【完結】きぃ子ちゃんのインスタントカメラ

『だめだっ』

 きぃ子ちゃんが語気を荒げる。

『それでは何のために三人の命をきみに注いだのか。すべてが水の泡になってしまうんだぞ!』
「でも、僕はもう嫌なんだ。誰かが僕のために死ぬのも。何より、寂しい思いをするのも」
『しかし……』
『あのう、ちょっといいかな』

 リュックの中の口裂け女さん──瞳さんが僕たちの間に割って入った。

『あたしの命、使いなよ』
「えっ」

 予想外の言葉に、僕もきぃ子ちゃんも声を上げる。

『あたし、長くお化けやってるけどサ、こんなに楽しかったこと今まで無かったんだよ』
「瞳さん……」

 僕は言葉が詰まった。

『うん、はなこのもー、つかっていいよー』
『ぼくのでよければ』
『力に、なりたいな』

 みんな、口々に協力を申し出てくれた。
 命を賭けるというのに。

 まるで放課後の「遊び」に参加するみたいな、そんな明るいノリで。

「……みんな……ありがとう」

 涙が、出てきた。

『ふふ』

 瞳さんが笑う。

『ほら、これでもう寂しくないでしょ。だから、ね。泣かないで』

 エレベーターはお姉ちゃんの眠る五階に着いた。

「さあ、行こう」

 僕は一歩、エレベーターから踏み出した。

 お姉ちゃんの個室の引き戸を引く。
 その扉は、金属の規則正しい音を立ててゆっくりと開いた。

 呼吸を助ける装置の音が静かに響く、明るい部屋。
 そこに、その人は眠っていた。

 月森ああぎ。十三歳で、A型。
 僕の二つ年上の、お姉ちゃん。

 ──待ってたよ。

 九十日ぶりに思い出したそのお姉さんは、静かに息をしていた。

『さ、あたしたちをベッドに並べて』

 瞳さんが静かに言った。
 僕は、世界で一番大切な愛しい友人たちを、言われた通りお姉ちゃんの枕元に置いた。

「じゃあ、きぃ子ちゃん。始めるよ。僕たちの最後の勝負、宝探しを」
『うん、そうだね。始めよう』

 僕は、きぃ子ちゃんの指示する通りに、両手で狐を作って、それを組んだ。そして、できた隙間からお姉ちゃんを覗いた。

「……何も見えないよ」
『心の中で、呼ぶんだ。あさぎの名前を。きみがいちばん愛しいと思う呼び方で』

 お姉ちゃん。あさぎお姉ちゃん。お姉ちゃん──。

 ──あお。

 ──あお君。

 (かす)かな、懐かしい、優しい声が「聞こえた」。
「! 何か聞こえる!」
『よし、いいね、記憶にアクセスできたんだ』

 最初に見えたのは、教室。
 数学に英語。

 小学校のじゃない。
 中学校みたいだ。

 目の前にはきぃ子ちゃんが座っている。
 机に置かれたのは、まるばつゲームのマス目。

 ──まるばつゲームをしましょ。
 ──もう、終わりにしましょ、安西さん。
 ──私の命を、贄にするの。それで、おしまい。

『いいぞ、そのままゆっくり、過去にさかのぼるんだ』

 ぼっ、と、お化けたちの、僕の友人たちの写真が燃え始めた。

『ボク、がんばれ!』
『つきもりくんならできるよー』
『しんじてるから』
『鈴も、いつまでも応援しています』

 僕はその言葉を、声を、魂に刻んだ。
 ありがとう。
 君たちのことは、忘れない。

 ……あっという間にインスタント写真たちは、灰となって消えた。

 お姉ちゃん。あさぎお姉ちゃん。僕は何度も、何度も呼びかけた。

 また教室だ。
 でもそれは、見慣れた、「僕らが通っている五年生の教室」だった。

 ──うん、いい。あと二年だけでも、声が聞けるなら。
 ──出さなきゃ負けよー じゃんけん……ぽん!

 記憶がどんどん古くなっていく。

 ──安西さん、安西さん。どうしよう。あお君が、あお君が死んじゃったら、私……
 ──宝探し?  はんこんじゅつ?

