私は大丈夫だから。
そう自分に言い聞かせて。
中学に入学したとき__
私は親に捨てられた。
「明寿咲‼︎ 」
お母さんの怒鳴り声が聞こえてきて、私は震え上がった。
リビングの椅子に座らされ、目の前にはお母さんとお父さん。
何を言われるのかと、思わず身構えたとき。
「あなたはもう、うちの子じゃなくなる」
大好きだったお母さんの声は、吐き捨てるように、だけどハッキリと、聞こえた。
「ど、どう、して…」
混乱で、指1本も動かせない。
愛おしかった。あんなに、この家族は愛であふれていたというのに。
…全部、全部…。偽りだったの…?
悲しくて、私は視界がにじんだ。
「お母さんとお父さん、離婚するの」
「なん、で…」
「お前はいつもそればっかりだな!なんでとか、どうしてとか」
お父さんの瞳は、氷のように冷たかった。
怒っているときの、瞳だった。
「もちろん、お母さんとお父さんは、嫌いあって離婚するんじゃないの。ただ…我が家が3人で生きていくとなると、大変なの。だから、明寿咲が中学生になって、心と体が大人になったとき、離婚しようって決めたの。…あなたを、捨てようって決めたの」
「そ、それは、いつから…?」
「そうだな、明寿咲が幼稚園に入って…?小学校に入学した頃だったかな」
そんな…もう、6年も前じゃん。
今日、中学の入学式だったよね?
「だからそれまで…たくさん…愛情たっぷりに育ててあげようって思ったの」
今までもらった愛は、私を捨てるため…。
四葉のクローバーをみつけて、お母さんにあげたら喜んでくれたことも。
お父さんが昼寝してるときに、顔に落書きして、バレたら笑ってくれたことも…。
ウソ、だったんだ。偽りだったんだ。
私は、偽りの愛情の中、生きてきたんだね。
「もう明寿咲は中学生になっただろう?このことも受け止めてくれると思ってな」
「まだ私…全然子供だよ。心だって、大人じゃない…」
現実を受け止めたくなくて、ただ悲しくて。
「私、どうなるの?」
「引き取り手を探してもらうか、施設にはいるか」
ヒキトリテ?シセツ?
全然馴染みのなかった言葉が、今、ゆっくりと現実になっていく。
イヤだなぁって、すごく思った。
中学校生活は、最悪なスタートになってしまった…。
時は少しさかのぼり。
「お母さん、お父さん!」
私は今日から中学生。
友達の千紗(ちさ)と写真を撮ってもらうために、親を呼び、『入学式』の看板の前に立った。
「あー、楽しみだなぁ」
「ね!今日から中学生だもんね!」
私たちがはしゃぐと、イケメン男子4人が近くを通った。
「ウワサの4兄弟だ‼︎ こんな近くで見られるなんて…ラッキー‼︎」
すると千紗がぐわっと目を見開く。
「そんな有名なの?芸能人か何か?」
「えーっ⁉︎ 明寿咲、あの4兄弟、知らないの⁉︎ 今年で長男が中3、次男と三男が双子で中2、私たちと同級生の四男が実はね…読モをやってるんだよ‼︎ クールな感じがいいって世間から大好評なんだからっ」
「へー」
私がそう言うと、千紗は
「反応うっす‼︎」
とすぐにツッコミをいれた。
「ま、明寿咲は興味ないもんね。気になる人ができたら、いつでも教えてよ〜?」
千紗は本当にいい友達だなぁ。
「うん」
そのときは、何も興味なんてなかった。
「どっちがいいの?」
その言葉で、現実に引き戻された。
「嫌だ」
その言葉が言えたら、どんなによかったんだろう。
私は、弱虫だから。
嫌だって言った瞬間に、怒られる。
「私は…っ」
涙がこぼれそうになって、必死にこらえる。
だって、ここで決めてしまったら、正式にこの家族ではなくなる。
実の親から、離れることになる。
「どっち?」
「どっちがいいんだ?」
「ひ、引き取り手を…探す」
震える声で、なんとかそう言った。
それまで、ここの家庭にいられるだろうから。
あ、でも…。愛情は、もうもらえないか。
私は勢いよく席を立ち、自分の部屋のベッドに顔をうずめて、泣いた。大泣きした。
「嫌だ。嫌なのに…」
何も言えない。
養子になったら、また愛情をもらえるのかな。
でも、怖い人だったらどうしよう。
偽り、って怖いな。ウソって、嫌いだよ。
このベッドも、机も、空間も。
全部、無くなる。『無』になるんだね…。
なんだか笑えてくる。
無になってしまうなら、私の存在も消してくれればいいのにな。
こんな家族に生まれるんじゃなかった。
いっそ、この命を投げ出してしまおうか。
__死にたい。
「明寿咲ぁ〜?引き取り手が見つかったよ〜♪」
お母さんが上機嫌に私の部屋に入ってきたのは、それから3日後のこと。
本当に捨てられるんだ。
そう思うと、現実を受け入れずにこの言葉を待っていたのだと実感する。
だって、この3日間__どう過ごしていたのか、思い出せない。記憶にないから。
「そうなんだ」
私はお母さんの目を見ずに言うけれど、そんなことなんて気にせず、
「うん〜♪」
とニコニコ笑顔で言う。
けれど、次の瞬間、表情が一変した。
「あと2日間で、ここを出て行きなさい。荷物は?まとめたの?出て行くのは、今でもいいんだよ」
「まとめた。から、あと1日だけここにいさせて。これが、娘からの最後のお願いだから」
お母さんはムッとした顔になった__けれど、すぐにふにゃっとした笑顔に戻る。
「まぁ、最後のお願いだし〜?いいでしょう‼︎ 夜ご飯は何食べたい?」
とりつくろった笑顔。
でも、あのときの笑顔に似ている__
『明寿咲、今日は何食べたい?お母さん、何でも作っちゃうよ!』
『えっ、ホント⁉︎ ありがとうっ、お母さん大好き‼︎ 明寿咲はね〜、カップケーキ食べたい‼︎』
『ええ〜?カップケーキ〜?それ、お菓子じゃ〜ん。まぁいいか、作ってあげる!それ以外は?』
あのあと、私は何を答えたっけ。
「…カップケーキ」
気がついたら、ギュッと拳を握りしめて、うつむきながら言っていた。
「わかった〜」
お母さんは偽の笑顔で告げた。
そんな様子を、何事もなかったようにお父さんが私がお小遣いを貯めて買ったマグカップにコーヒーをいれて、微笑みながら見つめていた。
…ううん、何事もなかったんじゃない。だって、これから捨てられるんだよ?笑えるね。
私は、ここ数日間で__狂ってしまったのかもしれない。
あれから、カップケーキを食べた後。
私の好きだったカレーライスを食べて、就寝…
しようと思ったけど、全っ然寝れない!
