「……」
「そう睨むな千奈。醜い顔がさらに醜くなるぞ」
「あなたよりはマシな顔してるつもりです」
「っ、相変わらず可愛げのない……!!」
とはいえ顔は良いのだ、この国王。
性格破綻してるけど。
性格も顔も良いゼノンとは大違いだ。
そんな憎まれ口をたたく私は、両手両足を拘束され、謁見の間の床に転がされている。
このまま転がって逃げようかとも考えたけれど、さすがに無謀なので諦めた。
それにしても、まさか町に偵察隊が来ていただなんて……。
「今更私を連れてきて何なんですか? 私を追放したのは陛下ですよね? いつも腕にくっついていたボンキュッボンの恋人とはお別れになられたんですか?」
「チッ……うるさい女だ。エスターニャは私の部屋だ。すべて終わるまで出るなと告げている。お前との結婚式など、見せたくはないからな」
は?
誰と誰の?
「あの、すみません。耳が遠くなったのかもしれません。誰と誰の結婚式です?」
「俺と、お前のだ」
「……」
「……」
「…………はぁああああああ!?」
私の声が広い部屋に響きわたった。
「どういうことですか!? あなた、私のこと嫌いでしょう!? だから婚約も破棄して追放までして……。そもそも私をゼノンと強制結婚させたの、あなたじゃないですか!!」
「あぁ、だが状況が変わった。お前はやはり王と結婚せねばならん存在のようだ。お前を追放した途端、国に災いが降りかかったのだ。だから──仕方ないからお前と結婚をしてやる。だが俺の正妃はエスターニャだ。お前は私たちが幸せになるための道具として、この城の地下で永遠にこの国の繁栄を願って暮らすのだ」
「なっ……」
最悪のクズだわ、この男……!!
勝手に召喚して勝手に追放して勝手に別の男と結婚させて、今度は離縁させてやっぱり自分と結婚?
しかも結婚したら地下に入れられるって……人生詰んだ……!!
「本来ならこの場で書面のみで終わらせたいが、王族の結婚は大司教立会いの下での結婚の儀式が必要だからな。大司教には知らせを送った。今夜、結婚の儀式を執り行う」
「すぐにゼノンが来てくれるわ」
あの人なら、必ず。
私を取り返しに来てくれる。
私が言うと、国王は何がおかしいのか大声で笑い出した。
「あっはっはっはっはっはっは!!!! あの何にも関心を示すことのない無感情な男が、お前みたいな可愛げの欠片もない女を? 笑わせてくれる。とんだ妄想癖だ。だが、仮に来たとして、あいつではお前を助けることなどできん」
自信満々にそう言うと、国王は懐から黄金の印璽を取り出した。
「俺にはこの封制印があるからな」
「!!」
「結婚の儀式で使わねばならんからな。この箱に入れておこう」
国王はそれを謁見の間最奥の祭壇に置いてある小さな小箱へと入れると、ニヤリと笑った。
「お前には開けられんぞ。開けられるのは、この私だけだ。そういう魔法がかかっている。あぁそうだ。離縁の書類はさっき別室で書いて印を押しておいた。これでお前は、独り身だ」
「っ……」
私がもう……ゼノンの妻じゃ……ない?
途端に降りかかる喪失感がずしんと身体を重くする。
そんな私を見て国王は楽しそうに笑うと、私の髪を掴み上げ強制的に自分の方へと顔を向かせた。
「仮にも国王の妻がそんなみすぼらしい恰好では示しがつかんからな。特別にドレスを用意した。精々今夜だけ束の間のプリンセスを演じるがいい。おいそこの!! こいつを部屋に連れて行って、侍女に支度をさせるように伝えろ!! 私は、愛しのエスターニャ成分を吸収して、すぐに支度をする」
そう騎士に指示を出すと、国王は謁見の間から出ていった。
「……きも」
何がエスターニャ成分吸収よ。
私だってゼノン成分吸収したいわ。
「千奈様、大丈夫ですか?」
「え、えぇ。大丈夫です」
国王の姿が消えた瞬間、傍に立っていた騎士が心配そうに私を床から立ち上がらせてくれた。
「申し訳ありません……何もできず……」
「あなた、国王派じゃないの?」
ずいぶん同情的に見えるけれど、敵ではないのかしら?