 そして。



 ──ざー、ざぱーん。ざー、ざぱーん。

 それは、遠い海鳴りの音。
 防波堤(ぼうはてい)にぶつかってはくだける、白波の奏でる歌声。

 海の音、波の音が聞こえる。
 確かに、はっきりと。

「見つけた!」

 僕は思わず叫んだ。

 最後の宝探しは。
 ──僕の勝ちだった。
 ──ざー、ざぱーん。ざー、ざぱーん。



 始まりの日。令和四年五月十七日。火曜日。

「いえーい、アラカブまた一匹ゲットー」
「たいようばっかりずるいぞ、僕だって!」

 僕とたいようは地元の小学校に通う小学三年生。

 たいようのお父さんに連れられて、念願(ねんがん)の釣りデビュー。
 だってお父さんったら、一度も釣りに連れて行ってくれないんだもん。

 今日の「勝負」は、ずばり釣り対決だ。
 どっちがたくさん釣れるか。
 どっちが大物を釣れるか。
 シンプルな勝負でしょ。

 でも、足元にある水の入ったバケツには。
 たいようの方にしか魚がいない。

「むう、また餌だけ持っていかれたー」
「はは、あお、超へたー!」

 思ったより釣りは難しかった。

 おかしいなあ。
 僕の予定だと、バケツたっぷりお魚釣って、今晩お母さんにおさしみにしてもらうはずだったのに。

「まただー」
「ぎゃははは」

 失敗するたびに笑うたいように、だんだん腹が立ってきた。

 あ。
 またたいように魚がかかった。

 なんだろ、銀色でぴかぴかしてる。

「見せてよ」
「だーめ、あお、盗る気だろ」
「そんなことしないよ」

 でも、たいようは見せてくれない。

 見せてよ。やだよ。見せて。やだ。
 だんだん、釣りそのものがつまらなくなってきてしまった。

「いいもん、僕はあっちで釣る!」
「なんだよ、ビビリ、逃げんのかー?」

 かちん。
 釣果(ちょうか)で負けていた僕は、この一言にとても腹を立てた。
「んだよ、自分だけ釣れてるからって! 調子づいて!」

 僕はたいようのお父さんの大切な釣り竿を足元の防波堤(ぼうはてい)に叩き付けた。
 それはコンクリートの堤に打ち付けられて、乾いた音をあげた。
 たいようも、自分のお父さんの竿に乱暴した僕にとても腹を立てたようだ。

「何してんだよ!」
「帰るのー! 一匹も釣れないし、もうやめにする!」

 そういうと、ライフジャケットを脱ぎ捨てた。

「あー、いけねーんだー、それ脱いじゃー。父ちゃんに言ってやろー」
「怖いの? おまえこそビビリじゃん!」
「あんだとこのやろー!」

 売り言葉に買い言葉。
 たいようもまた、ライフジャケットを脱いだ。

「こらー、二人とも。けんかしちゃあ、だめよー!」

 その様子を遠くで見ていたあさぎお姉ちゃんが、叫んだ。
 間の悪いことに、たいようのお父さんの竿がこの時アタリを引いていた。
 だから、タモアミを手渡していたところで、僕たちからは離れていた。



 この日は、風が強かった。
 けれどたいようのお父さんはベテランで、この程度なら問題ないと判断していた。
 彼が立っていたのは、防波堤の中でも波消しブロックの近くだったからだ。

 しかし、少し離れた位置にいた僕とたいようは違った。
 もみくちゃになり、取っ組み合いのけんかを始めていた。

「まてよ!」

 逃げ出したたいようを追いかけ、僕も走りだした。
 二人が向かったのは、防波堤の先端。
 びしょぬれで、高い波が打ち付ける極めて危険な場所だった。

「おじさん、あお君とたいよう君が!」

 異変に気が付いたあさぎお姉ちゃんがたいようのお父さんを呼ぶ。
 海がうねる。
 十秒後には防波堤より高い波が叩きつけるだろう。

 その時。

「こらっ! あお!」

 誰かが、僕を呼んだ。思わず振り返る。小学校高学年くらいのお兄さんが、後ろに立っていた。

「けんかはだめだよ!」

 気が付くと、不思議なことに波が止まっている。お兄さんが近づいてくる。

「お兄さん、だれ」

 その人は、どこか見覚えのある人だった。

「僕、どうすればいいの」
「仲直りして。たった一人の、大切なお友達だろ」
「僕、あいつ嫌いだよ」
「それじゃだめだ。友達は大切にしないと」

 お兄さんが僕の手を取る。
 どうやらたいようも動けるみたいで、僕の所に戻ってきた。
 お兄さんはたいようの手も取って、ふたりに重ねた。

「ほら、もうこれで寂しくないだろ」



 ざっぱーん。特大の波が防波堤の先端にぶつかった。

 気が付いたらお兄さんは居なくて、僕はたいようとその少し手前で握手をしていた。

 たいようのお父さんが駆け寄る。
 こら、駄目じゃないか、ライフジャケットをぬいだりしちゃ。
 二人してげんこつを食らった。

 でもなぜか、とても暖かくて。僕とたいようはその手をはなせなかった。

「ほら、ふたりとも、こっちを向いて」

 ぱしゃり。じー。
 あさぎお姉ちゃんが撮ったインスタント写真には、はにかんだ二人が、写っていた。

 君には、大切なお友達はいるかい?
 君には、忘れられない思い出はあるかい?

 お友達、たくさんできた?
 今日も遊びに行く?

