本当は私にはあと1人、幼馴染がいた。

 シウの弟のパク・ソヌ、私の初恋の人だ。

 ソヌは私と同い年で、好青年な見た目のシウとはあまり似ておらず少しヤンチャな感じのルックスだ。高校生の時に188cmにまで成長していたシウと違ってソヌの身長は高1の時点では170cmの私とあまり変わらなかった。
 もう何年も見てないから、もしかしたらシウと同じくらいに身長も伸びているかもしれない。

 彼が家を出ていってから2年半が経つ。
 どこで過ごしているのか、何をしているのか、
全く知らないし連絡先さえも知らない。

 知る権利も、会う権利も私には無い。
 こうなったのは全部私のせいだ。
 シウは優しいから誰のせいでもないって言ってくれるけど、シウのお母さんがソヌが消えてから心を病んでるところを見て私も精神的に追い込まれた。
 私自身も好きな人が知らぬ間に高校を自主退学して家出して私から遠くに離れていったのはその当時も、いや、今でも私にとって人生で一番辛いこと。


「シウオッパ、ユリのこと好きだったじゃん」


「それは妹としてね」


「でもわざわざユリの誕生日まで待って留学したんじゃん。好き以外ないでしょ!」


 シウの2年間の留学が決まって、この先2年は会えないと知った去年の7月。
 しかもその1ヶ月後の私の誕生日の次の日には出発で、急すぎない?って内心彼に対して怒っていた。

 初恋の人の代役だったはずが、いつしか一番そばにいてくれないといけない人になっていた。
 でも、いつかは離れなきゃって思ってたし
近いところにいる限り離れられなさそうだったからシウが勝手に遠くに行く決断をしてくれていて助かったとも思った。

 ニューヨークで生まれ育った彼らが韓国に来て慣れない土地で暮らし始めた頃に、私のママが先生として働いていた韓国語学校に兄弟でやって来た。
 初めて見た時からソヌのことを好きだった。
 いわゆる一目惚れ。
 まだ8歳の私にとって初めての経験だった。もう10年も経つのに初めて会った日のこと覚えてる。
その日は偶然私が家の鍵を忘れて小学校からそのまま母親の仕事場に行ったため、韓国に来たばかりの兄弟と出会うことになった。
 ラッキーなことに彼らの家と私の家がご近所で、
彼らのお母さんと私のママが意気投合したから余計に仲良くなるきっかけができた。

 シウは年上だが、韓国に来たばかりで韓国語もよくわかっておらず私に「シウって呼んで」と言った。本来なら必要な“オッパ“を付け忘れたのだ。この国だと年上を呼び捨てするのってすごく無礼なこと。
 ママから「ソヌくんは同い年だけどシウくんあなたの2つ上よ」と言われるまで年上なことも知らなかった。しかし彼はそのままでいいと言った。それからもずっと呼び捨てだ。
 彼らはアメリカ育ちだからか普通の兄弟と違って同い年の友達みたいなフランクな関係で、私も仲間に入れてくれて親しくなっていった。
 私は小さい頃から人見知りだし引っ込み思案で人付き合いが得意な方ではない。人と長時間一緒にいるのも結構苦手で練習生時代も宿舎に住む子たちが大半な中、私は実家に住み続けた。
 彼らは何も言わずとも私の特性を理解してくれていた。
 自分の家に帰るようにして彼らの家に行って話したいときに数分だけ一緒にいて満足したら帰る、みたいなこともよくしていたしそれが許されていた。
 私も2人にはわがまま言えて居心地が良くて、正直親よりもよっぽど私のことをわかってる。
 中学生の頃、シウとソヌほど親しくしてくれる友達は全くできなかった。
 友達ができないというより練習生だったせいか妙に浮いていた。そんな私に対してソヌたちは友達作れなんてこと言わず、むしろ「大親友がここにいるからいいじゃん」って言ってくれた。
 3人であんなにも良い関係を築けていたのに、ぶち壊したのは私だ。

 高校入学してひと月ほどでデビュー曲の活動期でしばらく登校できなかった。
 ようやく毎日高校に行けるようになって少し経った頃、ジウォンが気兼ねなく接してくれた。
 最初の座席でジウォンの隣になったチョルスとも次第に仲良くなり徐々に、私が学校にいるときは3人で一緒にいるようになった。
 私もチョルスも勉強する時間があまりなかったから、私はシウを2人に紹介してシウに家庭教師になってもらっていた。
 そういうわけで4人で仲良くしていたんだ。
 前の家は4人での思い出がたくさんある。

 本当だったらソヌもこのメンバーの中にいたはず。

 4人で仲良くするようになったのもシウと別れた後のことだしジウォンとチョルスはソヌの存在自体全く知らない。