「こらっ」
うわーん。
おかっぱ頭の子供が泣いている。
「あお君、だめだよ。仲良くしましょ」
「だって、だってぼくがあそんでたんだもん」
うわーん。うわーん。
「それは座敷童くんのだったでしょ」
「いやだ、いやだー。■■ちゃんとぼくだけであそぶのー」
僕は聞かん坊で、■■ちゃんにすがりついてはなれない。
「そんなんだと、ほんとのヒトのお友達もできないよ」
「いいもん、■■ちゃんがいるもん」
「はあ、困ったねえ。小学校に入っても、うまくやっていけるのかなあ」
おかっぱの男の子は気が付くと■■ちゃんのそばに来ている。
「■■。きょうはここまでにしよう」
「え、座敷童くん。いいの?」
その子はこくりとうなずいた。
どうやら、泣きまねしていたようだ。
「だいじょうぶ。■■、またきてくれるでしょ」
「うん、もちろんだよ。あなたは私の大切な──」
大切な。
なんだっけ。
あの時いた人。
……誰だったっけ。
◇
「たっち!」
「負けたー!」
僕は背中に小さな手で触れられて、振り返る。
とててて。
座敷童くんは部屋の隅までまた走っていった。
「はい、あおくん、またオニね」
その時。
ぼーん、
大きな柱時計が鳴った。短い針は七を指している。
「あ、もう時間だ」
ぼーん。
「どこいくの」
ぼーん。
座敷童くんが聞いてきた。
「そろそろ帰ろうかなって」
ぼーん。
「かえる?」
どこへ?
そう言ったように聞こえた。
「うちに、だよ」
ぼーん。
「こんどいつくる?」
ぼーん。
「んー? いつだろ」
「もうこないの?」
ぼーん。
「わかんないな」
「あさぎちゃん」
……ぼーん。
時計の、鐘の音が止まった。
「こんどいつくるの」
ふすまが──開かない。
「ぼくはずっとまってた」
「座敷童君?」
きぃ子ちゃんが声を掛ける。
いつになく抑揚のない声で。
「まってた」
「今日はここまで、だからね?」
彼女はそう言って、インスタントカメラを構える。
「ずっと、ずっとまってたもん」
「きぃ子ちゃん、ふすまが開かない」
「もう、いやだ」
「だめだよ? 座敷童君」
「ねえ、あさぎちゃん──」
──さびしいのは、もういやだ!
確かにそう叫んだように聞こえた。
座敷童くんがものすごく尖った歯が何本も並んだ口を大きく開いて、飛びかかってきたから、最後まで聞こえなかったけど。
「うわぁっ!」
僕は目を固くつぶった。やられるっ──。
ぱしゃり。じー。
「はい」
きぃ子ちゃんはそう言ってインスタントカメラから現像された写真を抜いた。
「ほら、これでもう寂しくないでしょ。だから、ね。泣かないで」
◇
「ねえ、きぃ子ちゃん」
太陽がすっかり落ちて、夜の帳が下りた宵闇の道。
「なあに」
「あさぎちゃんって、だれ? 寂しくないって、どういうこと? どうして泣かないでって、言うの?」
僕はどうしても聞きたいことを、矢継ぎ早に問いかけた。
きぃ子ちゃんはうつむいた。
きらり。
今、光ったのは涙だろうか。
「ねえ、教えてよ?」
ぶおー。
またしてもでっかいトラックがふたりの傍を猛スピードで通り抜けた。
真っ黒な煙を吐き出しながら。
「……」
おかげできぃ子ちゃんの声が聞こえなかった。
「ごほっ……え、えと、もういっかい……」
「ううん、なんでもない」
きぃ子ちゃんは、そう言って笑った。
どこか、寂しそうな顔で。
◇
君には、寂しい時って、あるかい?
あるとしたら、それはどんな時が寂しいかな?
お友達とさよならする時?
お友達と会えない時?
待っても待っても、そのお友達が来ない時?
それとも。
いつの間にか記憶から消えてしまって、後からそのことに気が付いた時?