 ……そう、もう寂しくないんだね。
 それはよかった。
 たくさんのお友達が出来たんだね。

 そんな君に聞かせたいお話があるんだ。
 僕の話を、ぜひ聞いてみてほしい。

 僕と、不思議なお姉さんと、お化けたちとの──。
 不思議なひと夏の、記憶を。



 ──二年と九十日後。

 ミーンミンミンミン──……。

「ただいまー」

 優しくて柔らかい声がして、僕とたいようは携帯ゲーム機を置いて、玄関まで出迎える。
 あさぎお姉ちゃんだ!

 ふたりのお姉さんが立っている。
 おそろいの十字架模様の時計が可愛い。
 でも、なんだろう、もう一人のお姉さんは、手に何か持ってる。

「なにそれ?」
「ほら、ケーキ、買ってきたよ」

 あさぎお姉ちゃんは、ふたりの弟たちの前で自慢げだ。

「あれ、なんでケーキ?」

 僕がぽかんとして、その箱を見ていると。

「なんでって。きみねえ。自分の誕生日を、わすれちゃあいかんよ」

 ぴたり。

「ひゃあ!」

 僕のほっぺたにケーキの箱を押し付けた。
 ポニーテールにグレーのセーラー服が(まぶ)しい。
 手にはキャメルの持ち手が可愛いインスタントカメラを構えている。

 ぱしゃり。じー。

 ほっぺたを押さえた間抜け面した僕の写真を渡してきた。

「ほら、これでもう寂しくないでしょ。だから、ね。また笑ってよ、きみ」

 そして。
 その不思議なお姉さんは、笑った。


【完】
「あんた、サ」
「……」
「また泣いてるの? こんな場所で。(ひと)り座って」
「……」
「お友達のひとりくらい、いないん?」
「……」
「……はあ、今日もだんまりですか」
「……」



 あたしはずぅっと、たいくつだ。

 退屈すぎて、気がついたら耳まで口が裂けてしまっていた。
 退屈すぎて、気がついたらヒトを四十人も食べてしまった。

 それでもそれでも、あたしはまだまだ、退屈なのだった。



 もう少し、何年か(あるいは何十年か)前。
 好きな人がいた。

 大好きで大好きで、毎日病室まで会いに行った。
 毎日手を繋いだ。
 毎日バス停まで走った。

 楽しかった。
 幸せだった。
 生きているって感じがした。

 どうしてか、今はその人はいない。
 あたしが血を吹いてから二ヶ月後にその人も死んだはず。

 なのに。

 こうしてこのバス停に居るのはあたしだけ。

 あれえ。
 あの子。
 あたしの好きだったあの子。

 名前、なんて言ったっけ。



 その日。
 あたしはいらいらしていた。

 のどが乾くんだ。
 あんまり退屈すぎて。

 こんな日は、また新たにヒトを食べたくなる。
 子供がいい。
 あの子と同じくらいの、美味しそうな、子供。

 そんな時。

「ねえねえ、オバサン」

 初め、自分が呼ばれているとは気づかなかった。

「ねえねえ」

 そもそも。
 あたしが姿を見せようとしていないのに、見えてしまうヒトは、今までいなかったから。

「わたしと『勝負』しようよ」
「あ?」

 振り返ると、ポニーテールの女の子がいる。
 年のころはあたしより少し下くらい。

「おばさん……だって?」

 あーあー。

 たまにいるんだよねえ。
 あたしのこと、なんにも知らないで話しかけてくる、バカなお子さまが。

 それにしても、ひどいよね。
 あたしまだ十五だよ。

 これはちょっと。
 キツーい、おしおきが必要みたいね。

「ふ、ふふ。そうさ。おばさんだよ」

 マスクをこうやって大げさに外して。
 耳まで裂けたこの口で。
 ひと呑みにしてやる。

「ところで、ねえ、あんた。どう? あたし、きれいで──?」
「じゃーんけーん……」

 え。

「ぽんっ!」

 唐突(とうとつ)にポニーテールの子がチョキを出した。
 だからあたしも、とっさにじゃんけん出しちゃったじゃん。

 パー、だった。

「えいっ」

 目にも止まらぬ速さでその子は白い何かを縦一文字(たていちもんじ)に振り下ろした。
 乾いた音が夕方の町に響く。

「ぐえっ」

 痛ったー!
 なんか、ハリセン?
 みたいなので殴られたーっ?

 頭がごんごんずきずき、まるでトンカチで殴られたみたい。

「おのれ、ヒトの分際で……」
「じゃーんけーん」
「!」

 また、この子!

「ぽんっ! えいっ!」

 スパーン!
 ぐあーっ。

 お、おかしいわっ。
 なんか、このハリセン、異常に痛いんですけどっ?

「じゃーんけーん……」
「……っ!」

【完結】きぃ子ちゃんのインスタントカメラ

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