「皆、思いは同じです。国王の浪費と政治不信で、国は破綻し、国民は生活が成り立たない状態です。貴族の生活にも影響が出始めているとも聞きますし、今の陛下を慕う者はおそらく……。ですが皆、封制印を恐れて何もできません。あれでもし、一族郎党の処刑をする書類なんかに印を押されたら……」
持つ者以外は決定を覆すことができないという恐ろしい道具、か。
それで皆を縛り付けている、ってことね。
「何もできない我らを、お許しください」
「……大丈夫。きっと、なんとかなる。きっと……」
騎士に連れられながら、ちらりと先ほど封制印が入れられた小箱に視線を向ける。
確か、これがあるからゼノンも逆らうことができないのよね。
裏を返せば、あれがあれば……。
でもどうしたら……箱には魔法がかかっているというし……。
……そうだわ……!! あれならもしかしたら……。
一つの策を思いついた私は、騎士に支えられながら歩き出す。
あいつの思い通りにさせてたまるもんですか……!!
闘志を燃やしながら、私は謁見の間を後にした。
「お綺麗ですわ、千奈様」
「えぇとっても。陛下のお嫁様になるのがもったいないくらい」
侍女たちが私を見てにっこり微笑む。
国王のことを誰も好きじゃないというのは本当みたいで、私は侍女に支度をしてもらっている間、ずっと彼女らに謝罪の言葉と国王がいかにひどい奴かを延々聞かされた。
そして出来上がったのが、嘘のようにきれいになった私だ。
ピカピカに磨き上げられた肌。
綺麗に結われた髪。
キラキラ輝くアクセサリーに、美しい純白のドレス。
あぁ……初めてのウェディングドレスが、まさかあいつとの結婚できることになるだなんて……。
ゼノンとの結婚式だったならよかったのに……。
そんなことを考えていても仕方がない。
私は、しっかりとあの策を遂行させないと……。
一応婚約者だった時に、結婚式の作法は教わった。
まず新婦が封制印の入った箱の前で新郎を待つ。
そして新郎が登場して、大司教の書いた結婚証明の紙に二人でサインをし、国王──新郎が封制印でそれに印を押す。
これで結婚の儀となるのだ。
後は気分で口付けたりするんだろうが、幸い国王は私を嫌っているから、その心配はないだろう。
新郎を待っている間がチャンスだ。
大司教はいるだろうけれど、国民にも貴族にも使用人や騎士にも人気のない国王だ。
きっと彼も、見て見ぬふりをしてくれる、と信じよう。
「皆さんありがとうございます。今日で、あの国王を終わらせてみせます。だから、信じて待っていてください」
私はそう言うと、騎士と共に謁見の間へと再び向かった。
***
だだっ広い謁見の間には、一番奥の祭壇の向こうに、大司教のみが神妙な面持ちで立っていた。
「千奈様」
「お久しぶりです、大司教様」
私を召喚した時以来だ。彼を見たのは。
「千奈様。本当に、申し訳ありませんでした……。私が召喚してしまったばかりにこのような……」
「謝罪はもういいです。もう、どうにもならないことなんだから。それよりも、今を打開することが先決です」
冷たく突き放してしまったようだけれど、これでも優しい方だ。
命令とはいえ、私はこの人に連れ攫われたのだから。
「大司教様。今から私がすること、黙っていてください」
「え?」
「お願い」
何も話していないのだ。
お願いと言われて首も縦に振りづらいだろう。
それでも真剣に見上げれば、大司教様は意を決したように、ゆっくりと頷いた。
「千奈様、この国を、どうぞよろしくお願いします……!!」
「!! はいっ──!!」
そして私は、祭壇の上に無造作に置かれた封制印の入った箱に触れた。
お願い開いて……!!
