「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
明らかに大丈夫じゃなさそうな時も、はにかんだ笑顔でそう言うんだ。
いつからか、君の本音が知りたくなった――。
✩.*
遥斗と出会ったのは去年、高校一年生になったばかりの四月だった。今過ごしているこの男子寮で、遥斗と同じ部屋になった。はっきりと出会った時の光景は覚えている。
寮での生活初日。部屋に着くと、まだ遥斗はいなかった。とりあえず荷物を適当に置き、窓を開けて換気する。この辺の地域はまだ桜は咲いてなく、雪が完全に解けそうな暖かい空気で春を感じていた。窓からふわり春の空気が入ってくる。
部屋の全体を確認する。そんなに広くはない。白い壁、薄茶色の木目調の床。白いドアと大きな窓の真ん中で繋いだ線を中心に、シンメトリーに置かれている茶色のベットや机、そして棚。
初めての寮生活。どんなやつと同じ部屋になるんだろうと、窓の前であぐらをかいて座り考えていると、遥斗がのそのそと部屋に入ってきた。遥斗はふわっとした空気を纏っていて、まるでもうひとつの春の空気が入ってきたようだった。
ふわふわした小動物みたいで可愛いな――。
それが遥斗の第一印象だった。デカくて不良なタイプの自分とは正反対。遥斗は「白川遥斗です。よろしくお願いします」と、はにかんだ笑顔で言った。
「うん、俺は菅田莉久。よろしく」
これが初めてしたふたりの会話だ。
俺は多分、この時かなり無愛想だったと思う。
これから一緒に過ごすといっても、特に気を遣う必要なんてないと思ったから。
部屋はふたりでいる時でも静かだった。遥斗はいつも俺に背を向けて机に向かい勉強をしているか、本を読んでいた。更にクラスも離れていて、遥斗は特進クラス、俺は普通クラス。同じ学年だけど寮以外では会うことはなく、特に共通点もなかったから本当に会話はなかった。
***
一緒の部屋で暮らすようになってから少し経った時、たしか六月頃だったと思う。
「菅田くん、低いテーブル、窓のところに置いていいですか?」と訊いてきた。
「別にいいけど」って俺が答えると、遥斗は自身のベットの下に置いてあった平べったいダンボールからテーブルを出し、組み立て始めた。そして窓の前に置いた。
「ありがとう、いつ聞こうか迷ってて……」と遥斗は相変わらずのはにかみ笑顔になる。
入居してすぐ、俺のいない間に遥斗の家族が持ってきて、ベットの下にそのテーブルを運んでおいたらしく。見えていたけれど、ダンボールの中にそれがあったから、何か荷物があるなぐらいにしか思っていなかった。
それまでは部屋の中に最初から置いてある、高さのある机で椅子に座り勉強をしていた遥斗。低いテーブルの方が本当は勉強しやすいらしい。
――それくらいのこと、もっと早く聞いてくれれば良かったのに。
遥斗は同じ部屋になって、ほんの少し経った辺りから、週に何回か寝る前にカップラーメンを食べていた。そのラーメンも白いテーブルで食べるようになった。
夜食のラーメンを食べる遥斗を初めて見た時も、はっきりと記憶の中にある。
何故か照れくさそうな雰囲気で「この時間になると小腹が空いちゃって、それをなんとなく母に伝えたら、沢山ラーメンとか届けてくれて……」と言い、こっちを何回もチラ見して気にしながら食べていた。他にもお菓子とかも届けてくれるらしく、よく食べていた。
幸せそうに食べる遥斗の姿を、ベットで横になりながら、ちらりと見た。
小さい身体なのに、意外によく食べるよな――。
遥斗が何かを食べている姿を、毎回一瞬だけ見ていた俺の視線は、いつもすぐにスマホに移った。
そんな日々が日常になりつつあったが、変化は起こる。
***
寒くなってきた季節。
その日は急激に冷えた日だった。
外から部屋に戻ると遥斗は、塩味のカップラーメンをいつものように食べていた。コートを脱ぎながらラーメンを眺める。食欲をそそる香りと湯気は、食べると身体が温まるんだろうなと想像をさせてくる。
「夜食のラーメン、いいな……」と、自然と俺の口から言葉がこぼれた。
そう呟いた次の日の夜だった。友達のところから戻ってくると、なんと、白いテーブルの上に味噌味と醤油味、ふたつのカップラーメンを並べてくれていた。
