君には、大切なお友達はいるかい?
君には、忘れられない思い出はあるかい?
お友達がいない?
ひとりぼっち?
いじめられてる?
……そう、
わかるよ。
わかる。
寂しいのはつらいもんね。
そんな君に聞かせたいお話があるんだ。
僕の話を、ぜひ聞いてみてほしい。
僕と、不思議なお姉さんと、お化けたちとの──。
不思議なひと夏の、記憶を。
◇
二年と五十一日目。令和六年七月九日。火曜日。
ミーンミンミンミン──……。
夏の夕暮れ、セミの大合唱が聞こえる田舎道。
落陽に照らされた山の稜線は、燃えているみたいに橙色の縁取りをつくる。
山間を縫うアスファルトの道路は昼間の熱を含んでいて、とても熱い。
でも、外は暑くて暑くて仕方ないのに、なぜだか、とてもうすら寒い。
……独りだから。
いつもの学校の帰り道を、僕は独りで、歩く。
センターパートの黒髪は、夕焼けの光に照らされると紺青色に見える。
深い青色に見える瞳は垂れ気味で、五年生だけどいつも年下に見られる。
ブルーのTシャツにベージュのハーフパンツがトレードマーク。
ほっぺたには、絆創膏。
『やめなさい、月森君、やめなさい! ──どうして、どうしていつもけんかばかりするの』
担任のけいこ先生は、そう言ってはいつも深いため息を吐く。
しるもんか。
そう言って、帰りの会をすっぽかしてクラスを飛び出してきたところだ。
◇
僕の名前は月森あお。
学校では、いつもけんかばかりすることで知られてる。
お友達はひとりもいない。
『寂しいからって、ひとを叩いてはだめよ。僕も仲間に入れて、きちんとそう言わなきゃ』
寂しい、寂しい。
ことあるごとに先生は、そう言うんだ。
ううん、違う。
全然違う。
先生に、僕の何がわかるっていうんだろう。
わかりっこない。
僕は寂しくなんかない。
だって、だって僕には、いるから。
世界一のお友達が、いるから。
ぱしゃり。じー。
「やっほ。きみ、来たね」
「もう、撮る時は撮るって言ってよう、きぃ子ちゃん」
いつも通る鳥辺野神社の鳥居の陰から、いつものみたいにインスタントカメラのシャッターを切る。
トパーズみたいな色素の薄いブラウンの瞳。
吊り目がちで勝気に見えるけど、本当は冷静で大人っぽい。
琥珀色したポニーテールの髪は、夕日を浴びてきらきら光って、僕は大好きだ。
グレーの襟とリボンをあしらったセーラー服は、とても眩しいんだよね。
僕の最高のお友達、きぃ子ちゃん。
ふたつ年上、中学一年生。
彼女がこうして居てくれるから、僕は寂しくなんかない。
「ほら、いこう?」
きぃ子ちゃんが手を伸ばす。
適度に日焼けしていて健康的な、そのお姉さんの手を取って、僕は今日も逢魔が時の町を駆ける。
◇
上町にやってきた。僕の自宅兼お寺の平坂寺がある地域だ。
僕たちの住んでいる町は、北九州一の県庁所在地のとなりにある、田舎町。
海にせり出した山の中にあって、漁業が盛んだ。
少し行ったところに大きな港もある。
そんなこの町は、上町と山を挟んで下町に分かれている。
小さな町だから、小学校はひとつしかなくて、下町にある。
だから、毎日小高い山を越えては、徒歩で三十分以上かけて通学している。
ちょうどその中間地点に鳥辺野神社があって、その鳥居で、きぃ子ちゃんはいつも待っていてくれる。
そんな僕らの町の、田んぼと住宅街の交じった細い道で、半歩先を彼女が歩く。
百三十しかない僕と違って、百五十五センチはあるだろうか。
背が高くてすらりとしていて。
何より、歩く姿勢が、とても綺麗なんだ。
いつも手をつないで歩いてくれるんだけど、汗でべたべたな僕の手とは違って、こんなに暑いのに汗ひとつかかないひんやりとした手は、とてもさらさらで。
僕は赤い顔を見られないかいつも心配してしまうのだった。
と、その時。歩きながらきぃ子ちゃんが口を開いた。
「今日の『勝負」は鬼ごっこにしよう」
鬼ごっこ? 誰とだろう。ここには二人しかいない。鬼ごっこは二人でやる遊びじゃない。
「ふふ。口裂け女と、だよ」
「えっ! 口裂け女と鬼ごっこ?」
「しいっ。静かに。もう彼女のテリトリーに入っているからね?」
きぃ子ちゃんが人差し指で僕の口を塞ぐ。
「でも、口裂け女って、あの怪談話の?」
「そう。今日はそのお化けと鬼ごっこをしよう」
彼女はそう言うと、暗がりの住宅街の中、僕の手を引いて歩きだした。
そして、バス停の前で立ち止まった。
あかね……ざか……びょういんまえ。
辛うじてそう読める。
でも裏手は藪に覆われていて、かんじんの病院は見えない。
