 呆然と言葉を発する男の子。
 そりゃそうよね。
 あんなに深かった傷が塞がっていくんだもの。

 かんぜんには傷跡は無くならないものの、血は止まって、痛みに歪んでいた男の子の顔も落ち着いたようだ。

「さぁ、これで大丈夫ですよ。他の小さな傷も治しておきましょうね。どんなに小さい傷も、痛みには変わりないのですから。傷跡も、しばらくすれば綺麗になるでしょう」
 優しく微笑んで、今度はところどころにある小さな傷にも手をかざしていくフランさんに、男の子が小さく「……ありがとう」と言った。

 ***


「もうどこも痛くないですか?」
「う、うん。平気。……あの、ありがとう……!! 助けてくれて……」

 フランさんの治療ですっかり痛みの無くなった男の子は、ぎこちなくもそうお礼を言って笑った。
 それを見てフランさんもにっこりと微笑んで、それから私たちに向き直って
「それでは私は失礼しますね」
 と言ってから、また黒い霧に紛れて消えた。

「消えた!?」
 うん、当然の反応よね。
 私もまだ慣れないもの。
 突然現れたり消えたり。

 部屋に入る時はドアから入ってくれるようにはなったけれど、たまに外で突然現れる時には肩を跳ね上がらせてしまう。

「ははは……。魔族だからね。でも、とっても優しい人だったでしょう?」
「……うん。優しかった。……僕、魔族は皆怖い人だって思ってたのに……お姉ちゃんたちは違うんだね」

 一般的に魔族は嫌悪される存在として知られている。
 近づけば残虐に殺されるから魔界には近づいてはならない。
 私もここにきてすぐそれを教えられた。

 実際は人間の方が残虐だったわけだけれど。

「私は人間だけど、この男の人もさっきの人も、この魔界の魔物たち皆、とっても気さくで優しい人ばかりだよ。君、崖の上の町の子? ま、まさか、崖から落ちてきたの?」
 私の問いかけに、男の子は小さくうなずいた。

 まじか。
 でも崖から落ちたならあの怪我の酷さも納得がいく。
 生きてただけで御の字だ。

「僕、皆とかくれんぼをしてて……ロープの外ならだれにも見つからないだろうって……。そしたら落ちちゃって……」

 ロープ?
 私が首をかしげてゼノンを見上げると、ゼノンが「魔界へ近づくのを防止するためのものだろう」と説明した。

 なるほど。
 町は町で対策を取っているのね。

「そっか……。ゼノン、この子を町に連れて行ってあげられないですか?」
 さすがに子供が崖をのぼるのは難しいだろう。
 なら空から送り届けてあげるのが一番だけれど……。

「……それしかないだろうな」
 渋々、と言った様子でゼノンが頷くと、男の子の表情が和らいだ。

「よかったね!!」
「うん!! ありがとう、吸血鬼さん!!」

 吸血鬼!?
 確かに容貌的にはそれっぽいけど……!!
 だめだ、似合いすぎて笑いが……!!

「笑うな。人間、私は吸血鬼ではない。魔王ゼノンディウスだ」
「ゼノンデッッ?」
「……ゼノンで良い」

 舌噛みそうな名前だものね。
 うん、仕方ない。

 諦めたようにそう言ってから、ゼノンは男の子を軽々と片手で抱きかかえてから、私を見て左手を差し出した。

「へ?」
「来い」
「え、いや、重量オーバー……」
「問題ない。それに、魔王である私だけでは町の住民を怖がらせるだけだ」
「ぁ……」

 そうだ。
 見た目からして魔族なゼノンだ。
 一人で行っても子どもを攫おうとする魔族だと誤解されるのがオチだろう。

「じゃ、じゃぁ……よろしくお願いします」
「あぁ」
 そして私は、ゼノンの左腕に抱きかかえられて、空に飛んだ。
「タクトー!!」
「タクトどこー!?」

 空を飛んで町の上まで行くと、町からたくさんの声が響いていた。
 タクト。
 おそらくそれがこの男の子の名前なのだろう。
 皆がこの子を探してるんだ。

「父さん!! 母さん!!」
 男の子がそう叫ぶと、ゼノンはその先にいる男女の元へと下降し始めた。

 ゆっくりと地面が近くなってきて、男女が私たちに気づき顔を青くさせる。

「タクト!!」
「父さん、母さん!!」
 地上に降り立つと同時に男女の元へと駆けだす男の子──タクト君。

「あぁ……!! タクト……!! 無事でよかった……!!」
 目に涙をにじませながら女性が言う。
 男性も、涙を流しながらそれに何度も頷いて、強くタクト君を抱きしめた。