そう願いながらその蓋を開けようと力を込める──すると、箱は一瞬だけ淡い光を放ち、開かないと言われていた箱が開いた──。
「やった……!!」
やっぱり思った通り。
夢の中の人──ゼノンのお母さんが言った中和の力。
それならば魔法も解けるんじゃあないか。そう考えたのだ。
「重い……」
そして私は、ずっしりと重たいその金の印璽を、私はすぐにドレスの胸元へと隠した。
「今のは……。……そうか……やはりあなたは特別な方だった……」
そう驚きと恍惚交じりにつぶやいた大司教に、私は言った。
「特別? 普通の会社員でしたよ? 幼い二人を養わなくちゃいけない立場の」
「!!」
「あなたが国王に言われて強制召喚したのは、普通の、家族のいる、人間だったんです。それだけは忘れないでくださいね」
「はい……本当に、申し訳ありませんでした……!!」
そう言って頭を下げた大司教に、私はもう、何も言わなかった。
そして────。
バンッ!!
荒々しくドアが開け放たれ、煌びやかに着飾った国王が姿を現した。
花嫁以上に豪華な衣装。
ふんだんに使われた宝石。
目に優しくない。
そんなキラキラ陛下は、私を見てからふん、と鼻を鳴らした。
「衣装のおかげか、幾分マシに見えるな。これならば、調印後のキスもしてやってもいいぞ?」
もう黙ってぇぇええええ!!
殴りかかりそうになるのをぐっと堪え、私はにっこりと微笑んだ。
「黙れクソ野郎」
ぁ、ぐっと堪えられなかった。口が。
「チッ、衣装が変わっても可愛げのない……。大司教!! 書類を!!」
「は、はいっ!!」
急いで結婚証明書に証明分と自分のサインを入れていく大司教。
あぁでもちょっと待って。
ゼノンが来なきゃ、いくら印璽を盗んでも、無理じゃない?
証明書に私がサインを書き終わったら最後、印璽を使うからバレてしまう。
まずい。まずいぞ。
どうしよう……。
ゼノン速く来てぇぇぇえ!!
「ほら、次はお前だ」
心の中で祈っている間にも、今度は国王がサラサラとサインを書き終えてしまった。
そんな……。
ペンを持つ手が震える。
羊皮紙にペンの先を押し付け、震える手でゆっくりと自分の名前を書き始めた、その時だった──。
ドゴォオオオオオオオオン──!!
「何だ!?」
大きな地鳴りと共に、城内が騒がしくなった。
そして──バンッ!!
「千奈!!」
重い扉をけ破って、会いたかった人が、私の瞳に映った。
部屋に突撃してきたのは、ゼノン。そして、フランさん達城に住む魔族の皆。
それを見て国王があざ笑うかのように鼻で笑った。
「ふん。化け物たちが総出で……。町側の門の封印が解けていたと報告で聞いたが、こそこそと外に出おって……」
「私の妻は返してもらう」
鋭い瞳で睨みつけると、ゼノンは私の方へとその右手を突き出した。
すると突き出された右手からシュルシュルと音を立てて黒い霧が飛び出し、私の身体にまとわりつくと私を攫い、ゼノンのもとへと届けた。
「千奈!!」
「ゼノン……!!」
ぎゅっと抱きしめられると、そのぬくもりが、その匂いが、ひどく懐かしく感じて安心感をもたらした。
少し離れていただけだというのに、不思議なものだ。
「なにもされていないか?」
「はい、大丈夫です」
「するわけないだろうこのちんちくりんなんぞに」
ちんっ!?
そりゃあのボンキュッボンな恋人に比べたら皆ちんちくりんよ!?
