彼の背中は何の答えも返さない。愛良がつぶやいた声は、届いていないようだった。
失明していたと幸太が語ったのは、嘘をついているとは思えなかった。それならば、美和が言うことはすべて妄想なのだろうか?フローレンシアの妻とされる美紀という女性は、美和に酷似している。他人の顔とは思えない、その目つきはそっくりだ。
所長室に入ってきた美和は「幸太さん」と呼んだ。まるで本物の恋人を見るかのような目で、純愛を楽しむ少女のような態度だが、外見は中年女性で、服装が釣り合っていない。
翌日には、またあの嫌がらせが…。
愛良は学生時代に「デブ」と呼ばれていじめられた経験があるが、それほど酷いことはされたことがない。いじめた者たちは、愛良によって全て仕返しを受けてきた。
しかし、愛良はふと疑問に思った。
これまで幸太が自分を突き落としたと信じていたが、それはすべて他人の情報に基づいていた。実際に幸太に確認したわけではない。
本当のことを教えてほしい…
揺れる心をどう落ち着かせればいいのか分からないまま、愛良は幸太の後を追って歩いていた。
それから。
所長室には見守りカメラが設置され退社後は施錠するようになった。
破壊されたパソコンはすぐに新しいパソコンを購入され、デスクも椅子も全て新しく使いやすいものを購入された。
パソコンに保存されているデーターは、愛良が別に保存していた事から問題はなかった。
美和は相変わらず傲慢な態度で総務で仕事をしていた。
みんなが1時間でできる仕事を半日かけてやっと終わらせ定時できっかり帰る。仕事は全く進めていない状態で、隣の席の社員に押し付けて帰るだけだった。
まるでモンスターのような美和は全く他の人の言う事を聞き入れない。
服装を注意した部長も何を言っても聞かない美和に呆れるばかりだった。
人事は早急に新しい事務員をと派遣会社に依頼をした。
「金澤さんちょっと」
人事部長が美和を呼び出した。
「なんですか? 」
足組みをしてふてぶてしい態度で座っている美和に対して、人事部長は呆れた目をしていた。
「金澤さん。申し訳ないのですが、派遣から事務として雇う事になったので。明日から出勤しなくていいです」
「どうゆうこと? 私は幸太さんに雇われているのよ」
「ここの事務所の所長は樫木弁護士です。でも、人事の権利は私にあります」
「それで? 」
「私が見ていても、金澤さんは我が事務所に相応しくありません。服装も勤務態度も全く見合いません」
「なによそれ。もしかして、私の美貌に嫉妬しているの? 」
「そうではありません。先ずPTOを学んで下さい。そして、他の人がやっている仕事の量に比べて、金澤さんは全く追いついていません。これでは他の社員に負担がかかるだけです」
「ふ~ん。そう…わかったわ…」
立ち上がった美和はそのまま去って行った。
廊下を歩いてきた美和は立ち止まってギロっと人事部を見た。
「私を追い出せると思っているの? 」
そう呟いてニヤッとした美和。
19時を回り。
残業を言えて人事部長が帰りの道を歩いている。
駅前の人通りの多い道を歩いている人事部長。
すると…
「うっ…」
苦痛なうめき声を漏らした人事部長がそのままその場に崩れ倒れた。
「きゃーっ! 」
通り行く人が悲鳴を上げた。
倒れた人事部長の背中にはナイフが刺さっていた。
そして背後には真っ黒なフードをかぶった大柄な男のような人物が立っていた。
悲鳴を聞いて誰かが警察を呼び救急車を呼んだ。
フードの者はその場に佇みフラフラと歩き出した。
人事部長が倒れた場所には一面の血の海が広がり始めた。
その光景を歩道橋の上から見ていた美和がいる。
「…いい気味ね。…私を追い出そうとするから、消えてもらったわ」
フードの者がフラフラと歩いてきて美和の傍へやって来た。
「ご苦労様。はい、これ」
分厚い封筒を差し出した美和。その封筒を受け取りフードの者は去って行った。
「…世の中にはね、人を殺してみたい人間は沢山いるのよ。…私のようにね…」
満足そうに笑って美和はそのまま歩いて行った。