勇は玄関の鏡を見た。一見すると前と何ら変わりないように見えたが、何かが違っていることにしばらくすると気がつくのであった。あのなんとも言えない不思議な存在感が全くなくなってしまったのである。しかし、しばらくその鏡を見続けていると、今までの感じたことのない感動が内側から起こってくるのを感じないではいられなかった。一体この内側から沸き上がってくる感情はなんだろうか。デジャブというかこの感情いつかどこかで感じた感情に似ている。勇は懸命に過去をたどってこの感情の時間・場所を探そうと苦闘したが、なかなか探し出せない。暗闇か靄の中を彷徨っている感じだ。しかししばらくしてあるイメージをつかむことが出来た。函館山から見た夜景・東海道新幹線から見た富士山・朝焼け・夕焼け・大空にかかった2つの虹等、これらの光景を見て美しいと感動した時のあの美しさに感じるなんとも言えない感動かもしれない。
 勇は、鏡に両手の手のひらをつけて、大きく円を描いた。何ら何も変化はなかった。鏡は普通の鏡と同じように勇と背景をそのまま映していただけであった。勇は鏡を壁から外して裏面を向けて壁に立てかけた。
今まで夢を見ていたのだろうか。この鏡に関する出来事は現実じゃなかったんだろうか。鏡の裏面にあったあのヘブライ語の文字はない。美しい木の木目だけが勇の目の中に入ってくるだけであった。
 勇は玄関のドアを開けて外に出た。もうすっかり夜も深くなっていた。あたり一面街灯が消されて真っ暗になっていた。たしか今夜は町主催の天体観測会のため街は街灯を一斉に消すことになっていた。圧倒するような暗さが漂っていた。しかししばらくするうちに勇は暗さに慣れてきた。この暗闇の中に徐々に明かりを感じてきた。その明かりは電気から作り出される人工的な明かりではなかった。上から明かりが降り注いでくるのを感じた。勇は空を見上げた。満点の星空が輝いていた。勇は溢れんばかりの夜空の輝きに目に涙が溢れてくるのを感じた。なんと美しい星空なのだろう。玄関であの鏡を見た時に感じた感動はこの感動に似ていたかもしれない、と勇は思った。

                    完