「うちの妻が世話になったな。連れて帰らせてもらう」
「ふん。うちの妻? お前たちの離縁手続きは終えている。もうお前たちは夫婦ではない」
「何?」
そうだ……。
私とゼノンはもう、夫婦でも何でもないんだ。
婚約者でも、恋人でも……。
それらすべてをすっ飛ばして夫婦になってしまっていたから、それが無くなったとたん、自分とゼノンを繋ぐものが何もなくなった気がして、私は思わず両手をぎゅっと握った。
「そうか……」
ゼノンは好都合だと思っただろうか?
夫婦となる必要が無くなって、どう思っただろう?
考え出すと止まらなくなって、ゼノンの顔を見ることができない。
すると──。
「なら、私は恋人からあらためて始める権利を得た、ということだな?」
「へ?」
思わず顔を上げると、にやりと微笑むゼノンの顔。
陰キャだ陰キャだと思っていたのに何でそこだけポジティブなの!?
それでも心がぽかぽかと温かいのは、ゼノンの思いが嬉しかったから。
「千奈。私と、恋人から始めさせてもらえるだろうか?」
「!! っ、はいっ!!」
たまらなくなった私がゼノンの腕に抱き着けば、もう片方の腕が伸びて私の頭を優しく撫でた。
「っ、貴様……っ!! ふんっ、だがサインは結婚証明書に書き終わっている。俺が封制印で調印すれば、千奈は俺のものだ!! 封制印のないお前には、もはや何もできん!! あっはっはっはっはっ!!」
「くっ……」
悔し気に顔をゆがめるゼノンに、私は彼の腕から身を離すと、「これのことですか?」とにっこりと笑って胸元に手を突っ込んだ。
「なっ、せ、千奈!? 何を──っ、それは……!!」
「何っ……だと……!?」
顔を真っ赤にしてそれを見ていたゼノンも国王も、取り出した金の印璽を見て目を大きく見開いた。
「なぜ印璽を貴様が!? あの箱は俺以外には開けられないはず……!!」
「私の力は中和の力。魔法の力を中和させて開けたんです。ゼノン、どうぞ。これを持つのは、あなたがふさわしい」
そう言ってゼノンに印璽を手渡すと、ゼノンはそれを大切に受け取り、泣きそうな顔で「ありがとう」と言った。
「印璽がこちらの手に渡ったならば、何も恐れるものはない。徹底的にやらせてもらおう」
ゼノンは言うと、私を助けた時のように黒い霧を出現させ、呆然と立ち尽くす国王の身体を縛り上げた。
「!? くっ、は、離せ!! 何だこれは!! この化け物めが!! 俺はこの国の王だぞ!! こんなことをして、ただで済むと……っ、騎士!! 騎士は何をしている!!」
「騎士は来ない」
「は?」
そういえばこれだけ魔族が入り込んでこれだけ騒いでいるのに、騎士の姿がない。
一体どうして……。
「見てみるがいい」
そう冷たく言うと、ゼノンは霧を操ってテラスの窓を開け、国王を連れ出した。
「!! これは……!!」
私も一緒にテラスの外を覗いて言葉を失った。
だってそこには、たくさんの国民、いや、国民だけじゃない。
使用人や騎士達、なんと宰相までもがこちらを見上げ、武器を掲げているのだから。
「国民の……反乱?」
「あぁ。国民も皆、国王の退位を求めている」
私のつぶやきにゼノンが頷き、私はごくりと喉を鳴らした。
我慢の限界、だったのだろう。
国民も、同じ場所にいた使用人や騎士、宰相も。
これが、今までさんざん好き勝手してきた結果だ。
「退位の書類と調印は私がしておこう。お前は『ため息の塔』で、恋人と一生を送れ。安心しろ。あの下品な女は先に騎士達が『ため息の塔』へ送ってくれた」
そう言うと黒い霧に拘束された国王を、フランさんが軽々と担ぎ上げた。
「フランさん!?」
「ホブゴブリンは力持ちだからな。フラン、後を頼んだ」
「かしこまりました」