寂しいのはつらいよね。
ひとりぼっちなら、なおさら。
でもね、信じてみて。
君を待っている人は、きっと今もいる。
君がお友達を大切に思う心があれば、きっと。
二年と八十二日目。令和六年八月九日。金曜日。
ミーンミンミンミン──……。
斜陽でオレンジ色に照らされた夏の山道。
ミミズが干からびて死んでいる。
僕の心も、干からびて死にそうだ。
のどが渇いた。
冷たい水が飲みたくって仕方がない。
夏休み、学校で遊んだ帰り道。
ぶすっとほっぺたを膨らませて。
またすり傷が増えた。
けんかをしたんだ。
「なんだよっ。みんなしてさっ」
今日は夏休みだけど校庭に遊びに行ってみた。
学校の宿題は順調だし、携帯ゲーム機で遊ぶのにも飽きた。
我が家はお寺、その名も平坂寺。
お父さんは住職で、お母さんはスーパーでパートをしている。
つまり、昼間は誰も家に居なくて寂しいのだ。
わざわざ友達のいない学校に行くのも、ただそれだけの理由だったんだけど。
案の定クラスのみんなが集まっていた。
わいわいとボールを投げている。
ドッヂボールをしているみたいだった。
『寂しいからって、ひとを叩いてはだめよ。僕も仲間に入れて、きちんとそう言わなきゃ』
担任のけいこ先生に、いつもいつもそう言われてきた。
だから今日はそれを実行してみようと思った。
『僕も入れて』
嫌われ者の僕は、持てる勇気を全部振りしぼって、呼びかけてみた。
それなのに。
「あんなにみんなして……狙わなくたってさ……」
涙がにじんだ。悔しかった。
目をごしごしとこすって、鼻水をすすった。
『あおのガードが甘いぜ』
『あおにしゅーちゅーほーかだっ!』
ひとりねらいだよ。ずるいよ。
何度もそう叫んだ。何度も訴えた。
でも、返ってくるのは温度のない、冷ややかな笑い声だけ。
他にも当てられていない子は居たはず。
とうまにあかねに、みかにかいと。
でも、どうしてか、真っ先に狙われるのは僕なんだ。
これじゃあ、せっかく外野から戻ってこれても、すぐに当てられてしまう。
『ふっざけんなっ!』
五度目に当てられた時、遂にキレて、相手チームのリーダー格のたけるに殴りかかった。
倒れこんで、お互いもみくちゃのけんかになった。
その様子を見かねたみかが校内に居た先生を呼んできて、あわてた先生が仲裁に入った。
『やめなさい、やーめーなさーいっ! こら五年生、何やってんのー!』
二年生の担任のはるか先生はわざわざ校庭まで走って駆け付けてきた。
『……ほら、あおくんもたけるくんも。ごめんねして、仲直りして』
先生は僕たちをしこたま怒った後、最後にそううながして、無理やり仲直りさせようとした。
でも僕には見え見えだった。
はるか先生はけんかを止めたいんじゃない。
面倒くさいだけなんだ。
ひとりぼっちの僕の寂しさなんて、わかりっこ無いんだってね。
そう思ったら、無性に悔しくて悔しくて。
気が付いたら差し出された、たけるの手を振りはらって、駆け出して、学校から飛び出していた。
◇
北九州の真夏の西日は限りなく暑い。
けるのにちょうど良さそうな石を途中で見かけたので、とりあえずけんけんけりながら歩いていた。
そうでもしないとまた涙が溢れてきそうだったから。
むしゃくしゃして、頭に血が上って。
だから気づかなかった。
というか忘れていた。
いつのまにか、上町と下町のちょうど境にある鳥辺野神社の前に着いていたことを。
思いっきりけった平べったい石は、不規則に何回か跳ねて、そして。
「いったーい!」
しまった!
