昼休み。すなわち、お弁当の時間だ。いつも昼食をとる中庭へと移動し、レジャーシートを広げる。
 学校最大の楽しみとも言えるこの時間だけど、今日はなんだか気持ちがモヤモヤしていた。
 今朝の出来事。それにオウマ君の姿が、頭から離れなかったからだ。
 オウマ君。エイダさんからのダンスの誘いを強く断ってたけど、その表情はどこか苦しそうだった。
 モテる苦労、なんて言うけど、彼の場合本当に苦しい思いをしているんだろうな。
 今日はまだ、オウマ君とは一度も話をしていない。何度か声をかけようとは思ったけれど、常に周りを女の子に囲まれていたんだよね。
 そう思っていると、不意に中庭の隅から人影が現れた。
 ここって滅多に人がこない場所なのに、珍しい。目を向けると、そこにいたのは、まさに今思い浮かべていたオウマ君本人だった。
「オウマ君──」
 どうしてここに? そう聞こうとしたけど、訪ねる前に彼の方から口を開く。
「前にここで会ったから、もしかすると今日もいるんじゃないかって思ったんだ」
「もしかして、依頼の話? だったらごめん。まだ、全然進んでないの」
 わざわざ私に会いに来るなんてそれ以外考えられないけど、残念ながら成果は全くのゼロ。ガッカリさせちゃったかな?
「いや。いくらなんでも、こんなに早くなんとかできるとは思ってないよ。ただ、俺がインキュバスってことを知って、その上で普段の俺を見てどう思ったか、聞いてみたかったんだ。例えば、今朝の教室とか……」
 今朝のって、もちろんエイダさんとの一件だろう。
「何て言うか……凄かったね、色々と」
 苦笑混じりにそう言うしかなかった。
 あれも、ある意味って言うのかな?
「彼女がああなったのも、元はと言えば俺のせいだから。前に、たまたまメガネを外した時に目が合ったんだ」
「それって……」
 オウマ君の持つ魅了の力。中でもそれが最大限に発揮されるのは、メガネを外した状態で目が合った時だったよね。
「じゃあ、エイダさんがあそこまでやるのも……」
「魅了され過ぎて、思いが暴走しているからだろうな。こうなるってわかっていたから、周りに女子がいる所じゃメガネは外さないって決めてたのに。失敗した」
 その時、いったい何があったのかはわからない。けど、オウマ君がそれを酷く後悔してるってのはわかる。
 エイダさんに迫られていた時、あんなに苦しそうにしてたのは、自分のしでかしたことへの罪悪感もあるのかも。
 エイダさんだけじゃない。オウマ君の秘密を知った後だと、普段見慣れた彼のモテ姿も、まるで違って見えていた。
「でも、オウマ君はそれを変えたくて、私に依頼をしてきたんでしょ」
「それは、そうだけど……」
「私、ちゃんと知ってるから。オウマ君が好きでこんなことしてるわけじゃないってのも、何とかしたいって思ってるのも。だから、そんなに自分を責めないでよ」
 オウマ君にしてみれば、そんな簡単に割りきれる話じゃないかもしれない。だけど、必死で何とかしたいって思ってるなら、これ以上自分を責めてほしくはなかった。
「私も、がんばって何とかできる方法を探してみるからさ」
 まだ何もできてないけど、私だってオウマ君の力になりたいって思ってる。
 それを聞いて、少しだけ、オウマ君の表情が軽くなる。
「ありがとな」
「って言っても、まだ全然手がかりも見つかってないんだけどね」
 ここで、自信を持って任せてと言えないのが辛いところだ。
 それよりも、元気づけるならこっちの方がいいかもしれない。
「ところで、昼食ってまだだよね?」
 オウマ君の手にもまた、お弁当が入っているであろう包みが握られていた。
「えっ、そうだけど……」
「なら、ここで一緒に食べない? ここなら、滅多に人も来ないよ」
 気持ちが沈んだ時はご飯を食べるってのが、私の考え。何かが変わるってわけじゃないけど、美味しいものを食べお腹がふくれたら、少しは気持ちが楽になる。
「いいのか?」
「いいよ。っていうか、わざわざ私に断ることでもないじゃない」
 私が手持ちの弁当箱を取り出すと、オウマ君もそれに続く。
 わかりきったことだけど、こうして並べてみると、それぞれの弁当の格差がもの凄い。片や、料理の名前すらすぐには思い浮かばないくらいの豪華な何か。片や、大きなおにぎり三個だ。どっちの方が美味しそうかは、聞くまでもないよね。
「よかったら、どれかいるか?」
「えっ? いいよ。今日はおにぎりひっくり返されたわけじゃないし」
 そんなことを聞かれるなんて、よほど物欲しそうに見つめていたのかな。だけどいくらなん
 でも、ここでちょうだいと言えるほど図々しくはない。
 だけど、オウマ君は続ける。
「かわりに、そっちのも少し分けてくれないか? 初めて見る料理だから、前からどんなのか気になってたんだ」
 私のって、おにぎりだよ。そりゃ異国の料理ではあるから少しは珍しいかもしれないけど、そもそも料理って言うほど大したものでもないんだよ。
「本当に、こんなのが欲しいの?」
「ああ。ダメか?」
 ダメどころか、私にとっては完全に得しかない。お得すぎて申し訳ないような気もする。と言うか、本当は私に気を使ってこんなこと言ってるんじゃないの?