そう言うとフランさんは、米俵を担ぐが如く国王を担いで、謁見の間から出ていった。
国王が何やら大声で喚いていたけれど、フランさんは立ち止まることなく、『ため息の塔』へと向かったようだった。
終わったんだ……無事に……。
「ひゃっ……」
「っと、大丈夫か?」
安心して力が抜けて崩れ落ちそうになる私を、ゼノンが支える。
「だ、大丈夫、です。ありがとうございます、ゼノン。助けに来てくれて……。皆も、ありがとうございます」
そう後ろに控える魔族たちにもお礼を言えば、皆嬉しそうに笑ってくれた。
「最終的にうまくいったのは、君のおかげだ。感謝する。さて、彼らにも、話をすべきだな」
ゼノンは私の肩を抱いたまま、テラスへと進み出た。
そして──。
「国王は強制退位とする!! 皆、これまで悪政によく耐えた!! これからの生活に不安もあるだろう。だが、苦しみは終わりだ!! これからは新しい国を、ともに作っていこう!! 私は人も、魔族も、皆を等しく守ると誓う!! 人間界は滅び、これよりこの世界は、人魔界となることを宣言する!!」
ゼノンの宣言に、人も、魔族も、歓喜の声を上げた。
誰も、反対する者はいなかった。
皆、ここの魔族は優しいということを知っているから。
そしてゼノンは私と見て、いたずらっぽく言った。
「人間界を滅ぼしてみたが、お気に召したかな?」
「~~~~~っ、うちの旦那様、最高ですっ!!」
私はまたたまらなくなって、今度はゼノンの身体に抱き着いた。
こうして人間界は滅びをむかえた。
反乱からすぐにゼノンが国王となり、人魔界は人と魔族が協力し合って活気を取り戻していった。
強制離縁されてしまった私は、ゼノンと婚約をし、一度目では与えられなかった婚約期間中だ。
もう夫婦ではないのは少し寂しいけれど、婚約というお付き合いする時間ができたのは嬉しいことだ。
とはいえ、ゼノンも忙しくてなかなか二人きりで出かけたりはできないのだけれど……。
「ゼノン? 何をしているんですか?」
珍しく広間でゆったりしているのかと思えば、ソファに座り何やら古そうな鏡を持ってクロスで磨いているゼノン。
「ん? あぁ、ちょうどいいところに来た。千奈、ここへ」
僅かに鏡から顔を上げて手招きをするゼノンに、首をかしげながらも彼の隣に座った。
「これは?」
ところどころ曇りとくすみがこびりついていてずいぶん古そうな鏡だけれど……。
「これは宝物庫にある国の宝だ」
「ほうもつ……って、そんなものなんでここに持ち出してるんですか!?」
宝物庫のものってむやみに持ち出しちゃいけないんじゃ!?
「大丈夫だ。それに、これは必要なものだったからな。ちゃんと宰相にも話してあるし、何より、母の意思だ」
「お母さんの?」
「あぁ。昨夜夢の中に出てきて、これのことを教えてくれた」
ゼノンのお母さんが、これを?
これはいったい──。
「これを見て、弟たちのことを思い浮かべてみなさい」
「弟たちのことを?」
よくわからないけれど、何かあるのだろう。
私は離れ離れになった弟達、千歳と千都のことを思った。
二人のことを考えない日なんてない。
いくらこの世界で生きていく決意を固めたとはいえ、彼らをおいて突然いなくなってしまった罪悪感や、そんな自分がここで幸せになって良いのかという迷いもある。
色々な思いを巡らせながら二人の記憶をたどっていると──。
「──姉ちゃん?」
「!?」
え…………?
古びた鏡を見て、私は愕然とした。
だってそこには、私の上の弟──千歳が映っていたのだから。
「なんで? え、ちょ、千都ー!! こっち来い!! 早く!!」
「何だよ兄ちゃん朝っぱらからそんな──」
「良いから早く!!」
バタバタとあわただしい音がして、移りこんだもう一人の少年。
下の弟の千都だ。
何で?
