「あぁぁああああ!! 始まっちゃう!! なんでこんな平日の夜に送別会なんて開くのよ部長のバカァァアア!!」

 現在夜の21時55分。
 私、望月桜(もちづきさくら)は街灯のほぼ無い暗闇を走っていた。

 会社の部長がご家族の都合で引っ越しするのを機に退職することになり、今日はその送別会が行われた。
 私は一次会で抜けさせてもらって、今、全速力でアスファルトを駆けている。ヒールで。

「あと二分!!」

 間に合うか!?
 あぁもう!! こんな事なら部長のカラオケ中にこっそり退席しとけばよかった!!
 だいたいこんな中途半端な平日の夜に飲みとか翌日どうすんのよ!?
 そこら辺考えて退職してよね部長ぉぉおおお!!

 頭の中で部長への恨み言を並べながら走り続け、ついに見慣れたアパートが見えてきた。
 急いで階段を一段飛ばしで駆け上がり、ガチャガチャと乱暴にカギを開けてからドアを勢いよく開き、靴も投げ散らかしたまま奥の部屋へと進みパソコンを立ち上げる。

 早く起動してぇぇえええ!!

「あと10秒!! 9……8……7……6……5……4……3……2……1──!!」

『皆さんこんばんは、白兎(はくと)です』

「キタァァアアア!!!!」

 どうにか間に合った……!!
 私の推し、白兎さんの読み聞かせ配信に──!!

 毎週水曜日の夜22時から始まるこの読み聞かせ配信は私の週に一度の楽しみであり、ご褒美でもあり、精神的支えでもある。

『今日はフリー小説投稿サイトでとってもほっこりするお話見つけたので、そちらを読み聞かせしたいと思います。作家の華月桜(かづきさくら)先生の【二匹のうさぎ】です』

「はぁぁああああ!?」
 い、今、なんて……?

『【二匹のうさぎ】。華月桜、著。昔々、月には一匹のうさぎが住んでいました』
「うそ……やっぱり……」

 聞き間違いじゃない。これは──。
 これは、私、PN(ペンネーム)華月桜の短編童話【二匹のうさぎ】!!

 学生時代に小説の賞を取ってデビューした私は、ごく普通の一般企業に就職しながらも時々小説を出させてもらっている、言わば兼業作家というやつだ。

 もしかしたらいつか白兎さんが私のお話を見つけてくれるかもしれないと、読み聞かせ用の童話をフリー小説投稿サイトに投稿しておいてよかったぁぁああ!!
 投稿したのは先週のこと。
 まさかこんなにすぐに読んでいただけるなんて思わなかったけれど……。

 もはや我が人生に悔いはない……!!

 はっ!! いけないいけない!!
 せっかく私の作品を読み聞かせしてくれてるんだから、ありがたく拝聴せねば……!!

 パソコンの前でひたすら正座をし、画面とにらめっこしながらしっかりと余すことなく聞き逃さぬよう、全神経を耳に集中させる。

『──こうして白うさぎと黒うさぎは、大きな月の国で幸せに暮らしました。見上げればほら、二匹のうさぎの月が、私たちを見守ってくれていることでしょう。おしまい。──ふふ、とても可愛い話ですよね。一人ぼっちだった白うさぎの傍にいてあげようと月に上った黒うさぎ。皆さん、いかがでした?』

 ここからはリスナーとの感想タイム。
 リアルな感想をリスナーが打ち込める場で、作家にとっては緊張の時間でもある。

『んー、黒うさぎお人好しすぎw』
『可愛い話で白兎さんの声とぴったり合ってました』
『でもさ、白うさぎの方が月から降りてあげればよかったのにね。黒うさぎの方は家族もいたわけだし』

「……」

 この話は短い童話として書いたものだ。

 月に一人ぼっちで住み、月の魔力を地球に届ける白うさぎを、毎夜見上げる黒うさぎ。
 黒うさぎは皆から好かれる人気者で、それでも本当は静かな場所が好きな性格故に本当の自分でいられるのは月を見上げる時間だけ。
 満月の夜にのみ白うさぎは地球に住む黒うさぎと話すことができて、二匹は満月のたびに交流をしていった。
 そしてある満月の夜、白うさぎはぽつりと言った。
 “一人は寒くて、寂しいの”と。
 だけど自分はここを離れられない。
 離れたら月が寂しくて死んでしまうから。
 考えた黒うさぎは、家族に別れを告げ、満月の光の道を上り白うさぎのもとへ行って、二度と地球に戻ることはなかった、という話だ。