 お父さんとお母さん、心配してたのよね。
 その光景が、少しだけうらやましくなる。
 私にはもうありえない光景だから。

「タクト―大丈夫か!!」
「魔族だ!! 魔族がいるぞ!!」

 騒ぎを聞きつけた町の人たちが次々と集まってきて、持っていた鎌や鍬などの農具やや長棒をこちらに向ける。
 わぁ……やっぱり誤解されてる……。

「あ、あの、私は人間で、この人は魔王だけど悪い人じゃ──」
「魔王だって!?」
 私の良い分も虚しく途中で遮られ、魔王の部分だけが彼らの中に浸透してしまったようだ。
 不安げにこちらを見ながらも、戦闘態勢を変えない町の人達。

「おいあの子は人間だと!!」
「お嬢さん、危ないから早くこっちへ!!」
「そんな魔族なんかのそばにいたら、食われちまう!!」
「汚らわしい悪魔が……!!」

 ブチッ……。

 何かが自分の中でちぎれる。
 そんな音がした。

「どいつもこいつも勝手に……。外見と種族だけで判断して……汚らわしいのはどっちよ!? 魔王は人間界から支給される保証金もほとんど手を付けることなく自給自足で生活してるし、魔物たちに何かあればすぐに駆け付けるわ!! 必要なところでお金を使って、魔物たちの生活を助けてる!!」

 言葉が滝のように零れ落ち、止めることができない。
 止める必要もないけれど。

「大して人間界の国王はどう? 国費を使って恋人に貢いで、毎日イチャイチャするだけの日々よ!? 国の運営は宰相にほぼ丸投げして!! 魔王の方がよっぽど立派じゃない!! ──うちの旦那様を虐げる奴は、私が許さないから!!」

「千奈……」

 私の演説にも似た言葉の滝に、唖然とした表情で町の人々が私を見ていた。
 言ってやったわ。
 どうだ人間ども。
 ざまぁ国王。
 お前の悪行バラしてやったぞ。

 我ながら性格が悪いとは思うけれど仕方がない。
 それだけのことを奴らがしているのだから。

「そ、そうだよ!! その人たちは悪くないよ!!」

 戸惑う町の人々にとどめを刺すように、タクト君が声を上げた。

「僕、かくれんぼをしてて、ロープの外ならだれも来ないだろうって出ちゃったんだ……。それで崖から落ちて……。怪我をしてるのを、魔族の人が助けてくれたんだ!! ゼノンとお姉ちゃんは、僕をここまで送り届けてくれただけだよ!! 魔界の人は皆良い人ばっかりだよ!!」

「タクト……お前……」

 そこで初めて、彼らはタクト君の姿に気が付いたようだった。
 あちこち血の跡がついているが、塞がったたくさんの傷跡に。

「勝手に決めつけて悪者にする皆の方が悪い人みたいだよ!!」
 そんなとどめの言葉が効いたのか、町の人々が構えていた武器がゆっくりと降ろされていった。

「そうか……。そう、だな。……申し訳なかった。子どもを助けてくださって、ありがとうございました」
 そう頭を下げる父母に、ゼノンは「大したことはしていない」と首を横に振った。

「あの、よろしければわが家へ」
「結構だ。王家に見つかるとまずいだろう」
 魔族が門の外に出て町の人と一緒にいるというのは外聞がよろしくない。
 そう彼らを慮っての言葉に、彼らは首を横に振った。

「ここには領主からの偵察すら来ません。だから大丈夫です。それよりも、子どもを助けてくれたあなた方に、ぜひお礼がしたいのです。それに、先程のお嬢さんの話についてもお聞きしたいことが……」

 私の話?
 何か、訳あり、っていうことだろうか?