 でも、欲しいものは欲しい。
「いいよ。今回は、鮭と鯖とツナの海鮮トリオ。どれがいい?」
 やっぱり、オウマ君のお弁当を食べたいって欲望には勝てなかった。
「じゃあ、鮭。シアンはどれがいい?」
「私はこれ」
 お互い食べたいものを指名し、相手のお弁当箱へと差し出す。早速食べてみたそれは、この前もらったものに勝るとも劣らないくらい、それはそれは美味しいものだった。本当に、おにぎりなんかと交換でよかったのかな?
 そう思ってオウマ君を見ると、おにぎりを持つ手が止まっている。
「どうしたの? やっぱり、元のおかずの方がよかった?」
 それぞれの価値を考えると、そうなるのも当然だ。だけど彼からもらったおかずは、すでにお腹の中。今さら返すこともできないし、どうしよう。
「いや、そうじゃないんだ。ただ、こんな風に誰かと一緒に気楽に弁当を食べるのは、久しぶりだなって思っただけだ」
「そうなの?」
 確かに、オウマ君からすると、女の子との食事も楽しいものとは思えないかもしれない。
「でも女の子はともかく、男子と一緒に食べたりはしなかった?」
 疑問に思ったけど、そこで気づく。オウマ君が、他の男子と一緒にいるのを、ほとんど見たことがないということに。
「女の子はみんな、無条件で俺のことを好きになる。それが例え、男友達の彼女だったとしてもだ。そんな俺が、男子の輪の中に入っていけると思うか?」
「それって、まさか……」
「俺のせいで彼女と別れたって奴が何人もいて、いつの間にかハブられてたんだよ」
「うわぁ……」
 表向きは学校の王子様みたいなオウマ君だけど、その実態はとてもかわいそうなものだった。
「そんな憐れむような目で見るなよ。こっちは、そんなのとっくに慣れてるんだ」
「いや、それってよけい悲しいから。なんだか、オウマ君のこと、知れば知るほどイメージとズレていく気がするよ」
「仕方ないだろ。実際、みんなが持ってる俺のイメージなんて、間違いだらけなんだから」
 少し拗ねたようにそっぽを向くオウマ君。だけどそれから、フッと息をついたかと思うと、私の上げたおにぎりを一口食べて言う。
「だから、家族以外とこういう気楽な食事をするのは、本当に久しぶりなんだよ。落ち着くというか、安心するというか、とにかく、そんな感じ」
 実際、そう話すオウマ君の顔は穏やかで、少し前まであった重い雰囲気も薄くなっていた。
「このおにぎりってやつ、シンプルだけどうまいな」
「この上なくシンプルだけどね」
 もらったおかずとはとても釣り合いがとれないけど、ただのおにぎりでも、少しは楽しく食べれているのかな。それだったら、私も嬉しいな。
「それにしても、ここって本当に人が来ないんだな」
 お弁当を食べ終えたところで、改めて辺りを見回し、オウマ君が呟く。
「食堂や教室からはだいぶ離れてるからね。でも、その分ゆっくりできるでしょ。入学してすぐ、道に迷った時に見つけたんだけど、お昼はたいていここで食べることにしてるんだ」
 パティは何度か誘ったことがあるけど、あの子はお昼は部活の人達と一緒にとるようにしていた。
 だけど、今はそれでよかったのかもしれない。私以外に誰もいないからこそ、オウマ君も魅了の力の影響を気にしなくてすむんだから。
「あのさ。昼食の時って、またここに来てもいいか?」
「いいよ。って、さっきも言ったけど、わざわざ私に断ることないじゃない。それに、たまにじゃなくてもいいから」
「本当か?」
 たったそれだけの事で、とたんに嬉しそうになるオウマ君。本当に、落ち着ける時間や場所がほしかったんだろうな。
 こんなところでいいならいくらでも使っていいから。
 気が沈んだ時はご飯を食べるが信条の私にとって、食事の時くらいは心穏やかでいてほしかった。
 しばらくすると、昼休みの終了を告げる鐘の音が聞こえてくる。それぞれお弁当箱を片付け教室に戻ろうとしたけど、そこで、オウマ君に言おうとしていた事があったのを思い出す。
「そうだ。インキュバスの力のことだけど、頼りになりそうな人がいるの。話してみてもいい?」
 昨日資料を調べて思ったのは、やっぱりこれは、素人が簡単に手出しできる案件じゃないってこと。
 だけどアイツなら、あるいは力になるんじゃないか。そう思う心当たりが、一人だけいた。