「はぁ…」
寝るために消しておいた電気も、全てつけて、アルバムを取り出す。
私が生まれた頃の写真__幼稚園に入って、卒園。小学校に入学して…、卒業式でたくさん泣いたなぁ。
ここでこの家族との写真は途切れちゃうんだな。
アルバムはこの家に置いておこうと思ったけど…やっぱり持って行こうかな。
これまでの人生、というか家族の愛は偽りだったけど、私にとって幸せな時間だったはずだから。
でもやっぱり__やり直せるなら、やり直したい。
他の家庭に生まれて…、たくさん本物の愛をもらって。友達と遊んで。恋もして。成長して。家庭をもって。子供と夫と、幸せに暮らして__幸福な最期をむかえたら、どんなによかったんだろう。
そんな理想な人生は、中学生になった時に、崩れた。
「…明日は日曜日かぁ……」
ポツリとつぶやいた一言が、私しかいない部屋に吸い込まれていく。
「苦しい。悲しい。絶望。死にたい」
その言葉は、私のためにあるんじゃないかと思う。
このことを、誰かに言えたらなぁ…。
きっと、ここ数日間、魂が抜けたように過ごしていた。
きっと、千紗にも伝えていないと思う。
けどなんか、なんて表すんだろう…?
千紗にそのことを伝えたことでかえって気を遣われたり、千紗が気を遣ってしまったことであの元気がなくなるのも、悪い気がするんだよね…。
頼れる場所も、頼れる人もいない。
これって…
あー、私、やっぱり…
__死にたいんだ。
気がついたら、私は寝ていた。
鏡を見ると、涙を流した形跡が見られる。
昨日、あの後、寝たんだっけ…?
「明寿咲‼︎ 今日、出て行くって言ったよね⁉︎」
「お母さん…そんな焦らなくていいさ、明寿咲は今日中に出て行くんだから」
「そうだけど…」
お父さんになだめられ、お母さんはグッと拳を握りしめた後、
「お母さんが笑顔でいられる内にでて行った方がいいよ…っ!」
そう告げられた。
私は慌ててキャリーバッグ×2と重くて大きいバッグを背負い、ポーチを首からさげ、帽子をかぶる。
「さよなら、お母さん、お父さん」
実の親に見せる、せいいっぱいの、最後の笑顔だった。
「じゃあな、明寿咲」
「明寿咲…さようなら」
お父さんは苦しまぎれのような一言で。
お母さんは、なんとか『さようなら』を言えたみたいだった。
2人の姿が見えなくなるくらいまで歩き、私は足をとめた。
そして、振り返る。
「さようなら、お母さん、お父さん…永遠に。もうあなたたちと2度と会うことはないでしょう…だけど幸せだった、ありがとう」
親の前で言うことができなかったことを、私はゆっくりと告げた。
そして、教えてもらった道のりに進んでいくと、石橋が見えた。
「ここで私が落ちても__」
そう言って、下を見下ろす。
力強く流れていく水。迫力のある川。
まるで、芯がまっすぐしていて、自分の信じた道を歩く。
私にはないことばかりだ。
って、何川と自分を比べてるんだ。
人間じゃなくても、私に勝てるなんて__私はすごくないけど、自分ってどんなに無気力なのか、よく思い知らされて…、見せつけられてしまった気がした。
「ここで私が死んでも__」
また壊れた笑みが浮かんでくる。
「誰も悲しまないだろうな」
お母さん、お父さんの顔が頭の中に蘇る。
あ、唯一悲しんでくれるかもしれない人、千紗は…どうかな。
でも別に千紗だって元気で明るいし、ツッコミ上手だし。
私といなくたって、すぐに友達ができるだろうな。
「はぁ…死にたい」
新しい家に行く元気がないよ。
だけど、心配かけるわけにはいかないし…。
でも…。
揺れる心。