「どっちが、いいかな? あ、でもね、いらなかたったら無理しなくてもいいから」
上目遣いで瞬きが多い遥斗。
俺と話す時の緊張感が、いつも以上に伝わってくる。
「どっちでもいいのか?」
「うん」
「じゃあ、味噌で」
「ありがとう! じゃあ、お湯入れてくるね!」
微笑みながら遥斗はカップラーメンをふたつ持って、共用キッチンに向かった。
お礼を言わないといけないのは自分なのに。何故かお礼の言葉を俺に言ってきた遥斗。戻ってくると遥斗はカップラーメンを白いテーブルに置いてから、首を傾げる。
「どうした?」
「菅田くん、どっちを選んだっけ?」
「味噌だけど」
「あ、そっか! じゃあ、どうぞ」
遥斗は左に寄り、俺が座れる空間をあけた。そして空間の前に味噌味のカップラーメンを置いた。
実は遥斗の白いテーブルは初めて使う。
「ラーメン、美味しいな」
「美味しいよね」
確かに寝る前は、俺も少しだけお腹がすいている。その時に食べるラーメンは美味しかった。
「なんか、ここに座布団とかあったらいいかもな」
「……だよね! 実は僕もそう思ってたんだ。床にずっと座ってるとお尻が痛くて……でも全然大丈夫だけどね」
「なんか一緒に買いに行くか?」
「行く、行きたい……」
「じゃあ、今週の日曜日とかどう?」
「うん、いいね」
買いに行く約束をするとお互い無言になって、ラーメンをひたすらすすった。満足そうな表情の遥斗。この日に遥斗と俺の心の距離は、少しだけ近づけたのかな?と思う。
ラーメンを準備してくれて、気遣ってくれて。
遥斗は、俺にない優しさを持っている――。
眠る時、オレンジ色の小さい光に照らされた遥斗の寝顔を、可愛いなと思いながら、自分もベットで横になりじっと見つめていた。そして目を閉じると、さっき隣に座り、美味しそうにラーメンを食べていた時の遥斗の表情が、頭の中で繰り返された。
***
週末、座布団を一緒に買いに行く約束をした日。
遥斗は朝からそわそわしていて明らかに緊張しているようだった。その緊張が伝染してなのか、俺もそわそわした気持ちになる。たかが遥斗と一緒に隣町のショッピングモールに行くだけなのに。普段感じることのない、そわそわ感。
準備を終えると寮の前にあるバス停からバスに乗り、店に向かった。ひとりがけ用の椅子。前には遥斗、後ろに俺が並んだ。寮の中以外で遥斗とふたりきりでいるのが、不思議な気分だった。
十五分ぐらい経つと、店に着く。
「俺、こういうところに来るの、久しぶりかも」
「うん、僕も」
遥斗は大人しいのはいつもと変わらないけれど、声がいつもよりも弾んでいる。楽しいのだろうか?
広い雑貨売り場に着くと、一緒に見て回った。ずっと俺の様子を伺って付いて来るから「それぞれ自由に売り場見るか?」と声を掛けると遥斗は頷く。ひとりでさまよっていると、ふたり並んで座れる、ふわふわで長めの座布団を見つけた。素材を確認するため触ってみる。
――でも、結局普段は遥斗がひとりで座る感じだから、小さいのでもいいのかな?
「あ、これ可愛い!」
座布団を眺めながら考えていると、遥斗が俺の隣に戻ってきて、俺が見ていた座布団を指さした。
「これにするか?」
「うん。これだと一緒に座れるしね!」
俺とふたりで座るの想像してくれてたんだ――。なんか心の奥辺りがムズムズしてくる。
「色は、白と水色とベージュとピンクか……白川どれがいい?」
「どうしようかな? 菅田くんは?」
質問返ししてくると思った。
「白川は、何色が好きなの?」
遥斗は座布団の色を確認して「優しい色かな?」と言いながら首を傾げる。
「全部優しい色じゃん。この中ではどれが好き?」
「……水色、かな?」
「じゃあ、水色だな」
会計をしながら俺は、座布団でふたり並んで座る様子を想像した。
会計が終わると、店の中にあるフードコートで昼ご飯の牛丼を一緒に食べた。それから日用品売り場をさまよってから外に出ようとすると、出口とは逆方向に向かう遥斗。
「白川、出口そっちじゃないよ」
そう言いながら無意識に遥斗の手を握ったけど、少し経つと、はっとした。そして意識してその手を急いで離す。
遥斗は意識していたのだろうか。多分していないかな?