 一見並べられたコメントのように見えるかもしれないけれど、本当は──。

『うーん、そうか……。白兎は、ですね。……二匹とも、優しいんだなって思いました』

「え……」

 低く落ち着いた声がゆっくりと言葉をつづける。

『白うさぎのために月へ上った黒うさぎも。月のために、そして地球のために一人ぼっちで居続けた白うさぎも。だって、月が寂しくて死んで光らなくなったら、地球にいる生物は夜は闇の中、でしょう? 孤独と戦いながらも一人でいた白うさぎは、えらいと思うんです。何かを捨ててまで誰かのために何かをしてあげようとする。なかなかできることじゃないけど、そんな人間に白兎もなりたい。そう思いました』

「~~~~っ!!」
 伝わった!!
 私が言いたかったこと……!!

 白兎さんはいつもそうだ。
 否定的な意見の中でも、小さな光になることができる。
「はぁ……やっぱり素敵……。はっ!! コメント!! 私もコメント残さなきゃ!!」

 私は急いでパソコンのキーボードでコメントを打ち込む。
『私も、作者さんはそんな思いを込めたんだと、そう思います!!』
 しまった……!!
 つい力いっぱい感出ちゃったけど、大丈夫かしら……。

『チェリブロさん。ふふ。よかった。そう感じた仲間がいましたね』
「っ!!」

 きゃぁぁああああ!!
 白兎さんが!!
 白兎さんが私のHN《ハンドルネーム》で呼んで仲間って言ってくれたぁぁあああ!!

『誰かが紡ぎだす夢がまた誰かの中で光になる。この作者さんの作品は、どの作品もそんな風に感じて、白兎は好きです』

 好き!?
 好き、いただきましたぁぁぁああ!!

『さてお時間ですね。今夜も来てくれてありがとうございました。皆さん、おやすみなさーい』

 ──終わった。
 拝聴後の賢者タイム。
 今夜も無事耳が壊死しました。ありがとう……!!

***

 翌朝、私の心は晴れやかだった。
 白兎さんの配信を聞いた翌日は、いつも浄化されたかのようにすっきりとしている。
 ありがたやありがたや。

「おはよ、桜」
「おはよう律。って、どうしたの!? その目の下!!」

 同期で一番仲の良い友人でもある律が隣の席に着く。
 ふとその顔を見ると、その切れ長の目の下にはくっきりとクマが表れている。

「昨日の部ちょ……元部長の送別会のせいよ。深夜一時過ぎまで呑まされてたんだから」
「一時過ぎ!?」

 翌日も仕事だという夜になんて時間までやってたの!?
 よくよくあたりを見渡せば、誰もかれもがグロッキー状態だ。

「あー……えっと、お疲れさま?」
「あんたは良いわよねぇ。『大事な用事があるんで帰ります!! 部長、今までありがとうございました!!』だけ言うだけ言って、帰っていったんだもんね。あんたの剣幕がすごすぎて誰も止められなかったわよ」
「は、はは……ごめんって」

 仕方なかろう。
 部長より推しだ。

「お!! 昨日ばっくれた桜ちゃんだ!!」
「暮島先輩」
 私の右隣のデスクについたのは、赤らんだ髪色が特徴の暮島陽介(くれしまようすけ)先輩。
 何かと元気に絡んでくる陽キャで、良く言えば親しみやすい。悪く言えば馴れ馴れしい先輩だ。

「先輩はグロッキーじゃないんですね」
 昨日送別会にいたはずなのに、暮島先輩だけは爽やかだ。

「あぁ、俺酔わんからな。軟弱者どもとは違うって」
 さすが元ホスト……。
 酒耐性ができているらしい。

「それより、今日から新しい部長だろ? お前らしゃきっとしとけよー」
 先輩が言ったその時──。

「おはよう」

 部屋のドアが開いてすぐ、低く落ち着いた声が、耳に届いた。
「え……この声──」
 ──白兎さん!?