バス停もぼろぼろ、錆びてしまってほとんど読めない。
どうやら、使われていないバス停のようだ。
「ねえねえ、そこのおばさん! わたしと遊びましょ!」
「えっ」
気が付かなかった。
きぃ子ちゃんの隣に、髪が長くて背の高い、赤いワンピースの女の人が、いつの間にかいる。
「おばさんって、キミねえ!」
振り向いたのは、おばさんなんて言葉はとても似合わない、綺麗な十代真ん中くらいのお姉さん。
白いリボンのついた麦わら帽子に、アンティークな旅行カバン。
カバン片手に日傘を差すその姿は、きぃ子ちゃんに負けないくらい綺麗だ。
ていうか、きぃ子ちゃんと年だってほとんど変わらないんだよね。
口には、風邪だろうか、マスクをしている。
「あたしまだ十五なんですけどぉ!」
「いいからいいから、今からわたしたちのこと、追っかけてきてよ。……ほら、いくよ」
ぎゅっ。きぃ子が僕の手を強く握った。
こんな時でも、その手は冷たい。
「じゃあ、おばさん、オニねー?」
「な、な、なんてシツレイなっ! こおらー、まちなさーい!」
お姉さんはそう言うとマスクを取った。
その口は、耳まで裂けていた。
◇
バス停前からスタートして。
僕の大好きなジャンボ餃子がおいしい中華料理屋さんの前を通り過ぎて。
郵便局を過ぎて、両脇が田んぼしかないストレートに入った。
「待てー、この悪ガキめえっ!」
口裂け女さんはとても足が速い。
そして僕は、けんかはする癖に、運動神経はクラスでもいい方ではない。
「ほら、きみ。急がないと追いつかれちゃうよ」
「そんなっ! ……こと言ったってっ!」
はあっ、はあっ。
息が上がる。胸が燃え上がるように痛い。
そして背後に感じるちりちりとした刺すように冷たい殺意がどんどん大きくなる。
「あはははは、たーのしー!」
きぃ子ちゃんがひときわ大きな声で笑う。
息を一ミリも乱していない。
どんだけ肺活量があるんだろう。
でも、僕はもうだめだ。
あと三秒後には、すぐ後ろに迫る口裂け女さんに捕まるだろう。
◇
僕は暗い水の底でもがいている。
■■くんと一緒に海に落ちたのだ。
おぼれて、波でもみくちゃにされて、水面に上がりたいのに、どんどん沈んでいく。
おぼれるって、なんだか鬼ごっこに似ている気がする。
水底というオニから、必死で逃げる鬼ごっこ。
そういば。
僕はこの鬼ごっこをクリアしたんだろうか。
水面目指して上がるだけなのに、途方もないことのように思えて、とてもクリアできたとは思えないんだ。
あ。頭上で誰かが手を伸ばしてる。
誰の手だろう。腕時計が見える。
十字架の模様が入った、キャメルのベルトが可愛い腕時計。
この手は、誰なんだろう──。
◇
「タッチ!」
口裂け女さんが叫んだ。ああ、駄目か。捕まってしまった──。
「捕まえたわよ、この悪ガキちゃんめっ!」
……あれ?
気が付くといつの間に、きぃ子ちゃんが僕と口裂け女さんの間に瞬間移動していて、僕の代わりに押し倒されていたんだ。
そう。タッチされたのはきぃ子ちゃんだったんだよ。
「きぃ子ちゃん!」
僕は悲鳴を上げた。
あの耳まで裂けた、恐ろしい口。
サメよりもするどい、ぎざぎざの歯。
きぃ子ちゃんがむしゃむしゃと食べられてしまう姿が目に浮かぶ。
「もうオバサンなんてシツレイなこと、二度と言わせないようにしてあげるんだからっ!」
「やめ──!」
ぱしゃり。
僕が叫んだその瞬間。
きぃ子ちゃんは、かまれる〇.五秒前に、構えたインスタントカメラで口裂け女さんを撮っていた。
暗い農道をまばゆいフラッシュの光が包み込んだと思ったら、そのお化けの姿が急に消えた。
じー。
数秒後。
現像されたインスタント写真には、今にもかみつきそうな口裂け女さんの姿が映っている。
『あれ? あれれ? あたし、どうなっちゃったの?』
再び可愛い声に戻った口裂け女さんが首をかしげる。
「はい、わたしたちの勝ちね、おばさん」
『そのオバサンっていうの、やめてよう……あたしまだ十五だよう』
うえーん、うえーん。
哀れ、十五でオバサン呼びされた可哀そうなお姉さんは、本当に滝のように涙を流して泣き出した。
なんだかちょっと、胸がチクリと痛んだ。
「じゃあこうしましょ」
きぃ子ちゃんは、インスタント写真を拾い上げ、悪い顔をしてにやりと笑った。
「ここにいるあお君。この子とお友達でいてくれたら。やめてあげる」
『ひっく。おともだちぃ?』
「そう。あお君とずっとお友達でいるって、約束できる?」
『……わかったよう。お友達になってあげますよう……はあ』