僕はけった石を、大好きなはずのお姉さんのくるぶしにジャストでクリーンヒットさせてしまった。
「……ご、ごめん、きぃ子ちゃん! 大丈夫っ?」
ふたつ年上のこのお姉さんは、とっても大人っぽい。
手足はすらりと長くて、髪の毛もさらさら。
胸も……ちょっとおっきくて、そして、そのことに自覚が全くない。
だから。
グレーのセーラー服のスカートなのに、地面にひざを立てて、くるぶしを押さえていたりなんてするから……。
うん。今日は水色かあ……。
ぱしゃり。じー。
「はい、鼻の下伸ばしてスカートのぞく、あお君いただきー」
「はっ」
やばい。
無防備に見えたのも作戦かっ!
きぃ子ちゃんは超がつくほどドSだ。
こんな不埒で決定的な写真を撮られたりしたら……。
「うーん、わたしが思ってたよりひどい顔してるねえ、あお君?」
「ち、ちがう、ちがうよきぃ子ちゃん! これはたまたま……」
「たまたま? たまたまでこんなヘンタイさんなお顔が撮れるんですかねえー?」
にまにまと、僕の方を見て、写真をひらひらと見せびらかす。
「どうしようかねえ。学校中にバラまいてしまおうかなー?」
「駄目! それだけは駄目!」
「あ、ちょ、ちょっと、きみぃ!」
僕は写真を取り返したくて必死できぃ子ちゃんにすがりついた。
でも、きぃ子ちゃんがくるぶしを痛めていたのは本当だった。だから、バランスを崩した。
「うわあっ!」
僕は鳥辺野神社の石の階段にきぃ子ちゃんを押し倒すような形で倒れこんだ。
ちょうど、彼女のバストに、両手をつく形で。
◇
ミーンミンミンミン──……。
「これは……」
「これは?」
「その……違う……」
……終わった。
そう思ったね。
嫌われた。
ヘンタイだと思われた。
大好きな、世界でたったひとりの大好きなお姉さんを失った……。
羞恥心と、罪悪感と、劣等感と、喪失感と。
様々な感情でぐちゃぐちゃになっていた、その時。
きぃ子ちゃんは倒れたまま、僕を見上げて優しく頭をなでた。
「あお君はいい子だね。辛抱強いね。いい子だね」
いい子だね。いい子だね。きぃ子ちゃんは何度もそう言ってはなで続けてくれた。
「うう……うううああ……」
僕は、優しい、優しいこのお姉さんの胸に顔を埋めて、泣き続けたんだ。
そう言えばこの感じ、昔どこかで。
いつだっただろう、同じように誰かに、こうしてなでてもらっていたような気がする。
◇
「ふふ、もう大丈夫かな?」
五分くらい、胸を借りて涙を零しただろうか。
きぃ子ちゃんはその間ずっとなでてくれていた。
「うん、ありがとう……」
「さ、おいで、お友達と遊ぼう」
そう言って彼女は僕を立たせると、境内へ続く階段を上り始めた。
僕も後に続く。そこそこ大きな神社だけど、境内まではすぐに着きそうだ。
そういえば、この神社。
僕は知っているような気がする。
階段の上では、子供の遊ぶ声が聞こえている。
「おーい、こっちこっち」
「パス、パス」
境内に着いて見渡すと、子供たちがドッヂボールをしている。
「ねえ、きみたち」
きぃ子ちゃんが声を掛けると、みな一斉にこっちを向いた。
あっ。
僕は声を上げる。
──みんな、目の玉がひとつしかないんだ。
「わたしたちも入れてくれない?」
一つ目小僧たちは、集まってしばらくひそひそと話をした後、こちらを向いた。
「いいよ。入れてあげる」
◇
「だめだよ、あさぎ」
その子は、抑揚のない口調で言った。
「あの術は反魂術。呼び戻すためには必ず贄がいるんだ」
「わかってる……もちろんわかってるよ」
あさぎと呼ばれた「私」は食い下がる。
「だから今回もわたしが負けさえすれば」
「だめよ、それはだめ」
静かに、落ち着いた口調で「私」は告げる。
「私の命を、贄にするの。それで、おしまい」
◇
夏の夕暮れ、神社の境内。
セミが、しゃわしゃわ鳴いて耳をくすぐる。
熱を帯びた風が、ほっぺたをなでる。
そこに、子供たちの声がひびく。
全部で十二人。
とてもにぎやかだ。
でも、この中でヒトであるのは僕ときぃ子ちゃんのふたりだけ。
一つ目小僧たちはじつに上手にボールを投げる。
僕ら人間と何ら変わらない。
だからとても楽しかった。
ううん、ひとりねらいしてくる、たけるたちなんかよりよっぽど良かった。
と、思っていたら。
「いたっ」
ちょっぴり太った、三つ編みの一つ目小僧の女の子が当てられて外野に出る。
あれ?
