楽器と音響設備が片付けられたステージの上に裕一は佇んでいた。観客の一人もいないホールは、アンコールで『君への思い』を演奏したとき、裕一と正と太郎と亜香里を覆っていた沈黙のベールと、別の沈黙のベールに覆われていた。それは彼らのライブの最初から最後まで覆っていたもう一つの薄いベールとも違っていた。その2つのベールは喧騒を飲み込んで孤独とは無縁のベールであった。しかし今このホールを覆っているベールは、寂寞感と孤独感とを内包したベールであった。裕一の心の中では、今日のライブ演奏での音楽は全く響いてはいなかった。あの日ヴァイオリンソロの演奏会で聴いたバッハの無伴奏ヴァイオリン『パルティータ』の旋律が響いていた。同時に修との中学時代の映像が浮かんできた。涙が止めどもなく溢れてきた。彼の泣き声がホール全体に響いた。
 小ホールの入り口付近で足音が聞こえた。入り口の扉が開く音がした。ホールの係の人の顔が現れた。
「もう閉めてもよろしいでしょうか?」
「ええ、最終確認しました。ありがとうございました」

 裕一はホールの通路を歩きながら、まだ涙が乾ききっていない瞼をハンカチで拭った。ホール出入り口近くまで来ると、ガラス扉を通して夕日の赤い光が差し込んでいた。扉を開けて足を踏み出すと、太陽の赤い光が裕一の全身を照らした。突然太陽の赤い光を黒い人影が遮った。太陽の眩しい赤い光で薄目をしていた裕一は、体の角度を変えた。黒い人影は一瞬の内に消えて、桃色のドレスが夕焼けの赤い光を吸い込むようにして輝いていた。瑞穂の笑顔が夕焼けの赤い光を受けて真っ赤に輝いていた。瑞穂は両手で紅いバラの花束を抱えていた。
               完