ちらっと遥斗の顔を見たら、ちょっと目が泳いでいた気がした。それは気のせいかもしれないけれど、手を繋いだことに対して、遥斗も意識してくれてたらいいのになと少し思ってしまう。
遥斗の手の感触を、しばらく思い出していた――。
***
俺たちは二年生になった。
そして暖かい季節になってきた時だった。
放課後、寮に向かって歩いていると、俺と同じクラスの、不良なやつら三人に絡まれている小柄な生徒がいた。よくみると、絡まれているのは遥斗だった。三人に囲まれ、肩を触られたりしている。遥斗は、鞄をぎゅっと抱きしめながら縮こまり、怯えている様子だった。
「白川!」
名前を呼ぶと、遥斗はこっちを向く。遥斗の表情が一瞬だけ緩んだ。
「おまえら、何してるの?」
同じクラスで、普段関わってるやつらだけど、そんなのは関係ない。遥斗を怖がらせ、そんな表情にさせて。怒りがこみ上げてくる。
「白川のこと、怖がらせてただろ?」
「いや、別にそんなことしてないし」
「白川は、俺の大事な人なんだから。何かしたら許さないから!」
「いや、何もしてないって。ただ可愛いなって、話しかけてただけで……」
喧嘩は好きじゃないけど、遥斗のためなら迷わず戦う覚悟を決めた。
でも睨みつけるとクラスのやつらは去っていった。去るのを見送ると、その場にしゃがみこむ遥斗。
「白川、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
遥斗は震えていた。
泣きそうな表情もしている。
全く大丈夫ではない雰囲気だ。
近くのベンチに座らせ、背中を優しくなでて遥斗を落ち着かせた。
「白川、何もされなかったか?」
「うん、されてないよ」
「とりあえず部屋に戻るか?」
「うん、戻る」
一緒に部屋に戻ると、部屋着の半袖Tシャツとジャージにそれぞれ着替えた。
「本当に何もされていないか?」
「されてないよ、だってすぐに菅田くんが助けに来てくれたから」
遥斗はそう言ったけれど、心配だったからどこか怪我していないか、無理やりチェックさせてもらった。すると膝辺りに怪我をした跡がいくつもあって、新しい感じの傷も見つけた。遥斗を座布団に座らせ、救急箱から絆創膏を出して、そこに貼る。
「これってもしかして、あいつらにやられたのか?」
「いや、違くて……僕、実はよく転ぶんだよね」
「本当に転んだ傷?」
「うん、本当だよ」
余計な心配かけないために嘘ついている可能性もあるけど、信じよう。
「そんなに転んで……痛いだろ?」
「平気だよ全然痛くないよ、大丈夫」
こんな傷、痛いだろ?
痛いに決まってる。
なのに遥斗は――。
「それよりも、さっきので、お友達とこれからの生活で気まずくならない? ごめんね」
「別に、大したことないし」
遥斗が傷つくことに比べたら、本当に大したことはない。
俺は遥斗をじっと見つめた。
俺のことより今は、遥斗自身のことだろ。
「あとね、さっき嘘だったとしても『大事な人』って言ってくれて、ありがとう。嬉しかったよ」
遥斗は俺と視線を合わせずに、俺が今貼った絆創膏を見ながら微笑んだ。
その優しさも、危なっかしいところも。
全て守りたくて、遥斗の全てが知りたい。
気がつけば、遥斗は大切な存在になっていた――。
「本当に白川は、『大事な人』だし」
遥斗はちらっとこっちを見て、再び視線をそらしてきた。そして顔を赤らめる。つられて俺も顔が熱くなってきた。多分俺の顔も、赤くなっていた。
***