この子、さっきも当てられていなかっただろうか。
「えへへ、また当たっちゃった」
その子は外野に出ると、しゃがみこんでしまった。
どうやら、ドッヂボールはそんなに上手ではないらしい。
その後もいくつか試合を進めたが、いちばん最初に当てられるのは、やっぱりその子だった。
「おいー、お鈴、またかよー」
「しょうがないよ、お鈴はどんくさだからさ」
「そうそう、どんくさ、どんくさ」
「えへへ、ごめんねぇ」
そして次の試合。始まって十秒でお鈴と呼ばれたその子に当てられた。
「ごめん、ごめん」
明らかにひとりねらいされているのに、お鈴ちゃんは寂しそうに笑うだけ。
なぜだか、どうしてだか。
無性に腹が立った。
「やめろよ、ひとりねらいばっかり!」
僕は大きな声で相手チームの一つ目小僧たちに叫んだ。
ぴたり。
一つ目小僧たちはまるで初めからずっとそうであったかのように、動きを止めた。
「怒った」
「怒った」
「あさぎが怒った」
「にげろ、にげろー」
そう、ひそひそと話した後、蜘蛛の子を散らしたように、あっという間にいなくなってしまった。
「あ……」
「なーにやってんだか」
僕とふたりきりになったきぃ子ちゃんがあきれたように言う。
「せっかく楽しく遊んでたのに」
「……みんなしてひとりねらいばっかり。楽しくなんてなかったよ」
「あお君の頑固ものめー。いったい誰に似たのかしらね?」
そう言うと、きぃ子ちゃんは不意にインスタントカメラを構えた。
……目つきが怖い。
「あの……」
びっくりした。急に後ろから声を掛けられた。
「さっきは、どうもありがとう」
見ると、お鈴ちゃんがもじもじと、手を後ろで組んでこっちを見ている。
「鈴ね、運動が大の苦手で。いっつも最初に当てられちゃうの」
「ああ」
気にしなくていいよ、そう告げると。
「男子相手でも、物怖じしないで。かっこよかったよ、あさぎちゃん」
ん?
「今なんて……」
「あさぎちゃんって、かっこいいよね。女の子なのに、男の子にも負けないで」
「え、えと、あさぎって」
ぱしゃり。じー。
「はい、あお君。……これでもう、寂しくないでしょ」
きぃ子ちゃんはいつもよりそっけなくそう言うと、一つ目小僧のお鈴ちゃんの写真を押し付けるように渡して来た。
『あさぎちゃん。あさぎちゃん。また遊ぼう……ね? 鈴は、あさぎちゃんのこと大好きだから』
お鈴ちゃんの声は、僕の頭の中でいつまでも乱反射して鳴り止まない。
◇
このお話を読んでるみんなは、自分のことをどこまで知っているかな?
全部知ってる?
うん、それはいいね。幸運なことだね。
でも、もしも君の家族が。大切な人が。友達が。
自分の知らない自分のことを話してきたりしたら?
全く知らないことを、知っているかのように話すのを見たら、どう思うだろう。
実はそれは、とても怖いことかもしれない。
でも、大丈夫。
ひとつづつ記憶のふたを開いていけば。
最後には希望が残されていることを、きっと知るだろうから。