だがそこまでの生活さえ、ふたりの兄が魔導具店の経営を任されるようになるまではまだましだった。穏やかに眠る時間くらいはあったのだから。

 今から五年ほど前、子爵家となったファークラーテン家は、魔導具の研究に対する国家の支援もあり、少しずつ生活に余裕が表れた。そこで次のステップとして父は私財を投じ、ふたりの息子にそれぞれひとつずつ、当時はまだ普及したてだった魔導具の店舗を経営させることにした。

 父の伝手で良い教師から最先端の教育を受けていたふたりの店は大きく成功した。しかし、その陰で心身を擦り減らしていたのは、実は私だった。

 彼らは経営の任された魔導具店に毎日私を連れてゆき、工場で朝から晩まで休む間も与えず酷使した。すべての雑用から、神経の使う重要な加工までを私に押し付け、本人たちは王国の貴族と繋がりを築くため、魔導具局に頻繁に出入りしていたらしい。将来の出世競争で自分たちが有利になるように――。

 一方私といえば、店が閉まっても仕事を家に持ち帰らせられ、酷い時は明け方まで自室に籠って工具を回していた。指定された期限に間に合わなかったり少しでも気に入らないことがあれば、罵りや暴力を受け、食事を取り上げられると分かっていたから嫌とも言えない。時には作業中に失神したこともある。片耳は酷い生活環境に置かれていたせいか、今ではあまりよく聞こえなくなった。