僕の家庭環境は、どちらかと言えば良いほうだったのかもしれない。
でも、お母さんがすぐ怒るから僕は何で怒っているのか、なぜ怒り口調が怒られていない僕のところにまで来るのか。
それが、いつまで経ってもわからなかった。
お父さんとお母さんとの口喧嘩は、ある時からもう慣れた。
お父さんとお母さんとお兄ちゃんとの口喧嘩も慣れた。
慣れって怖いなと思った。
でも、僕は僕自身が怒られると自分を殺しまくる。
「キモい、死ねば良いんじゃ?、頭悪いし、この醜い顔」
それらを、言いまくり、自分の心をズタズタにしまくった。
そして、僕は自傷行為にも走った。
自分の頬を殴ったり、太ももを殴ったりした。
一番やばいと感じたのは、ベッドの上で頭を思いっきりぶつけさせたこと。
それを、やったあと気持ち悪さに襲われた。視界が少しの間、おかしくなった。
これは、脳震盪類なのか?と思った。
多少なりとも、小学生から医学を勉強していた僕。
でも、脳震盪に関する記述の本は持っていなくGoogleで調べると一過性脳震盪と出た。
続けて、やらなくて良かったと胸を撫で下ろした。
一過性脳震盪は、どうなるかは分からないけれど、脳震盪を起こしてまた2週間以内に脳震盪を起こすとセカンドインパクト症候群を起こすと知っていたからだ。
セカンドインパクト症候群は、死亡率が高い。生存したとしても、後遺症が残ると言われているそうだ。
リスカットだけは、しなかった。
僕自身、カッターなんて持っていなかったし、命を失うことだけは出来なかった。
その想いの陰には、1人親友がいたからだと思う。
その子は、誰よりも優しくてでもあまり人とは関わらないタイプだった。
僕と、似ていた。でも、その子自身、お母さんと妹とあまり上手くいかない子だった。
僕は、ある時からその子を幸せにさせたい。その子を楽しませたい。
そんな感情を抱くようになった。
だから、僕は死ねなかった。





お母さんは、1回自殺しようとした。
その光景は、今でも鮮明に覚えている。

お父さんの実家とあまり上手くいかなかった。
キウイとか、アレルギーがあった。でも、それが出される。
事前に、伝えているらしい。
そして、僕がお腹にいた時チーズケーキを持ってきたなどがあったと聞いた事がある。
ちなみに、お父さんとその実家にいる祖父母、兄とは中々扱いづらい人間だと僕は思った。


そして、僕は乳卵アレルギーを発症した。

それに、加え僕達がお父さんの実家に行くと来てすぐなのに休憩も、欲しいのにお父さんが話をしろと言う。
ご飯も僕はあまり好きじゃない。3年生ぐらいの時に、海老カニを食べて全身蕁麻疹が出た。
謎だった。そして、出ている間はお母さんには連絡せず、落ち着いた頃に連絡したそうだ。少し、僕は腹が立った。
しかし、お母さんの実家は僕達が好きなものをたくさん出してくれる。
だから、行くのが待ち遠しかった。

信用出来る。
そう思えるように、なった。