その日の昼休み、私はお弁当を食べるため、一人中庭に向かっていた。パティはお昼は部活の友達と一緒に食べるから、私は一人での昼食が多いの。
 この学校には美味しくて評判の学食もあるけど、私は弁当派。
 同じく弁当派の人だって、家で雇っているシェフや家政婦さんが作っているって人が多い中、私は自作だ。
 何しろ我がアルスター家に現在勤めている家政婦さんは一人だけ。そんな彼女に何もかもを任せるのは大変だからね。
 今日のメニューは、おにぎりっていう、東の国の料理が三個。安くて手軽に作れるから、最近読んだ異国の本で見て以来、すっかり気に入ったんた。
 ウキウキしながら中庭に出て、垣根を曲がったその時だった。
 反対側から、誰かがすごい勢いで走ってきた。しきりに後ろを気にしているせいか、私に気づく様子はない。
「危ない!」
 とっさに叫んだけど、遅かった。
 避けることもできずに、派手に衝突。その結果、二人揃ってその場に倒れこんでしまった。
「いたたた……」
 ぶつかった瞬間、世界が大きく一回転したような気がした。
 痛む背中を押さえながら目を開けると、すぐそばにメガネが落ちてた。
 ぶつかった人がつけてたやつかな?
「ごめん。怪我は無いか?」
「うん、なんとか……」
 申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
 まあ、ビックリしたしそれなりに痛かったけど、頭を打ったわけでも、動けないほど酷いわけでもない。
 大丈夫って言いながら顔を上げると、ようやく相手の姿をちゃんと確認できた。
「あっ、オウマ君だ」
 そこにいたのは、あの学校一のモテ男、エルヴィン=オウマ君。
  私と同じように倒れた状態から体を起こしていたけど、その顔にはいつもかけてるメガネがない。ってことは、やっぱりそこに落ちているメガネは彼のだよね。
 教室ではメガネをかけた姿しか見たことがないから、こうして外した姿はなんだか新鮮。
 そう思いながら見ていると、裸眼のオウマ君と視線が交わる。するとそのとたん、なぜか急に彼の顔色が変わった。
「あっ──!」
 血の気が引いたように真っ青になるオウマ君。いったいどうしたんだろう?
 だけど、そんな疑問も次の瞬間にはすぐに吹き飛んでしまった。
 視界の端に、ぶつかった時に地面に落とした、私のお弁当箱が見えた。そしてあろうことか、落ちた衝撃で無情にもお弁当箱の蓋は外れ、中に入っていた三つのおにぎりは、仲良く地面に転がっていた。
「わ、わ、私のおにぎりがーっ!」
 おにぎりの、そして自分自身に降りかかった悲劇を目の当たりにし、大きく声をあげる。
 安さを求めた節約料理とはいえ、いや、むしろそれだけ節約を心がけているからこそ、その価値は大きい。そんな大事な大事なおにぎりが、土と砂にまみれている。その時の私の気持ちを想像してほしい。
 一度は起こした体を再び屈めて、変わり果てた姿となったおにぎりを拾い上げる。
「ま、まわりのご飯だけ剥ぎ取ればなんとかなるかな?」
 いくら貧乏性でも、さすがに落ちたものをそのまま食べようとは思わない。だけど、やり方次第ではギリギリセーフにならないかな?
「ご、ごめん。悪いことしたみたいだな」
 私の悲しみを目の当たりにして、申し訳なさそうにするオウマ君。なんだか若干引いているようにも見えるけど、そんなこと気にする余裕もなかった。
「みたいじゃなくて、紛れもなく悪いことだよ。私のおにぎりが、お昼ご飯が、栄養源が……」
 オウマ君に謝られたら、この学校の大抵の女子は思わず許してしまうかもしれない。だけど私にとって、食べ物の恨みは重要だ。イケメン無罪なんてものは通用しないの。
「ほんと悪かった。俺の弁当で良かったらやるけど、いるか?」
「えっ?」
 我ながら現金なもので、それを聞いたとたん、まるで暗雲に包まれたように真っ暗だった私の心に、一筋の光が差し込んだような気がした。
「こんなんでよければだけど……」
 そう言って、オウマ君は自分の持っていた包みを差し出してくる。これが、オウマ君のお弁当。
 包みを解いて、中にある弁当箱の蓋を開けると、そこには未知の世界が広がっていた。
「こ、これは……!」
 まず、おかずの種類が多い。お肉なんて高級品が惜しげもなく使われている。それに、なんか料理の形がいちいちオシャレだ。
 なんだか頭の悪そうな表現ばかりだけど、豪華弁当を目の当たりにした衝撃で、語彙力なんて吹っ飛んでる。
 そういえばオウマ君の家ってすごく裕福らしいし、一流シェフとかかが作ったんだろうな。
 これを、くれるっていうの!?
「こ……これ、本当に貰ってもいいの? 全部一人で食べるよ。一欠片だって残さないよ。後で返せって言われても無理だからね」
「言わないから。元々俺のせいで、君の弁当を台無しにしたんだから」
「いやいやいや。確かに私のおにぎり達は台無しになっちゃったけど、これじゃどう考えても釣り合ってないでしょ!」
 私のおにぎりじゃ、たとえ百個あってもこの豪華弁当には釣り合わない気がする。
「じゃあ、ぶつかったお詫びをかねてってことで。こんなんで、詫びになるかは分からないけど」
「なります!」
 今の私には、転んだ痛みもおにぎりを失った悲しみも一切なく、この降って湧いたような幸運に対する感謝しかなかった。
「それじゃ早速、いただきまーす」
 ワクワクしながら、箸でおかずを一掴みして口へと運ぶ。まず食べたのは、分厚く切られたローストビーフ。噛み締めた瞬間、喜びと幸せが全身を駆け巡るような感動に包まれた。
 次にとったのは、多分エビを調理した何かだ。こんなオシャレな料理、名前も知らない。そもそもエビなんて高級品、数年は食べてないから、もう形なんてうろ覚えだよ。
 これももちろん、想像を絶する美味しさだった。
 美味しい。美味しい。美味しい!
 気がつけば手がとまらなくなって、一口また一口と食べては、その度に幸せな気分になる。
 間違いなくここ数年で、いや生まれてから今まで食べたご飯の中で、一番美味しい。
 そんな勢いで食べ続けたものだから、箱が空っぽになるまで、そう時間はかからなかった。