 私とゼノンは顔を見合わせると、ゼノンはうなずき、「わかった。邪魔をする」と短く了承した。





 久しぶりに見た暗闇以外の空はすぐに暮れ、見慣れた闇夜に変わり、私たちはタクト君のお宅で夕食をごちそうになった。

「お姉ちゃん、こっちも食べて!! 美味しいよ!!」
「あ、ずるい!! お姉ちゃん、私の方が美味しいよ!!」
「これだって美味しいよ!! ほら、食べて!!」

「は、はは……。ありがとう。どれもすっごく美味しいよ」

 タクト君は3兄弟の末っ子で、上のお兄ちゃんとお姉ちゃんともすっかり打ち解けてしまった私は、ただいま絶賛餌付けされ中である。

「ずいぶん気に入られたな」
「ふふ。私にも弟たちがいたので、にぎやかで嬉しいです」
「そう、だったな……」

 そう言うとゼノンは少しだけ黙り込んで、神妙な表情で私を見つめた。

「帰りたいか? 元の世界へ」
「へ? あぁ……そりゃまぁ……弟たちには会いたいです。でも……ゼノン達とも一緒にいたいですから、私」

 未練がないわけじゃない。
 ゼノン達との生活も大切なのだと思い始めている今、その問いにははっきりとは答えられなかった。

「そうか……」
 ゼノンはそれだけ言うと、また難しい顔をして黙ってしまった。
 どうしたんだろう?

「お話を伺うに、国王陛下は国費を使って恋人に貢いでいるということでしたが……それは事実で……?」
 タクト君のお父さんの問いかけに、私は深くうなずいた。

「あの人は私を異世界から強制的に攫って婚約させておきながら、恋人に国費から貢いで毎日プレゼント三昧です。公務もさぼってますし、ほとんどを宰相が担っています。アレ要ります? 正直、私要らないと思うんですけど。あのポンコツ陛下」

「落ち着け鬼嫁。あんなでも一応国王だ」

 そうだった。
 もしここに間者でもいれば不敬罪になるところだった。
 だけど要らないと思うんだ、あいつ。マジで。

「そうですか……。それで納得がいきました」
「え?」
「実はこの町はずいぶん前から領主の視察すらなく、町の干ばつが酷く税を納めるのが厳しくなって助けを求めても、領主からは何もしていただけないままで……。国に嘆願書を送っても、一向に返事が来ないという現状で……。そうですか……。国王陛下が職務を怠慢されているのならば、それも納得がいきます」

 あのクズ……。

「ゼノン。やっぱり滅ぼしましょ、人間」
「落ち着け。少しは穏便に済ませようとすることを覚えろ」

 多分、一般的な魔王のイメージって私みたいなのを言うんだろうと思う。
 ゼノンはあまりに、優しすぎる。

「干ばつ……か……確かにここのところ門の外では雨が降っていないということは聞いていたが……」
 門の中ではこの間大雨だったけれど、外と中では気候も違うようだ。

「要は干ばつで作物が育たないということだな? それならば私が何とかできるだろう」
「へ?」
「本当ですか!?」

 何とかできる?
 雨乞いでもするっていうの?
 いや、そもそも雨乞いって効果あるのだろうか?

「え、ちょ、ゼノン? 本当になんとかできるの?」
「あぁ。造作もない」

 あまりに自信たっぷりに言うのだから何か考えがあるんだろうけれど……大丈夫なのかしら?
 不安な私をよそに、ゼノンはタクトの両親に言った。

「明日、またここに来ても良いだろうか? その際に、干ばつの件は解消させよう」
「本当ですか!? ありがとうございます!! もちろんです!! いつでもいらしてください!! 町の皆にも伝えておきますので!!」

 一体どんな策があるのだろうか。
 私はまだわからないまま、その日は和やかに久しぶりの人間界での夕食を終えた。