一体どうして……。
「姉ちゃん今どこにいるんだよ!? 突然いなくなって……何で……っ」
千歳と千都の目から止めどなく零れ落ちる雫に、私も鼻の奥がツンとなる。
「ごめっ……ごめんね、突然いなくなって……っ」
何と説明したらいいのかわからない。
説明するにはあまりにファンタジーで、どうすればいいのかわからなかった。
「私が説明しよう」
「ゼノン……」
混乱する私の手にそっと添えられた大きな手。
いつも私に安心をくれる手だ。
──それからゼノンは、二人に丁寧に説明をしてくれた。
そのうえで、彼は弟たちをまっすぐ見つめてこう問うた。
「こちらの世界からそちらに行く魔法は確立されていない。だが、大司教に君たち二人をこちらへ飛ばすことは可能だ。どうする?」──と。
そんなこと、考えたこともなかった。
また一緒に暮らすことができたなら、と考えたことはあるけれど、夢のまた夢だと思っていたから。
だけど、二人には二人の暮らしがある。
それも私はよくわかっている。
こっちにはゲームもないし、仲のいい友達もいない。
テレビもないし、携帯だって使えない。
年頃の子どもに迫るにしては大きすぎる選択だと思う。
だけど──。
「僕、姉ちゃんのところが良い!!」
そう言いだしたのは、下の千都だった。
「俺も。そっちに行く」
続いて千歳もそう言って、ニカッと笑った。
「でも……いいの? 住み慣れた世界から、こっちになんて……。友達だっているでしょう?」
選ばせておいてなんだが、彼らが無理していないだろうか。
それだけが私の中で気がかりだった。
すると二人とも、なんてことはないように笑って言った。
「そりゃ友達いるけどさ、このまま姉ちゃんがいない方が嫌だ」
「うん。もう家族がいなくなるのは嫌なんだ」
「千歳……千都……」
頭をハンマーで殴られたように感じた。
そうだ。
この子たちは幼い頃から立て続けに家族を失ってきたじゃないか。
父と母、おばあちゃん。そして私。
これ以上、家族を失うのは嫌だ。
そんな叫びに、私には聞こえた。
そして──。
***
「姉ちゃん!!」
「千歳!! 千都!!」
小さな二つの身体を優しく包み込む。
暖かい二つのぬくもりの鼓動を感じる。
あれからすぐに大司教は千歳を召喚してくれた。
二人の子どもが施設から消えたことで、あちらの世界ではきっと大騒動になっているだろうけれど、いつかきっとそれも落ち着く。
一応施設の人に容疑がかからないように、二人には自分の筆跡で手紙を残させた。
自分の意思で出ていくのだということ。
施設の皆さんへの感謝。
そして今まで仲良くしてくれた友達への感謝。
伝えたいことはきっと、全て詰め込んだはずだ。
それから一年が過ぎ、弟たちもこの人魔界に馴染んできた。
あれだけ酷かった天候災害もおさまり、各町や村、緑あふれ実りの多い場所になった。
多くの町には子供が読み書きや計算を教わる学校が出来て、弟たちもそこで学んでいる。
人魔界は、人も魔族も住みよい世界になった。
そして──。
「ゼノン、とってもカッコいいです……!!」
「千奈も、とてもきれいだ」
純白のドレスが、開け放たれたテラスの窓から入る風に揺れる。
微笑み合う私たちの目の前には、大司教と、結婚証明書。
それに金の印璽。
外には大勢の国民。
人と魔族、皆が私たちを祝福しに集まってくれた。
「これで、お二人の結婚を承認いたします。陛下、印璽を」
大司教が促すと、その赤い瞳が私をとらえた。
「後悔はないか?」
「あったらここにいませんよ」
私の可愛くない答えに頬を緩め、印璽を手にしたゼノン。
そして書類に、印璽が押された──。
「これからもよろしくたのむ。鬼嫁殿」
「こちらこそよろしくお願いします。魔王殿」
再び夫となったゼノンの唇が、私のそれに重なる。
少し照れくさそうに微笑んだゼノンのずっと後ろの方で、碧眼の女性が優しく微笑んだ。そんな気がした。
END