波琉の後ろに乗りながら坂道を下っていると、ガードレール越しに水ヶ島のなつかしい街並みを一望できた。

「ちょっとだけ寄り道してもいい?」
「いいけど、どこに?」
「俺の、父さんのところ。美海、こっちに戻ってきてからまだ一回も顔合わせてなかっただろ? それにいつもは電車で通り過ぎちゃうし」
「ああ……言われてみれば、そうだったね」

 波琉のお父さん、涼介(りょうすけ)さんは波琉が生まれてすぐに病気で亡くなってしまったらしい。だから、私は実際には会ったことがない。どんな人なのかも、全然、知らないし、見たこともない。

 ただ唯一知っているのは、私のお母さんの幼なじみだったということだけ。

「ねぇ、波琉はその、やっぱり、会いたいって思う? お父さんに」
「そりゃあまぁ、会いたい、かな。話したことなんて一回もないし、写真くらいでしか見たこともないけどさ」

 波琉の表情は前を向いていてわからない。けれど、いつもは大きくてたくましいその背中が、ちょっぴり悲しそうに見えた。


「父さん、おはよ。って、もう夕方だけど」

 一面の緑が生い茂った小高い丘の上に、涼介さんのお墓はある。

 ひょっとしたら、誰か来たばっかりなのかもしれない。両脇に置かれた花立てに生けられた紫の花が、まだ新しかった。

 お久しぶりです、涼介さん。

 近くのコンビニで買ってきたライターとお線香でお供え物をして、墓石の前で手を合わせる。

 私は簡単な挨拶と、それから波琉には高校に入ってからもたくさん助けてもらっていることを涼介さんに伝えた。もちろん、恥ずかしいから直接、口には出さなかったけれど。

 波琉はといえば、私のとなりで静かに目をつむって手を合わせていた。

 私よりもずっと長い時間。真剣な顔で。


「ででん! ここで美海に問題です!」

 一面、夕日に照らされた田んぼ道を走っていると、突然、波琉がそんなことを言い出す。

 時に彼はすごく気まぐれで、こんなふうに私を振り回す。まぁもう慣れてるけど。

「水ヶ島神社の鳥居が青いのはなーぜだ?」

 水ヶ島神社とは古くからこの島にある神社のことだ。
 歴史が長く、水ヶ島の神様を祀られている。なにより、そこの青い鳥居が珍しいと有名で他方からわざわざ見にやってくる人も多い。

 私達水ヶ島に暮らす住人にとっては見慣れた物だったけれど、確かにこうして聞かれると改めて不思議だ。

「海の色、だから?」

 安直かもしれないけれど、なんだかんだでこれが一番、ありえそうな気はする。

「ファイナルアンサー?」

 もったいぶった口ぶりで、波琉が茶化してくる。

 どうせ、昨日やってたクイズ番組にでも影響されたんだろう。

 私は適当にあしらって答えをうながした。

「残念、不正解!」
「えっ、違うの?」

 実を言うと、そこそこ自信があった。だから、私はちょっと大げさな反応をしてしまう。

「元々はさ、白かったらしいんだ、あの鳥居」
「そうなの? じゃあ、途中で塗りかえたってこと?」
「それも違う。なんか、”勝手に染まったらしいよ”」

 それを聞いて、私はさっぱり意味がわからなかった。

「俺も最初、なんじゃそりゃって思った。でも、なんか聞いた話によるとさ、昔、月の光で鳥居がピカァってなって? それで色が青に変わったらしい」
「流石にそれは……作り話じゃない? いくらなんでも非現実的すぎるっていうか」
「うんうん、俺もそう思うんだけどなー」
「第一、鳥居が勝手に染まるなんてことあるわけないよ。それこそ心霊現象じゃん」
「まぁ、美海は怖がりだもんな!」
「べ、別に怖がりじゃないし……ただあんまり信じてないってだけ、そういうの」
「またまたそんなこと言ってー」
「ほ、本当だし!」

 必死に抗議する私に、波琉が前でククッと笑う。

 散々、私をからかってなんだか楽しそうだった。まったくタチが悪い。

 ま、まぁ、怖い話聞くと、夜眠れなくなるのは事実だけどさ……。

 私はちょっとむっとしながら、彼の癖っ毛な頭を見つめた。

 夕日を反射して、黄金色がかった黒髪が憎らしくも綺麗だと思った。

「あのさ、波琉」
「ん?」
「……やっぱりなんでもない」
「えっ、なになに? てか、それ絶対、なんでもなくないやつじゃん」
「流石に、バレちゃうか……」
「うん、だって美海、昔から嘘つくの下手だもん」
「そこはせめて、素直な性格だって言ってよ」

 まぁそれも、自覚はあるけど。

「それで、どうかした? 期末テストの成績が悪かったとか、そういう感じ?」
「全然、違うよ!」

 そりゃあ波琉と比べたら、断然、私の成績は見るに耐えないかもしれないけど、これでも今回は頑張った方だと思う。って、今はそうじゃない!

「その、今年の夏休みも、一緒に花火、見てくれる……?」
「当たり前じゃん! てか、毎年、一緒に行ってただろ? 水ヶ月島の夏祭り」

 なんで急にそんなことを聞くのかと、不思議そうにする波琉。

「だって、もう高校生だから。波琉だって、他に一緒に行きたい友達いるかもって思って。陸先輩とか」

 私は彼の背中に顔をくっつけて、少し声をおさえた。

 ふと不安になってしまった。二年前、水ヶ島を離れたときみたいに。

「美海が心配しなくても、俺、水ヶ月の花火は美海と一緒に見るんだってずっと決めてるから」

 しかし、それは私の杞憂でしかなかった。

 あっけらかんとした彼の笑みを含んだ優しい声が、頭上からふわりと降ってくる。

「本当に?」
「うん、だってさ、美海と一緒に見る花火が世界で一番、綺麗だから!」
「またそんなこと言って……」

 君は私に変な期待を抱かせる。

 でも、嬉しかった。純粋無垢なその言葉が。

「ほんと、波琉にはいつまでたっても敵わないなぁ」
「どういう意味だよ?」
「んー、内緒」
「えー、なにそれ余計気になるじゃん!」

 幸せにあふれた帰り道。

 どこからともなくやってきた潮風の匂いに、自然と胸が温かくなる。

 波琉とのこんな日常が、きっとこれからもずっと続くんだろうと、私は思っていた。