その夜、家に帰っても私は昼間のことが気になってしょうがなかった。

 確かに私は一度、八城さんに傷付けられたけれど。
 
 そりゃ今だって引きずっている部分も多少はあるけれど。

 でも、彼女は今日、私を助けてくれた。それに私のこと嫌いじゃないって。

 考え出すと切りがなかった。

 結局、少し迷ったあげくスマホを手にとり、真っ先に思い当たった人物のところへ電話をかける。

「あの、もしもし、陸先輩であってますか?」
「美海ちゃん?」

 電話はすぐに繋がって、不思議そうにする陸先輩の声が聞こえた。

 そりゃそうだ。

 連絡先だってついこのあいだ交換したばっかりだし、まさか私の方からかけてくるなんて陸先輩も思ってもみなかったことだろう。

「突然、すみません。ちょっとだけ陸先輩に話したいことがあって」
「僕に話したいこと?」
「はい」

 私は今日の学校帰りにあった出来事を、なるべく簡潔にまとめて陸先輩に話した。

 その上で私が過去に八城さんにされたことや、それがきっかけで不登校になったことも少しだけかいつまんで。

「そっか、そんなことがあったんだね」
「そうなんです」

 それから少し間があって、
 
「一つだけいいかな?」
「は、はい。なんでしょう?」
 なんだか重要なことを言われるような気がして、私はつい改まった口調になる。
 
「八城はさ、本当は悪いやつじゃないんだ。ああ、そりゃもちろん、昔の八城が美海ちゃんにやったことはいけないだと思う。でも、ちょっと素直になれない部分があるっていうか」

 珍しく陸先輩にしては歯切れが悪い。

「あの、もしかしてなんですけど、陸先輩って八城さんのこと好きだったりします?」
「えっ」

 とたん、陸先輩から拍子抜けしたような反応が返ってくる。

 ま、まずい。

 いくらなんでも場違いな上に興味本位から変なことを聞いてしまった。

「す、すみませんっ、急に。やっぱり、今の質問はなしで!」

 気まずくならない内に、私は慌てて取り繕う。

「いや、いいんだ。でも、好きかどうかはわからない。今まで考えたこともなかったからさ」

 けれど、陸先輩から返ってきた意外な返事に、今度は私の方がどう反応したらいいものかわからなくなる。

「実はさ、八城には妹がいたんだ」
「えっ、そうだったんですか?」

 そして、次に告げられたのは衝撃の事実だった。

「うん、だけど、二年前に不慮の事故で亡くなったらしくて。八城は今も、そのことを一人で背負いこんでるみたいなんだ」
「そんな……」

 全部、初耳だった。

 あの八城さんに妹がいたことも。それにまさか、二年目に亡くなってるなんて。

「ごめん。これ以上、僕から詳しいことは言えない」

 そこで陸先輩は一度、話を切った。

 まるで感情を押し殺したような、少し苦しそうな声だった。

「でも、放っておけないんだ」

 電話口の向こうで、陸先輩が静かにつぶやくのが聞こえた。

 ひょっとしたらそれはひとりごとのつもりだったのかもしれない。

 けれど、そこからは陸先輩から八城さんに対する、愛にも似た優しさを感じた。

「なんか陸先輩って、波琉にちょっと似てますね」
「僕が? 波琉くんに?」
「はい。そういう面倒見がいいところとか、お兄ちゃん気質っていうのかな。目の前で困ってる人がいたら絶対、助けに行きそうだなって」

 思えば、そういうところなのかもしれない。以前、波琉が言っていたすっかり意気投合したっていうのは。

「ありがとう、そんなふうに褒められると悪い気はしないね。でもね、美海ちゃん。僕なんて全然、波琉くんと比べたら大したことないんだ」

 それはただの謙遜とかじゃなくて、どこか含みのある言い方だった。

「実は僕さ、昔は人付き合いがものすごく苦手で、友達が一人もいなかったんだ」
「えっ、本当ですか? それ」
「恥ずかしながら、ね」

 正直、今の陸先輩からは全然、想像がつかない。

 私が知っている陸先輩はいつだって、タイプは違くても波琉みたいに気さくで誰とでも仲良くできるイメージだったから。

「だから、高校に入学して最初の頃はずっと一人でいたなぁ。一時期は僕なんか誰にも必要とされてないんじゃないかって、思い詰めちゃうこともあって。でも、そんな時に声をかけてくれたのが波琉くんだったんだ」

 この前の帰り道、波琉が言っていたことを思い出す。

 強引に誘ったっていうのは、そういうことだったんだ。

「波琉くんがね、言ってくれたんだよ。陸は絶対、必要な存在だって俺がわからせてやる! だから、今から俺と友達になろうって」

 波琉らしいなと思った。単純すぎるそのまっすぐさが。
 
 そして、陸先輩も波琉のそんなところに惹かれたのだという。

「僕は波琉くんに救われた。今の僕があるのは波琉くんのおかげなんだ。もしも波琉くんと出会えてなかったら、今頃、僕はきっと孤独な人生のままだったと思う。波琉くんは僕の恩人だよ」

 それは私にとっても同じだ。
  
 波琉がいてくれたから、私はここまでやってこれた。

 ――だけど、だからこそ今は痛いくらいに感じる。
 
 やっぱり、私には君がいなくちゃダメなんだって。