キスって言葉を聞いて、私はもちろん、ほんの数秒前まで、嬉しさを隠せないって様子だったオウマ君も、とたんに表情が固まった。
 ナイフで刺されて意識を失ったオウマ君に対して、私が何をしたのかを、ゆっくりと思い出す。
 …………うん。したよね、キス。たくさんの生気をあげるために、口と口を合わせたよね。何も、間違ってないよ。
 けどね、ホレス。よりによって、今それを言っちゃう? ジトッとした目で見るけど、彼は気にせず続ける。
「これが、シアン以外の奴からのキスだと、どうなっていたんだろうな。悪魔祓いは人より多くの生気を持っているっていうから、やはり与える生気の量も多いのか、起きる事象に違いはあるのか。比較実験ができたらよかったんだけどな。誰か別の女の子とキスしてくれれば……」
「ダメーーッ!」
 あまりに勝手な言いぐさに、思わず声を上げる。あと、オウマ君と他の女の子がキスすると聞いて、なぜだか無性に腹が立った。
「そんなことしたら、オウマ君に迷惑でしょ!」
「だから、できたらいいなって仮定の話で──ぐふっ!」
 あまりにムカついたから、怒鳴ると同時に一回頭を叩いてやった。
「そもそもあれは、生気をあげるためのものだから、キスって言うか人工呼吸のようなものじゃない」
「いてて……でもインキュバス相手なら、人工呼吸で生気をあげたって言うより、キスの方がしっくりくるんじゃないか?」
「どうでもいい!」
 まったく。どんな時でもホレスはホレスだ。こんなに好き勝手言われて、オウマ君は大丈夫なのかな?
 そう思ってオウマ君を見ると、彼は未だ固い表情のまま。ただ、その顔は真っ赤になっていた。
「えっと、その……実はその時のこと、あんまり詳しくは覚えていないんだ。刺されて倒れたと思ったら、気がついたらインキュバスになってたって感じ。でも、したんだよな。シアンが俺に、キ、キ、キスを……」
「いや、それは、まあ……」
 あの時のオウマ君は意識がないように見えていたけど、やっぱりそうだったか。とはいえ、知らないうちに唇を奪われたのはショックだったのかも。
 これは、一言謝っておいた方がいいかな。
「了解もとらずに、勝手なことしてごめ──」
「お、俺の方こそこめん!」
 言いかけた私のごめんは、より大きなごめんによってかき消された。
「女の子にとって、その……キ、キ、キスって、大事なものだろ。それを、あんな形で奪うなんて……ごめん!」
「そ、それは私が勝手にやったことだから」
 私自身は、ああしたことに後悔はない。けれどこんな風に改めて言われると、さすがに恥ずかしくなってくる。だけど、彼の謝罪はまだ終わらない。
「それにエイダのことだって、守るって言ったのに危険な目にあわせた。刺されて心配かけたし、いくら持ってる生気の量が多いって言っても、倒れるくらいに吸いとったし……」
 少し前までの喜びはどこへやら。大慌てで謝ってくるオウマくん。まあ、確かにエイダさんに浚われた時は心底怖かった。オウマくんが刺された時は目の前が真っ暗になりそうだったし、生気を大量に吸い取られた時は、このまま死んじゃうかもしれないと思った。
 だけど──
「はい、そこでストップ!」
「むぐっ──」
 なおも謝ろうとするオウマ君に向かって手を伸ばし、強引に口を塞ぐ。喋れなくなったオウマ君は、目を白黒させながら押し黙った。
「確かに怖い目にもあったけどさ、助けに来てくれたし、みんな無事だったじゃない」
「ふぇも……」
 口を塞がれてるせいでまともに喋れないけど、まだ言いたいことがありそうなオウマ君。だけど私は、そんな彼の言葉を奪うように、よりいっそう強くその口に蓋をする。
 そしてその間に、私の言葉をしっかり伝えよう。
「ごめんの前に、私だって言いたいことあるんだから、ちゃんと聞いてよ」
「──っ!」
 その一言が効いたのか、オウマ君の動きが止まる。
「助けに来てくれてありがとう。守ってくれてありがとう。それに、元気になってくれてありがとう。これが、私の言いたいことだよ。元々の原因が何だっていい。本当に感謝してるんだからさ。だから、もうごめんなんて言わないでよ」
 確かに今回の一件は、元を辿ればオウマ君が原因で起こったことかもしれない。だけどこうしてみんな無事だったんだから、今さらそれをどうこう言う気なんてない。
「ごめんはもう終わり。せっかく念願だった力の制御ができるようになったんだから、わざわざ水をささない。いいね」
「あ、ああ……」
 頷くオウマ君を見て、実は内心ホッとする。エイダさんの事については、今言った事が全てだ。だけどキスに関しては、実はもう少しだけ違う思いがある。
 何と言うか、深く謝られると、なおさら恥ずかしくなってくるの。人工呼吸のようなものだって自分で言ったのに、変な気なんてなかったはずなのに、思い出してみると、ドキッとしてしまう。
 だからそんな思いを振り払うように、改めて祝福の言葉をかける。
「力の制御、達成おめでとう」
「あ……ありがとう」
 ニコッと笑顔で言うと、オウマ君は相変わらず顔を赤くしたままだったけど、ちゃんとその言葉を受け止めてくれた。
 よかった。せっかくの嬉しい場面なのに、変な空気になったら嫌だからね。
 だから私は、ドキドキする気持ちを隠しながら、なんでもないように笑う。と言うかそうでもしないと、ドキドキが強くなりすぎて、どうすればいいかわからなくなりそうだった。
 それはまるで──
「ん……?」
 まるで……何? 私は今、何を考えた?
 オウマくんが言うには、インキュバスの力は完全に制御できていて、誰彼構わず魅了することはない。それに、私には元々魅了の力は効かなかった。そのはずだ。
 けどそれなら、どうしてさっきからオウマくんを見る度に、胸の奥が変な感じになるんだろう。
 キスしたことの気まずさだけとは思えなかった。
「シアン、急に黙りこんで、どうかした?」
「な、なんでもない」
 慌ててごまかすけど、オウマ君を見ると胸のドキドキはますます大きくなり、体も熱くなってくる。
 こんなの、まるで恋してるみたいじゃない。
 う、ううん。そんなの、きっと気のせいだよね。