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「美海ちゃんも、一緒にお外で遊びましょ?」
「い、いい……走るの、きらいだから」

 幼稚園にいた頃から、みんなと比べて苦手なことの数が多かった。

 たとえば誰かと一緒におしゃべりしたり、外で遊んだりといった当たり前のことが私には上手くできなかった。

 自分に自信がなかった。

 なにをするにも億劫だった。

「みーう!」

 けれど、そんな私にもたった一人だけれど、友達がいた。それが幼なじみの波琉だった。

 彼とは家が近所で、それこそ私が言葉を話せるようになる前からいつもとなりにいた。

 というのも、親同士の付き合いが非常に長いのだ。なにせ高校時代からの同級生だったらしい。

 大人になっても永遠の仲良し四人組なのよと、いつだかお母さんが言っていた気がする。

「じゃあ、今日はおれが美海に絵本よんであげる!」

 一つ年上の波琉は面倒見がよくて、当時の私にとってはお兄ちゃんみたいな存在だった。

 実際、昔から兄妹みたいだねと、よく周りからも言われた。

 けれど、性格はまったくと言っていいほど正反対だった。

「ねぇ、波琉」
「ん?」
「おそとであそびたかったら、みんなのところ行ってきていいよ。わたしは一人でも、べつに平気だから」

 引っこみ思案で泣き虫な私に比べて、明るくて優しい波琉はみんなの人気者。

 そんな彼がいつも私の面倒を見てくれているのは、幼なじみだから気を遣っているのだと、その時までは思っていた。
 
「おれは美海とあそぶのがいいの! だって美海と一緒にいるときが一番、楽しいから!」
 
 にかっと笑ったその時の彼の笑顔がまぶしくて、当時、幼い私の小さな胸はトクンと波打った。


 それから幼稚園を卒業して、小学校、中学校と年齢が上がっても私達はずっと一緒だった。というかむしろ、一緒にいない時間の方が短いくらいだったように思う。

 だから、本当はずっと密かに気付いていたのだと思う。

 私達はきっと知らず知らずの内に、どちらからともなくお互いを好きになっていた。

 そして、それはいつしか幼なじみなんて言葉じゃ足りない、特別な感情にまで成長してしまっていた。


 そんなある時、私は突然、お父さんの仕事の都合で、十三年間、ずっと暮らしてきた水ヶ島(みずがしま)を引っ越すことになった。当然、当時の私はそれをそう簡単には受け入れられるはずもなく、毎晩のように両親に猛反発しては二人を困らせていた。
 
「美海、そろそろ帰ろう。おばさんが心配するよ?」

 海鳥が鳴く夕暮れの砂浜。

 いつまで経っても家に帰ろうとしない私の手を波琉が引いた。

「まだ、帰りたくない……明日になったら、全部、お別れだから」
「美海……」
 
 乱暴に波琉の手を振りほどく私。自分がどれだけわがままなことを言っているのかなんてわかっていた。

「俺も美海と離れるのは正直、嫌だ。でも、ずっとってわけじゃない。美海がどれだけ遠くに行っちゃっても、いつかきっとまた会えるって信じてる」

 波琉が優しく微笑む。

 いつかきっとまた……本当に会えるのかな?

 そのいつかが、私には果てしなく先のことのように思えて、胸がぎゅっと苦しくなった。

「ねぇ、波琉」
「なに?」
「膝枕、して……」
 
 中学生にもなって、それも幼なじみの男の子相手に何をお願いしているんだという自覚はあった。

 だけど、それ以上に波琉との時間を一秒でも長く引きのばしたかった。

 彼に甘えたかった。

「なんだ、そんなことか! いいよ、ほら、おいで」
「ん……」

 私の無茶な要求にも、波琉は嫌な顔一つせず付き合ってくれた。

 波琉の膝の上は温かくて、安心感があった。本当はずっとそうしていたいくらいに。
 
 けれど、時間は刻一刻と迫ってくる。

 私の気なんてこれっぽっちも知らない夕焼けは、海の向こうの水平線に見る見る内に沈んでいく。

「本当に、波琉の妹だったらよかったのにな……」
 
 思わず、こぼれた心の声。それを聞いた波琉が、くしゃりとおかしそうに笑った。

「俺は美海と兄妹じゃなくてよかったって思うよ」
「な、なんで? 私なんかが妹じゃ、波琉は嫌?」

 一瞬、ものすごい不安に駆られた。けれど、波琉はううんと首を横に振って、

「だって、兄妹じゃ結婚できないだろ?」
「うぇ? それってどういう……」」

 膝枕されたままぴたりと静止した私に、波琉がぐっと顔を寄せてくる。

「俺はさ、美海の恋人になりたいんだ」
 
 後、数センチ。うっかりキスしてしまってもおかしくない距離だった。

「好きだよ、美海」

 その瞬間、世界のありとあらゆる音が、波に()まれて消えた。

 ――好き。

 なんのためらいもなく告げられた彼の言葉に、胸の鼓動が急激に高まる。

 なんだか、背中の辺りが無性にむずがゆい。まるで熱でも出したんじゃないかって思うくらい、頬がかぁっと熱くなった。

「ねぇ」

 再び甘い声で、彼に呼びかけられて私は返事をするどころじゃなかった。
 

 心なしか、夕焼けに染まった波琉の顔もほんのり赤らんで見えて。ことさら心臓の音が、打ち寄せる波に合わせて早まる。

「美海がこっちに帰ってきたらさ、その時は俺と付き合ってくれない?」

 波琉は本気だった。冗談でもなければ、友達としての好きでもない。

「どうかな?」
「……ちょっと、考えさせてほしい」

 でも、だからこそ、私はちょうちょしてしまった。

 彼の誠実な想いに応えるほどの度胸がなかった。

「わかった。俺、美海のためなら十年、ううん、百年だって待ってるから!」
「さ、流石に百年は待たせないよ……でも、ありがと」

 どこまでも根性なしの私に、波琉は屈託のない笑顔を浮かべる。

 そっと頭をなでてくれた彼の手が、すごく温かった。


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